不器用な感情
act.1
高橋涼介は完璧な人間だ。
眉目秀麗、頭脳明晰、持ち備えたカリスマ性とリーダーシップ、おまけに家は金持ちとあって、およそ人から恨まれることはあっても、蔑まれるようなことは無い。
だがそれだけの優秀とされる他者の評価を得るために、涼介は並々ならぬ努力をしている。
常に高いプライドでもって、自己を理想とする高みに昇り続けさせてきた。
であるから、他人に対し妬みの感情などを抱いたことがない。
何かを羨ましいと思えば、彼は妬むより先に己の力でもって手に入れてきたのだから。
それは過去、唯一自分の黒星を付けさせた藤原拓海と言う存在にしても同様だった。
初めて自分を負かした少年。
涼介はその才能と若さを羨ましいと思った。
彼に憧憬を感じ、ああは成れない自分を自覚し諦め、けれどせめてあのいつも遠くを見ているような少年の中に自分を刻みたいと願った。
そしてその感情は、思いもかけぬ拓海からの告白によって叶えられた。
「涼介さんが好きです」
プロジェクトの誘いの返事をもらうため呼び出したファミレスでのことだった。
そばに家族連れや年若い男女が入り乱れる店内。決して告白には向かない場所で、涼介が欲した少年は真っ赤な顔で彼には真似のできない大胆な行動に出てきた。
「…め、迷惑なのは分かってるんです…。だから、これでもうプロジェクトに参加できないなら仕方ないって思ってます。…でも、…俺は…嘘つくの嫌だし…」
涼介は拓海の告白を聞きながら、いやに冷静に気持ちでいたのを覚えている。
確かに拓海の告白には驚いた。けれど同時に計算高く、この感情を利用し目の前の少年を自分のものだけに出来るという打算があった。
だから頷いた。
恋心なんてものではなく、ただ拓海が手に入るならそれでいい、そんな感情だけで。
「いいよ」
「えっ?」
涼介の返事に、拓海は俯いていた顔を上げた。頬は真っ赤に染まって、混乱から潤んだ瞳のその顔はどんな女よりも涼介の心をざわめかせた。
「いいよ。付き合おう。恋人同士になろうって言ってるんだが…嫌なのか?」
「い、嫌って言うか…でも、俺、別にただ知ってもらえれば良かったから、付き合うとかそんな、想像したことなくて…」
大胆なくせに、今時の高校生とは思えない純真な反応を見せる拓海に、思い付きで返した言葉ではあったが、自分の直感もあながち間違いではないなと自負した。
「想像した事が無い?本当に?少しでも、俺と一緒にいることを考えなかった?」
口ごもり伏せた顔に、涼介は拓海の答えを知る。
「それとも…藤原の好きは、尊敬の好きで、別に恋人としての好きじゃないのか?」
「違います!俺は…好き…です。その、そう言う意味で…」
「キスしたり、セックスしたりの好き?」
わざと露骨な言葉を口にすると、拓海は首まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
素直なその反応に好奇心を誘われ、もっと彼の反応を見たいと思った。可愛くて、もっと色んな顔が見たくて意地悪をする。
真っ赤になってしまった拓海は、涼介から目を逸らしたままで答えた。
「…そ、そうです」
小さな、蚊の鳴くような声で呟かれた返事。涼介は拓海の手を取り、その指にキスをした。周りの目など気にならなかった。臆せず、自分に告白した拓海への対抗心もあったのかも知れない。
親しい人間にも滅多に見せない、満面の笑みを見せる。
「奇遇だな」
拓海の手を取って気が付いた。大胆な振る舞いに出た割に、ずっと拓海の体は小刻みに震えている。そのアンバランスさが、さらに涼介の興味を煽った。
「俺もそう思っている」
上目遣いで見上げてやると、拓海は目元を火照らせた固まっていた。
けれどすぐにその強張りは解け、次に現れたのは羞恥ではなく怒りだった。キッと自分を睨み、涼介の手を振り払う。
…面白い。そう涼介は思った。
「…か、からかわないで下さい!」
からかってはいない。だが本音でもない。
そんな自分を包み隠しながら、涼介はまた微笑む。
「言っただろう?俺は藤原拓海が欲しいって」
「あれは…走りだけで…」
「走り、もな。けれど、心も体も手に入るなら欲しいよ。俺は、藤原拓海の全てが欲しい」
