ある証言者の話
act.4 親父の証言
あ?
ああ、あの白い兄ちゃんのことか。
あの兄ちゃんに初めて会ったのは、車のエンジンがイカれたときだな。ヤベえなって思ってるのに、うちのバカが乗っていっちまって、夜に電話がかかってきたときも、案の定来たかって思ったさ。
けど電話の相手は、うちのバカじゃなかったけどな。
「夜分畏れいります。拓海くんの友人で高橋と言いますが…」
なんて、やたらと畏まった喋り方した、しかもやたらと声のイイ奴で、俺ぁ思わずムズ痒くなってケツ掻いちまったよ。
電話の内容はもちろん、うちの車に関することで、向こうのほうで修理工場に連絡するってのを断って赤城まで俺が取りに行った。
うちの車のエンジンの寿命がきてるのは前から分かってたことだった。それが、俺が乗ってるときに来るか、あいつが乗ってるときにくるかなんてなぁ運みてえなもんだ。母親が急なことで死んでから、どうもあいつは感情を表すのが下手になっちまった。昔はよく笑って、怒って、元気なもんだったがな。母親の入院費や手術費で嵩んだうちの借金もあって、俺もあいつを省みることが出来なくなっていた。気がついたらあいつは、何やらせてもぼーっとしてるやる気のないガキに育っちまった。俺が悪いだとか卑下するつもりはねえが、やっぱり俺にも責任の一端はあるんだろうな。平気な顔するクセばっか付きやがって。きっと今も悲しいだろうにそれを堪えてるんだろうか?そんな事をつらつら考えながら、トラック転がしていたのを覚えている。
俺が赤城に着いたとき、そこにいたのはあいつ一人だけじゃなかった。
煙をあげる車の脇で、あいつは呆然と立ち尽くし、ただ涙を流していた。あいつが泣いたのを見たのは母親が死んだ直後のとき以来だ。その後はピタリと、葬式んときにも泣きもしなかった奴が、小さいガキん時みたいに泣いてやがる。そして、俺はまあ、鈍いほうじゃないつもりだ。その泣けなかったあいつが泣いている理由が、あいつの隣に寄り添うように立っている、夜目にも鮮やかな背の高い男前の兄ちゃんのおかげだろう事が。
うちの車の後ろには、その兄ちゃんの車だろう、白のRX−7。見ただけでこいつは早いなって思ったよ。速い車ってぇヤツには、独特のオーラがあるからな。
俺が来たのに気付いたのは兄ちゃんのほうだった。
あいつを促し、俺に向けて頭を下げた。電話の時と同じ、やたらと畏まった喋り方と、受話器ってフィルターのない直に聞いた声は、電話で聞いていた3倍くらいイイ声してやがった。
お?
あいつらよく見りゃ手ぇ握ってやがった。
…オイオイ。最近じゃ生意気な顔しか見せなかったあいつが、あの兄ちゃんの前だと、こりゃ本当にうちの子かって疑いたいくらいに素直で可愛らしいツラ見せてやがる。
そん時に、なんとなくピンと来たんだよなぁ。
車走らせんのに興味のなかったあいつが、最近になってやたらと楽しそうな理由ってのが、この兄ちゃんじゃねえかってな。
無理やり黄色い車とバトルさせた後から、ちったぁ走ることに興味が湧いてきたようだったが、格段とあいつの中で走ることに貪欲になったのは、祐一が言うには何とかっつー有名な走り屋とのバトルの後からだった。
そういや、あんときもおかしかったな…。そいつとのバトルが終わった後、あいつはいつもぼーっとしていたが、その度合いが十倍くらいに増していた。そんで、「すげえ人だったんだよ」「すげえ速くって」「勝つには勝ったんだけど、なんか勝った気がしないんだ」、あと…「すげえカッコいい人だった」ってな事も言ってたな。祐一は何て言ってたかな、ソイツの名前…確か…「赤城の白い彗星」…なるほどな。まんまじゃねえか。
「…あー、高橋さんっつったかな」
「はい」
おいおい。拓海よ。本当にカッコいい兄ちゃんだな、おい。
「こいつが世話になったみたいだな。ありがとな」
「いえ、僕は何も出来ませんでした」
「いんや、十分だ。こいつが泣いてるからな」
意味わかんねえだろうなぁ。ま、教えてやる義理もねえか。
案の定、兄ちゃんはおかしな顔して首傾げてやがる。
「…なぁ、兄ちゃん。あんた…こいつに花束送った人だろう?」
