ある証言者の話

act.1 弟の証言


 二十一年間アニキの弟をやってきたけど、あんな変なアニキを見たのは生まれて初めてだった。
 思えば、兆候はあったんだよ。
 あん時だ。
 俺があいつとバトルするって時だ。
 俺だけが気付いたんだろうけど、アニキはあん時も変だった。
 遅れて峠にやってきた、ショボいハチロクなんぞから降りたあいつを見た瞬間、アニキは確かに動揺してた。
 俺もそん時は動揺してたさ。遺恨のハチロク乗りが、やたらと若い、しかも女みてえな顔の奴だったからな。だからそん時は俺も気付かなかったんだ。
 けど、あいつにバトルで負けて、ヘコむ俺を待ってたのは、やたらと興奮しているアニキの質問責めだった。
 最初は走りがどうのとかマトモな理由だったけど、だんだんその質問の内容が怪しくなっていっていたのを俺は覚えている。
『どんなやつだった』『お前はどう思った』『それで、あいつはどうした』
 落ち込んでる俺にはそれが変だとは理解できていなかった。アニキも俺が負けたことで、悔しいんだろうってぐらいにしか思えていなかった。
 おまけにあん時のアニキは、俺が『ずいぶん若い野郎だと思ったけど、あいつすぐにそのまま帰っちまったしさ、なんもわかんねえよ』って言うと、凍て付く氷の眼差しと侮蔑の表情で、
『…チッ、使えない奴だな』
 フン、って…。鼻で笑って行っちまったんだ。
 アニキの弟を長年やってんだ。あの人がおっそろしく冷たいおっかねえ人だって知ってたさ。
 けどあん時のアニキは、俺の人生でマックスに、悪魔としか言えない態度だった。思わず泣いたね。ああ、泣いたともさ。
 そんでアニキが変なのはそんだけで終わらなかったんだ。
 続いてのR32のあいつのバトルに、アニキがケツからあいつらを追っかけてったのはまあ理解できる。俺も興味があったからな、あいつの走りに。
 でも!
 俺は見た!
 あいつのケツを追っかけながら、アニキの顔が笑っていることに。
 いつものアニキの見慣れた氷の微笑じゃねえんだ。
 あのアニキが!まるで、「クラス一可愛い子のスカートが風でまくれ上がり、偶然それをベストポイントでばっちり目撃してしまった中学生」のように、デレデレとやに下がった笑みを浮かべていたんだ。
 俺はもちろん、見間違いだと思ったさ。気のせいだってね。けど…少し怖かったかもなあ…。とりあえず前だけ見てたよ。気のせいだ、そう思ってね。
 だけど、それはやっぱり気のせいなんかじゃないみたいで。
 決定的だったのはあの薔薇の花束だ。
 あいつにバトルを申し込むって決めて、早速やらねばならない事がある、なんて言うから、てっきりアニキお得意の分析かと思ってたのに、何故かアニキは花屋に直行。
 そんで情熱的な愛の告白には最適な真っ赤な薔薇の花束を注文し、さすがにあいつの本名ではなく車名宛だったけど、挑戦状と一緒にあいつに送りやがったのだ。
 俺は目を疑ったね。耳も疑ったさ。
 これが本当に、冷静沈着な(ハズの)あのアニキなのか、ってな。
 だけど俺はアニキに言えなかった。
「アニキ、なんか変じゃねえ?」
 なんてな。だって…怖かったんだ(弟気質)。
 その後のアニキのイカれっぷりは留まらず、迎えたあいつとのバトルに、アニキはまさかの負けを喫し、信じられない事態にチーム全体が動揺し、俺もまたショックを隠しきれず直ぐに家へ帰って親父秘蔵の二十年物の古酒をかっくらってリビングでふてていた。
 アニキは俺が飲み始めて少ししてから帰ってきた。
 …そうだ。
 思えばあれも変だった。アニキのいつものロータリーサウンドが、やたらと軽快に聞こえたんだ。まるで、ダンスしてるみてえなよ。実際そんなわけねえんだけど、そんな感じってことだ。
 アニキが帰ってきた音に、俺は真っ先に玄関に向かって、『アニキ!』叫ぼうとしたんだ。だけど…。
「なんだ、啓介。飲んでるのか。明日講義は無いのか?早く寝ろよ」
 …アニキは……落ち込んでいるはずのアニキは…ウキウキしてたんだ…。
 某お昼の人気テレビ番組のオープニングに出てきて歌って踊れる青年隊ぐらいに。
 ああ、忘れもしねえ。
「フフンフン」
 鼻歌まで歌ってたよ!あの、