拓海の顔を見つめる。そこには、信じたい、けれど信じたくないという葛藤が溢れていた。意外と顔に出やすい。これならそう労せず彼を自分の手中に出来る。そう思い、また笑みを深くした。
「覚えておけ。俺は貪欲なんだ。一年かけて手に入れようと思ったものが、今手に入ると言うなら、もう躊躇はしない」
笑みを引っ込め、獣が獲物を狙う表情でそう言うと、拓海の顔から戸惑いが消え、自分への怖れが現れた。自分だけを見つめる目。それにたまらない喜びを感じる。
「行こう」
拓海の腕を取り立ち上がらせる。
「…どこへ行くんですか?!」
躊躇いと、怯えの浮かんだ目を見つめる。逃がしはしないと熱を込めて。
「セックスするんだよ」
恥じらいの欠片もなくそう言うと、色を失っていた拓海の顔にまた朱色が戻る。
「ふざけないで下さい!」
振り払おうとする腕をさらに強い力で握り締める。
「ふざけてないさ」
面白い。この少年は面白い。次にはどんな顔をするのか、全部見てやりたい。
「今ここで俺にキスをされるのと、二人きりでセックスするのと、どっちが良い?」
「そんな…!」
「それか…俺の手を離し、もう二度と会わない。言葉もかけない」
ビクリ、と拓海の体が震えた。
困惑した瞳、その感情を自分が彼に浮かばせたものだと言うのが楽しい。
「…藤原、どれを選ぶ?」
拓海の答えは知っていた。知っていてわざと彼を嬲った。猫が鼠を追い詰めるように、いたぶって逆らう気力を失くさせ、全てを自分の手中に収めるために。
拓海は涼介の腕を握り締め返した。
そして俯き真っ赤な顔で言った。
「…二人きりで……」
涼介は微笑んだ。
拓海のようにはなれない自分を涼介は知っている。
だからこそ、自分の手中に収め、支配下に置きたかった。
それが今成功した。
拓海の腕を取り、そのまま二人きりになれる場所へと涼介は車を走らせ移動した
性欲は反射であると涼介は考えている。
感情など無くてもセックスは出来る。
そう言った状況に陥れば、過去の経験から体が勝手に反応する。
とは言え、同性相手にするのはもちろん初めてで、拓海を嬲るために発した発言であったが、いざ事に及ぼうと言う時、涼介はちゃんと欲情できるのかを危惧した。
だがそれは杞憂だった。むしろ、同性同士と言う未知の行為であったため、好奇心を煽られ、また色んな表情を見せる拓海に魅せられ、今までで最高と言っても良い感覚を得られた。
ぐったりと、シーツの上に横たわる拓海に手を這わせた。行為に慣れない体と心。そんな相手にやりすぎた感はあったが、後悔は無い。
涼介の予想よりも初心な仕草に煽られた。またしたいと思うほどに。
白い肌の上の、自分が付けた赤い跡に唇を寄せる。
扇情的な鎖骨の上を舐め、歯を立てると敏感な肌はビクビクと震えた。
「…や、…もう無理…」
抵抗する腕の力が弱い。泣かせ過ぎたおかげで目は腫れている。
あの秋名のハチロクの、こんな弱々しい姿など誰も知るまい。涼介だけだ。涼介は微笑み、そこにまた新たな跡を残した。
「…もうしないよ。さすがにね」
体を起こし、拓海の髪を撫で、涙の浮いた眦を舐める。
「でも、これで分かっただろう?俺が貪欲だって」
涼介の言葉に、先ほどまでの行為のことを思い出したのだろう。頬を染め目を逸らし、けれど渋々と言った感じで拓海は頷いた。
「からかっても、ふざけても無いよ。俺は本気だ」
確かに本気だ。嘘はない。ただ彼に対する感情が恋ではないだけ。
「俺の全てをやるよ。だけど、その代わり藤原の全ては俺のものだ。分かったな?」
命令すると、自分に身を預けた拓海が、嬉し涙を浮かべ抱き付いてきた。
その体を抱きしめ返しながら、涼介は思ったよりも上手く言ったなと満足感を覚えた。
そしてそれからも、涼介はわざと拓海を煽った。
自分に夢中になるように。
冷たくしたかと思うと甘やかし、わざと彼の前に昔の恋人の痕跡を見せつけて嫉妬させる。
「今はお前だけだよ」
と囁き、不安でいっぱいになった拓海を、甘く崩すのが好きだった。
いつだって、どんな時も、だから自分が主導権を握っていたはずだ。
拓海に限らず、他の何もかも。
だがそれが崩されたのは、たった一枚の写真によってだった。