「……はい」
ああ、緊張してやがるな。何も別にとって食おうってワケじゃねえんだ。その態度だけで、あんたがコイツに邪まな感情持ってるってのがバレバレだ。それに、俺が聞きたいのはそういうことじゃねえんだ。
「―あんたはこいつより速いと思ってるかい?」
俺の突然の質問に、兄ちゃんはしばらく無言だった。だがその後の返事が奮ってやがる。
「………今のところは」
だろうな。下手な愛想なんて言おうもんなら、認めねえところだったよ。
「けれどいずれ拓海くんは速くなる。俺や、他の誰よりも。俺には、それが見えているんです」
夢見るような眼差しで兄ちゃんが語る。そんだけの会話でなんとなく分かるもんだ。この兄ちゃんが俺と同じ気持ちでいるってことがな。
自分の限界を知り、自分を抜くであろう存在に自分の夢を託す。面と向かって言いはしないが、俺だってこいつがどこまでいくのかを見たい。ましてや、やっと本人にやる気が出始めた頃だ。
…拓海の奴、見る目あるじゃねえか。ぼーっとしてるだけかと思ってやがったが、ちゃんと人は見てんだな。
「なあ兄ちゃん」
「はい」
「車、直ったら見に来いや。うちは豆腐屋やっててな。味はまあまあだが、たまに食いにでも来てやってくれ」
「…はい!」
おーおー、あからさまに喜びやがって。すんなり認めてやるのも癪なんだが、泣けなかったコイツが感情晒すような相手、不肖の親としては認めてやるしかねえだろが。
それにしてもこの兄ちゃん、こいつのこと「君」って呼んでるってことは、まだ知らねえのか。……フッ。おもしれえな。気付くまで黙っとくか。
その赤城の夜から二週間もたった頃だろうか。あの兄ちゃんが言葉の通りにやってきた。伝え聞くところによると、あの夜あいつが走ってた相手を、ま、意趣返しってのもおかしいが、バトルしてスカッと勝っちまったみたいだな。そーゆー侠気みてえなところも嫌いじゃねえんだよなあ。基本的に、走りに対して真剣なヤツってのは、どうも憎めねえ。
「おう、兄ちゃん。よく来たな。まあ、あがってくれや」
うちのショボい店の前に立つには上等な雰囲気の客だ。店の前で立ち話しても良かったんだが、商店街の主婦の目はさすがに俺も痛かった。…男前ってのは大変なもんだ。
「変わったエンジンが渋川のほうに流れたと聞きました」
「……へえ」
鋭い兄ちゃんだ。ぼーっとしたあいつとは正反対だな。
「おもしろいものが見れそうですね」
まあ、な…。だが今んところはまだ無理だ。
ボリボリと首筋を掻いてどう説明しようか迷っていたら、「ただいま」絶妙のタイミングであいつが帰ってきちまった。
「…え?…あ、た、高橋…さん?!」
あいつがうちにいる兄ちゃんに、驚くのは当然の反応だ。だが、その後のさぞ嫌そうな顔は…止めたほうがいいと思うぞ。
…ホレ。案の定、兄ちゃんの顔が暗くなってやがる。
あげくに、気ィきかせてあいつらを二人にさせるために家を空けるふりしてこっそり家ん中の様子を覗いていたんだがな。いや、まあ、やっぱりあいつに惚れてる相手と、二人っきりにさせるのも、まあ、俺も父親のハシクレだ。心配だったんだよ。
「…あんときは…すいません」
「…いや、気にすることはない。それより、車、直ったんだってな」
「………はぁ…」
しばらく沈黙。
「乗ってるんだろう?車」
「…まぁ、一応…」
「前と比べて変わった?」
「……変わったって言うか…」
「藤原?」
「…………」
「……もしかして、迷惑だったか?」
頷くんじゃねえぞ、拓海…って思ってるハシから、お前ぇ頷いたな。ここにまで暗澹な空気が漂ってくるじゃねえか。
「…そうか。悪い、また来るよ」
「……あの!」
ああ…止めとけ、もう喋るんじゃねえよ。お前は昔っからそうなんだ。いっつも肝心なところでボケたことしてやがる。
「出来たら、うちには来ないで下さい」
あーあー、やっちまったよ。俺ぁ兄ちゃんに同情するね。
「…そうか…すまない」