『カラオケ?自己満足で下手くそな歌を人に聞かせて精神的実害を与えるあの騒音現象の事か?もしかしてお前はこの俺にそんな騒音行為に加われと、そう言いたいのか?』
 とまで言い切っていたアニキが。
 アニキの負け、プラスにアニキの異変。俺はダブルのショックでともかく一週間ヘコみすぎて3キロ減った。
 そんな俺の苦悩にも関わらず、アニキの変っぷりはどんどん進行していった。
 どんどん進むアニキの変さに、俺はもしやこれは本当のアニキではなく宇宙人では?と危機感を抱き始めていたのだが、あの日、例の事件があって、確かにこの変なアニキが、本当に実の俺のアニキだってことを確認させられた。
 例の事件ってのは、あのハチロクが赤城でエンジンブローを起こしたときの事だ。
 日光のボス猿とあいつが走るってだけで、機嫌が最高潮に悪かったアニキは、あいつの車がエンジンブローしたと聞いた途端、通称通りの白い彗星様になって飛んでった。
 そこでアニキが何を見て、何があったのかは俺には分からない。
 けれど、戻ってきたアニキは本物の悪魔だった。
 俺は見た。おどろおどろしいオーラの中に見え隠れする捻じ曲がった角と尻尾。
 悪魔なアニキは予想通りボス猿をコテンパンに叩きのめし、やっと悪魔が消えて、また変なアニキに戻るのかと思ったら…これが何故かアニキはヘコんでやがった。
 ウキウキアニキも、ワクワクアニキも、ドキドキアニキもいねえ。そこにいたのは間違いなく高橋涼介って一人の悩める男の姿。
 アニキが何を悩んでたのかは知らねえ。けれど、小さい頃から嫌味なぐらい何でもできて、悩みなんてないふうだったアニキが、初めて見せる人間らしい葛藤する姿だった。
 いつだってアニキは冷静で、親の前でさえ泣き喚く姿を見せたことがない。いつだって冷めた目で周囲のヤツラを眺めているだけだった。
 そんなアニキがフツーの奴みたいに弱みを晒してヘコんでいる。
 俺はアニキが何を悩んでいるのかは、たぶんだけど察していた。間違いないく、あのハチロクに関することだろうと思っていたからだ。
 アニキのあのハチロクに関する執着。それは果たして車へなのか、ドライバーへなのか。頭は悪いが勘は鋭いとアニキのお墨付きを頂いている俺。
 もちろんすぐに分かったさ。
 だから俺は言った。
「…アニキ。心配するなよ。俺はぜってえアニキの味方だからさ。性別の差が何だよ。へコんでるアニキはアニキじゃねえよ。そりゃ門題は難しいだろうけどさ、ぜってえアニキなら大丈夫だよ」
 アニキは俺の言葉を聞いて、驚いていたようだけど、すぐにいつものアニキに戻った。…いや…戻りすぎた。
「…そうだな、啓介。俺が間違っていたよ。たとえ拒絶されようとも、罠でも何でも張り巡らして、陥落すればいいことだったな。俺としたことが…正攻法でいこうだなんて考えたのが間違ってたな…。分かった、啓介。早速これから仕掛けに入るよ」
 …アニキはアニキだった。
 俺は正直、あの華奢なハチロク乗りの少年に同情した。
 間違いなく俺は、近いうちにアニキに悪の道へと導かれた、いたいけな青少年の姿を見せられることになるだろう。
 そして行動が先で頭が後の俺はやっと気がついた。
 アニキが…ホモになっちまった……。
 だが俺の懸念は、意外や意外の、逆転場外大ホームランで幕を閉じた。
 アニキが発起した新チームへの誘いをアニキがしたのはもう一ヶ月も前のこと。
 その間も裏工作を忘れず行動する怪しげなアニキの姿を目撃することしばしば。いい加減、あいつにも俺から早く返事するように催促しようかと考え始めていた時に、それは起こった。
 シチュエーション的にも最適なそれはクリスマスイブ。
 誰もがうかれ騒ぐ中、俺もまたダチに誘われ男ばかりの飲み会に参加した後の事だった。
 帰宅した家には電気が着いておらず、俺は家には誰もいないものだと思い込み、酔い覚ましに水でも飲もうとまず着けたリビングの電灯の下、それはいた。
 アニキだ。
 真っ暗な中、アニキは呆然と、まるで魂の抜かれた奴、例で言うなら『燃え尽きちまった』矢吹ジョーだ。そいつみたいに座っていた。
「あ、アニキ、どうしたんだよ?」
 俺はその光景に、とうとう燃え尽きちまったアニキを想像したが、ところがどっこい。