手に取った写真をまじまじと見る。
何の変哲も無い写真だ。
よくある光景だとも思う。
ただし、それを見る自分の心は普通ではなかった。
拓海の部屋で、彼の小さい頃からの写真が収められたアルバムを眺めながら、あどけない彼の表情や成長ぶりを微笑ましく見ていた涼介の心が一転凍りつく。
じっと見つめたまま動かない涼介に、拓海も漸く気付いたようで、不思議そうに首をかしげながら涼介の背後からアルバムを覗き込む。
「涼介さん?どうしたんです…か…って、あっ!」
きょとんとしていた拓海の顔が真っ赤に染まり、涼介の手からアルバムを奪い取る。
「こ、これは、その……」
涼介の目からアルバムを隠し、頬を赤らめたまま気まずそうに言いよどむ拓海を涼介は見つめた。
その表情と、オーバーラップするようにさっき見た写真が重なる。
ちょっと照れたように、けれど涼介には決して見せない男の顔で、同年代の少女と腕を組む水着姿の拓海がいた。
二人は海にでも行ったのだろう。柔らかそうな少女の体と並んだ拓海の、ほどよく筋肉のついた体が明るい太陽の日差しの下で晒されている。
よくある写真だ。
普通の男女のデート風景。
ただそれだけの筈なのに、涼介はショックを受けていた。そしてそんな自分が信じられないし、認めたくも無い。
自身の心を押し隠し、明るい声で拓海に振り返る。
「何だ、いいじゃないか。俺は別に気にしてないぜ。それ、前の彼女か?」
初心な反応を見せる拓海の様子から、てっきり自分が拓海の初めての恋人だと思っていた。だがそうじゃなかったと知って無性に悔しい。
涼介の反応に、ほっとしながらもどこか寂しそうな拓海の顔を、笑顔を作ったまま見つめる。
「…つ、付き合ってたって言うか…ちょっと…」
別に拓海は言わなかっただけだ。なのに何故、自分がこんな騙されたと感じてしまっているのだろう?
「隠すなよ。俺なら気にしないぜ。それに、俺が拓海と会ったのが18の時だろう?それぐらいの年で、誰とも付き合ったことが無いほうがおかしいだろう」
顔が引き攣らなかったのは高すぎるプライドの故だ。拓海に、自分がたかがこんな事で動揺しているだなんて悟られたくなかった。
「…そんな事ないですよ。この年でも誰とも付き合ったことがない奴なんて、いっぱいいます」
「そうか?」
「そうです。…涼介さんはモテるから、分からないでしょうけど…」
じろりと睨み返してきた拓海のその顔に、過去の自分の恋愛遍歴への嫉妬を見つけ、ざわめいていた心が凪いだ。
「まぁ、確かに…。そう言う相手には不自由しなかったけどね」
わざと拓海を不安にさせるような事を告げる。彼の目が自分を縋るように見つめてくるのが心地好かった。
そうだ。
拓海がそんな目で自分に縋ってくるのが正しい。
決して自分は、拓海の過去の女を知ったぐらいで動揺はしない。
揺らいだ大きな瞳を見つめ返しながら、涼介は拓海の肩を抱く。もう手に馴染んだ、しっかりと骨ばった男の体。だがこの体の上の肌が、熱を持ち始めると、どんな女よりも艶やかに染まり吸い付いてくるのを涼介は知っている。
「俺は拓海が今はもう俺のものだって知ってる。拓海も、そうだろう?俺が誰のものか、嫌ってほど分かってるんじゃないのか?」
不安を消すように、拓海の耳に甘い言葉を注ぎ込む。
揺らいでいた拓海の瞳に熱が宿る。今度は熱情に揺らめき、涼介を魅了する光を発し始める。
「…不安なんです。涼介さん、すごいカッコいいし…モテるから…」
…そうだ。ずっと不安に思っていればいい。
涼介の中に生まれたばかりの澱が、拓海のその言葉で消える。
「俺には拓海だけだよ…」
けれど心に宿った感情は消えたわけでは無い。奥底に沈み、火種として残った。
その火種が、性急に拓海を組み敷き、自分の部屋であるせいで声を押し殺す拓海をわざと焦らし、失神するまでに攻め続けさせた。
そして意識の飛んだ拓海が横たわるベッドから抜け出し、涼介は感情のままに苦虫を潰した顔で、アルバムに手をかける。
その中の目当ての一枚を取り出し、涼介はビリビリに引き裂きゴミ箱の中に捨てた。
胸がスッとした気がした。
けれど涼介はそれがどうしてなのかを分かろうとしなかった。
2006.5.11