そりゃ俺ぁ分かってるよ。お前が嫌そうな面してたのや、「来ないで下さい」発言は、俺と兄ちゃんが話してんのが嫌だったってことや、単純にうちを見られるのが恥ずかしかったんだって事が。おまけに今は、あいつも苛々してたからなぁ。俺のせいなんだが、車を前みてえに乗りこなせねえしで、車のこともあまり触れられたくなかったんだろうけどな。小さい頃からあいつを見てる俺なんかは分かってんだがよ、拓海がそういうやつだって事が。でも、馴染みのねえ兄ちゃんに、あいつのボケてるくせに、やたらと直結な回路しか持ってねえ思考にゃ付いてけねえだろうなぁ…。
さもありなん。傍目にゃ冷えたあいつの態度に、兄ちゃんは颯爽とした雰囲気はどこへやら、倒れる前のボクサーみてえにヨロヨロしながら出ていった。
…いっぺん、あいつには情緒面ってもんの教育が必要らしいな。
その後も、兄ちゃんはダウン寸前ながらも再度チャレンジかましたらしい。
いわく、県外遠征のチームへの参加。あの夜にほんのり見せた、あいつを育ててみたいってぇ兄ちゃんの希望だ。それを祐一から聞いたとき、なかなか骨のある兄ちゃんだと思ったよ。だがなぁ…。あいつはその返事を、どうやら渋ってると言うか、ハッキリと返していないらしい。……拓海よぅ。世間じゃそれを『生殺し』っつーんだよ。
さすがにあの兄ちゃんも、ぱったりあいつに顔を見せなくなって、いい加減あいつには愛想も尽きたかと思ったがね。ところがどっこい、あの兄ちゃんは俺の予想の百倍ぐらい太い神経をしてやがった。
再び兄ちゃんは現れた。
しかも、今度は根回しってぇ手段まで取って。
「未成年のお子さんを預かるのですから、ご心配でしょうが僕に任せてくれないでしょうか」
そう言って、うちの座敷の前で手ついて頭を下げる兄ちゃんの姿に、俺ぁ正直感動しちまったよ。なんて図太え奴なんだ、ってな。あいつの返事もないうちから、俺に既成事実を諮ろうとしてやがる。俺の目の前には新潟の限定地酒。幻の名酒と呼ばれた一品だ。くそぅ、手ぇ伸びちまうじゃねえか!
しかもこの兄ちゃんは、俺だけじゃない、あいつの幼馴染や池谷って先輩、祐一にまで手ぇまわしてやがるんだよ。将を射んとすれば〜ってあるけどな、外堀から固めて逃げ場を失くさせるやり方は、前者よりも遥かにタチが悪い。その手管ってやつを見せられて、俺は逆に確信したよ。
『こいつなら、絶対に拓海を速くできる』
ってな。ま、あいつの身柄はもうオマケだ。見せてもらおうじゃねえか。あいつがどこまで速くなるかをな。
だからよ、俺は言っちまったんだよなぁ。
「…24日には俺は飲みに行くんだよな…あいつ一人になっちまうなぁ…そういやクリスマスか。あいつにはいつも寂しい思いをさせるよ…」
煙草ふかしながら、そっぽ向いちまったよ。我ながらわざとらしすぎだな。
もちろんその言葉の意味に気付かない兄ちゃんではなくて、神妙な顔で俺に頭を下げやがった。
「お義父さん!拓海くんを僕にくださいっ!」
…くん?…あ、そういや訂正すんの忘れたな。ま、おもしろいからいいか。そのうち分かるだろ。
「…好きにしな」
25日。家に戻った俺が見たのは、熱に浮かされたみてえにやたらと赤い顔をして、ぼーっとしたあいつの姿だった。ふと見せる思い出し笑いや照れ笑い、あげく不安気に顔を歪めるあいつの姿は、自分の『娘』ながら、こっちが照れちまうぐらいに綺麗なものだった。その姿は、やはり死んだうちの女房そっくりで、男手で育てたせいでやたらと男っぽくなっちまったあいつも、やっと娘らしくなってくれたと心ひそかに胸打たれちまったりもした。
後の問題は、向こうさんの家のことぐらいだろうが、あの根回しの兄ちゃんのことだ。きっと拓海が泣くようなことにはならないだろう。逆に、うちで繰り広げられるあの砂吐くような会話の数々を、ちったぁ押さえてくれねえもんかねえ?仲良いってことはイイんだろうけどよ。いい加減食傷気味だ。
ま、来るたび手土産忘れねえ兄ちゃんのおかげで、うちの食卓はやけに豪華なものになったがな。普通じゃ手に入らねえような高級食材セットや地酒、おまけに車のパーツまで手に入れてくれる。拓海もイイのを捕まえたもんだ。
だけど。
…仏壇の女房だけしか知らねえことだがな。
あのとき拓海とトレードで手に入れた、新潟の地酒にほんのり苦い味を感じたのは、あいつらには秘密だ。