ある証言者の話
act.2 親友の証言
十年来の友人が突然おかしくなった。
友人の名は高橋涼介。走り屋の間では知らない者はいない赤城のカリスマだ。
涼介との付き合いは、中学にまでさかのぼる。1年のときに同じクラスになったのだ。
俺は自分で言うのもなんだが、地味でいたって普通の人間だ。しかしあいつは違った。頭も良ければ顔も良い。スポーツ万能、おまけに家は裕福と、人が羨むすべての要素を一身に受けたような奴だった。普通はこれだけ出来すぎると同性には妬まれるものだが、奴には独特の支配者的気質があり、妬む云々よりも「逆らえない」空気をまとっていたため、表立ってあいつに反抗するような輩はいなかったと思う。と言うより、どいつもこいつも信奉者となっていた。それは新しいクラスで早速委員長を任じられたり、二学期目には生徒会に入らされ、2年には異例の生徒会長就任。3年の時には言わずもがな。しかしいつも間近で見ていた俺は知っていた。あいつが、どれもやりたくてやっていたわけではない事を。
俺が知る限り、奴は「面倒臭がり」だ。唯々諾々と役職を受けていたのも、それが一番角が立たない方法だと知っていたからだ。断って揉め事を起こすより、受けて自分の思うままにしたほうが、一番面倒がないことを奴は心得ていた。
人間関係においても奴は「面倒臭がり」だった。一見愛想がよさそうに見せかけて、奴の人に対する許容範囲は狭い。狭すぎるほどだ。一度奴に聞いたことがある。
「お前、もう少し周りの人間に心を開いてもいいんじゃないか?」
あいつの答えはこうだった。
「畑の南瓜に喋りかけてどうするんだ?そんな無意味な事に時間を費やすほど、俺は酔狂じゃない」
傲慢すぎる言葉だが、言われてみれば奴の周りには、媚びるばかりの有象無象の輩が蔓延していた。口癖のように言う、『どいつもこいつも似たり寄ったりだ』の言葉は奴の切実な本音でもあったのかも知れない。
そんな奴と、俺が仲良くなったのは些細な事からだった。理科の実験の時に俺たちは同じグループに組み込まれ、実験を行うことになったのだが、その時に奴は実験の手順を一人で行ってしまったのだ。
授業の後、どうしても納得の出来なかった俺は奴を呼びとめこう言った。
「実験はみんなで協力してやるから意味があるんであって、高橋一人でやるんだったら意味がないと思う」
言われてあいつは、少し驚いたようだったが、すぐに今じゃ定番となっているあのタチのよくない微笑を浮かべ、『その通りだな』と笑ったのだ。
それから以後、何かと奴のほうから声をかけてくるようになり、何だかんだと早や十年。
その間に思う事は、奴こと高橋涼介は、人が望む全てのものを当たり前のように手に入れているためか、およそ執着というものがない。それは奴が今まで『恋人』と呼べる存在を作ったことがない事からも伺える。
涼介はもちろん女にはモテる。エサを投げれば誰でも釣れるだろうぐらいモテる。しかし奴の人間に対する許容範囲の狭さはその方面に対しても有効で、いわゆる『大人の関係』を持った人物は多数いたが、『恋人』と言う付き合いをしている人物は皆無だった。
いや、昔一度そんなものを作りかけた事があった。涼介いわく『好奇心』で。だがそれは一度の試しで満足されたらしく、一日にも満たずその関係は終わりを告げた。
涼介が何かに執着を見せたのは過去に一度だけ。
それが車だ。
元々俺の方が車は好きだった。特に、ミーハーだがF1が好きで、セナだとかシューマッハだとか騒いで、逆にあいつに冷えた視線で見られることも多かった。
そんなあいつが変わったのは、高校1年の時。
やけに興奮した面持ちのあいつが俺に差し出したのが、俺がいつも購読しているのとは違うカーマガジン。いわゆるドリフト族と呼ばれる公道レーサー達向けの雑誌だった。
「この車が欲しい」