「…幸せだ。ああ、俺はこんなに幸せでいいのか?いや、いいんだ!誰が何と言おうと、俺は幸せなんだ!邪魔する奴がいたら轢き殺してやる。ああ、幸せだ…」
 変っぷりマックスなアニキだった。
 どうやら言葉の内容から、展開はアニキの望む方向へ行ったらしい。
 俺は、たぶん酔っていたせいもあったのだろうが、アニキのハイテンションにつられて、俺まで変なのが移ってしまった。
「良かったな、アニキ!良かった、ほんと良かった!」
 どこに兄がホモになったことを奨励する弟がいるのか?突っ込まれそうだが、変なアニキを見続けた俺もまた、どうやら変だったらしい。
 涙を流して喜ぶ俺に、アニキの幸福度もハイパーになったらしく、アニキはらしくなく体育会系の熱い男みたいに俺を抱きしめて、
「ありがとう!ありがとう、啓介!」
 アニキまで涙を流して歓喜した。
 180オーバーのでかい図体のいい年した男が、クリスマスの夜に繰り広げる光景じゃない。だがそれが俺ら兄妹の、最近まで続いた苦悩に対する「カタルシス」ってやつだった。(参照:15巻12P)
 それから俺らは飲み明かし、お袋秘蔵のワインに定番のドンペリ。俺の二十一年間の人生の中で、最高に仲の良い兄弟としての時間だった。
 変だったアニキよさらば。
 これからはマトモなアニキに戻るのか。
 飲みながらそう思っていた俺の思惑は、一週間後、めでたくアニキの恋人となった奴の姿を見た瞬間に崩れた。
 奴は、なぜか女子高生の制服を着ていた。
 …コスプレ?
 っつーか、なんでフツーにうちに遊びに来るのにそんな格好してんだ?それより今の時期って間違いなく冬休みだし。
 アニキの恋人こと藤原拓海に聞いてみれば、
「え、なんか涼介さん、私の制服姿が見たいから、制服で来いって…」
 コスプレっすか!アニキ!!
 驚愕のあまり声も出ない俺に、さらに驚愕の事実がアニキの口から語られた。
「啓介。拓海は現役の女子高校生なんだよ」
 ………?!
 マジマジと奴こと藤原を見れば、…確かに。制服姿の奴は、どこから見てもフツーの女子高校生だ。違うのは、やたらとスレンダーだがスタイルが良いのと、モデル張りのスタイルのくせに、上に乗ってる顔はやたらと愛らしく癒し系の美形だってことだ。ミニのスカートから覗くすらりとした長く白い足が目に眩しい。
 こうやって制服姿を見ていると、なんで男だと思っていたのかが不思議だ。確かに背は高く、雰囲気も中性的といえるかも知れないが、スカート履いた藤原は、どこから見てもとびきりの美少女の姿をしている。
 ……ハア。…アニキ、すげえな。見破ってたわけか…。いや、でも最初はぜってえ知らなかったよな。いや、アニキの事だから、男だろうが女だろうがどっちでも構わなかったんだろうな。
―…いや、ちょっと待てよ。俺の突っ込みどころはソコじゃねえ。
「…なあ、アニキ」
「なんだ」
「…なんで制服着させてきたんだ?」
「可愛いだろう?」
 確かに。
「見たかったんだ」
 いや、アニキの変なのは承知なことだ。ここ数ヶ月、嫌ってほど見せられたからな。問題は……。
「藤原…」
「はい?」
「お前、着て来いっつわれて、別に変だとか思わなかったのか?」
「え?」
「いや…学校もねえのに、着て来いって…」
 変だろう?とは聞けなかった。アニキが怖い…。
「はぁ。涼介さんが見たいって言うから。それならいいかな、って。あの、変ですか?」
 いや、変でしょう。
「ええと、でも制服ってお葬式のときとかに着るじゃないですか。そんな感じみたいで面白いですよ」
 …………。
 高橋啓介二十一歳。
 天才の兄を持つ彼は、一つ学んだことがあった。
 天才(変人)の恋人もまた天才(天然)である!と言うこと。
「…アニキ…」
「なんだ?」
「…ほんっとォに、良かった。俺は嬉しいよ…」
「なんだ、改めて」
「藤原」
「はい?」
「アニキのこと宜しく頼むな。アニキはお前じゃなきゃ駄目なんだ。ずっと仲良くやってくれよな」
 決して、決して見捨てないでやってくれ。心から願う。
 天才と天然のカップルは、弟からの祝福の言葉に、ひどく嬉しそうに笑ったと言う。






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