その雑誌の中に載っていたのがあいつの今の車。色も同じ、白のFCだった。
それから以後のあいつは、今までの無関心が驚くほど車に傾倒していった。十八の誕生日が来るとすぐに免許を一発合格、そして望みの車を一括購入。
この後の話は、群馬の走り屋の間では知らぬ者はいない伝説だろう。
奴の走りに向ける執着は凄く、日本で最高学府である某国立大学、某有名私立大学に優に合格ラインであったのに、教師たちの反対を押し切り地元に残った。もちろん峠のないところへ行くのを嫌った為だ。
涼介にとっては車が中心で、その他に何も代わるものなどなかった。…そう。今までは。 ―あの…少年が現れるまで。
少年の名前は藤原拓海。
彼を見てから、あいつはどんどんおかしくなっていった。
それが如実に現れたのは、藤原とのバトル。全戦無敗できた群馬のカリスマのまさかの負け。俺たちのチームのみならず走り屋すべてに衝撃が走った。そして衝撃も去らぬその日の夜、俺は奇妙な電話を受けた。
「…ふ、フミヒロっ?!た、助けてくれっ!」
それは奴の弟からの電話だった。
「ど、どうしたんだ、啓介?涼介に何かあったのかっ?!」
「ああ、あった!大変なんだ!!アニキが…アニキが…」
「涼介がどうしたんだ、啓介!」
「ウキウキウオッチングなんだっ!」
「………」
彼からの電話の内容を要約すると、どうやら負けたはずの涼介は、なぜかやたらと上機嫌で、彼らしからぬ笑顔と鼻歌のセットまで付いていたらしい。
正直、俺はこのとき啓介の話を真に受けていなかった。酔っているのだと思ったのだ。だが……翌日、俺が見たのは、確かに啓介の言った通りの、親友の姿だった。
「おはよう、史浩。いい天気だな」
その日の空は曇っていた。いや、問題はそこじゃないな。未だかつて、俺は全開の涼介の笑顔と言うものを見たことがなかった。それが今、惜しげもなく晒されている。あいつの笑顔はその日、大学中の話題をさらった。
そして俺は、聞くのが怖かったが、あいつの上機嫌の理由を尋ねた。
「愚問だな、史浩。理由なんて一つしかないだろう?」
このときの言葉の意味は、もちろん負けたことを指すのではないことは分かっている。だがその場合、指し示すものは一つしかないわけで…。
「……藤原?」
その瞬間、見せたあいつの笑顔。あれは一つの芸術だった。俺はあの時、あいつの背後に後光が見えた。
「…いいな、あいつ。すげえ可愛いんだよ…」
うっとり。夢見るような眼差しでそうおっしゃる。
「………」
おれは凡人だ。いたって常識的な判断しか出来ないし、それ以外の領域へ飛び出そうとすれば、貧弱な俺の脳はバーンアウトを起こす事だろう。
俺は何も聞けなかった。そして彼の弟から伝え聞く、悪化していく彼の症状。
…俺は臆病な子羊だ。あえて傍観者というスタンスで、彼を見守ることに徹した。
留まることを知らない彼の行動に、答えが出たのは彼の弟が言うにはクリスマスの日。
啓介言うところの『逆転場外大ホームラン』で幕を閉じたらしい。
そしてさらに、その翌日かかってきた涼介からの電話。
「…実は、お前にだけは言っておこうと思って」
電話の内容を、俺は予想できていた。しかしあえて突っ込まず、「へえ、なんだ?」としらばっくれたのは、か弱い俺の心のためだ。
だが…。
「実はな、藤原と結婚を前提に交際することになって…」
…結婚…???俺の記憶が正しければ、藤原は男だったよな…。そして、日本の法律では、同性同士の結婚は許可されていない…。
……よし。聞かなかった事にしよう…。
「…へえ、それはおめでとう。良かったな」
神様。あなたは俺にどうしろと?友人を止めれない俺をどうか許して下さい。
密かに懺悔する俺に、どうやら救いはあったらしく、年明けて正月。初詣の最中に出くわしたあいつの隣には、キラキラ輝く振袖姿のたおやかな美少女が立っていた。
…浮気か?!
これまた違う理由で焦る俺を横目に、涼介は奴らしからぬ爽やかな笑顔を少女に向けこう言った。
「拓海。史浩だ。うちの外報係を務めている。見たことはあるだろう?新チームでも参加してもらうから、もし俺がいなくて困った事があったら、彼に聞くといい」
涼介の隣の美少女は、彼の言葉に素直に「はい」と頷き、そのけぶるような大きな瞳を俺にじっと注ぎ、ペコリと可愛らしく頭を下げた。
「藤原拓海です。よろしくお願いします」
脳。フリーズ。
あの夏の日から続いた異常な出来事の連続で、磨耗していた俺の神経は、とうとうバーンアウトを起こし、視界は暗転。気がつけば神社の隅にあった迷子専用テントの中で、涼介から連絡を受けた啓介が、同情のまなざしを浮かべて俺を眺めていた。
そして彼からの情報も合わせて知ったのは、藤原が女であること。そして驚きの現役高校生。
「…まあ、なんつーの?ワレナベにトジブタっつーか。うまくまとまったからいいんじゃねえ?」
理論派な兄とは大違いなアバウトな啓介の理屈に、根っからA型気質であるはずの俺も頷かずにはいられなかった。
「正直、藤原があのアニキを抑えてくれるんだったら、俺的には申し分がねえんだけど」
これもまた同意。
そして改めて藤原と言う少女の凄さを目の当たりにしたのと、親友がやはり取り返しも付かないほどおかしくなってしまっていることを実感したのは、それから直ぐの事。
新チームのことで集まったファミレスでの事だった。
バイトが終わらないという藤原を除き、ファミレスにはメンバー全員がそろっていた。
「新しくチームを始動するにあたって、みんなにこの事を守ってほしいんだ」
そう言って奴が手渡した紙に書かれてあったのは『誓約書』の文字。
読んでみれば、何てことはない。「藤原拓海には手を出さない」という事と、「藤原が女であることを他言しない」という内容。
「なんで藤原が女ってバラしたらいけねえんだよ?」
突っ込みは弟から発した。しかしその言葉はメンバー全員の気持ちでもあった。
「…馬鹿な!そんな事をしたら悪い虫が付くじゃないか!その件に関しては、藤原の親父さんにもキツく申し渡されている」
まだ実物の藤原を見ていない他のメンバーは、首を傾げているようだったが、実際目の当たりにした啓介と俺は納得した。確かにアレが、男ばかりの峠に現れたらかなりヤバいだろう…。
「峠では拓海には男のような格好をするようには言ってある。だがそれでもバレることはあるだろうから、みんなも出来るだけバレないよう気を配っておいてくれ」
冷静沈着に、真面目な表情をしているが、言ってることはただの色ボケした男の発言だ。あの涼介が、こんな脳みそピンクな発言をしようとは、俺は彼との十年の付き合いの中で、夢にも思っていなかったよ。
そんな広がる不思議な緊張感の中、聞こえてきたのはハチロクのエキスゾート。メンバー皆の視線がガラスの向こうの外へ向けられる。
そして案の定、やって来たのは噂のハチロク。そしてそこから降り立ったあの少女の姿を見た瞬間、さっきまで不審気だったメンバーの顔に驚愕の色が塗られていった。
藤原は制服姿のままだった。男心をくすぐるセーラータイプの少し臍が見えるぐらいの短めの上衣に、かがんだら下着が見えるかもってくらいのミニのスカート。その下から伸びる真っ白い長いナマ足は、酒が入っていたなら絶対に無意識に触っている。
そんな魅力的な藤原の姿は、俺たちだけではなく他の奴等にも勿論有効であったらしく、車から降りた途端、彼女は駐車場にたむろっていたあまりガラのよろしくない連中に絡まれてしまった。
すわ!一大事!
思わずメンバー全員立ち上がる…が、次に見えた映像に、皆しおしおと股間を押さえて座り込んだ。
藤原に絡んできた人数は3人。そいつらの一人が藤原の肩に触れた瞬間、彼女の長い足が閃いた。
すべては一瞬の事だった。
俺が見たのは藤原の足が、まずそいつの股間を蹴り上げて、うずくまったところに踵落とし。そして2人目の男に裏拳、プラス股間蹴り。そして3人目には正拳突きで鼻を潰し、あげくにまたもや股間蹴り。
その光景を見たファミレス中の人々が静まりかえる中、一人の男が場違いな(本人にとっては正しいのかも知れないが)言葉を発した。
「…俺の拓海は可愛いな…」
うっとり、見つめる眼差しには間違いなくラブがこもっていた。
俺たちは無言で涼介の提示した誓約書にサインした。
そしてその後、ファミレスに入ってきた藤原に、先ほどの顛末の理由を聞けば、さっきまでの大立ち回りが嘘のように、頬を真っ赤に染めて俯き恥らっていた。その仕草に、メンバーの何人かは誓約書にサインしたことを後悔しただろう。
そしてある勇気のある人物、あえて勇者と発言したい。名前は啓介が、藤原にこう問いかけた。
「そういや何でお前、さっきのみんな急所蹴るんだよ?別に蹴る必要のねえのもいたろうが」
思い出すだけで股間が痛い。他のメンバーもそうなんだろう。皆さりげなく股間を押さえ、顔をしかめている。
そして問題発言が、可憐な少女の唇からこぼれた。
「…え、でもああいう、やらしいこと言う人たちには手加減するなって、親父が。―あ、でもあそこ蹴るのは涼介さんが教えてくれました。一番有効だからって」
「拓海は覚えが早くて助かるよ」
………。俺はこれからの新チームの活動に、不安を感じてしかたがない。