エキセントリックラヴァーズ
act.1 弟はツライよ編
啓介は経験上知っている。
兄である高橋涼介が、自分のことを
「オニイチャン」
と呼ぶ時には恐怖が待っていることを。
「お兄ちゃんは考えたんだ」
あの伝説ともなった彗星の初の黒星。
周囲の心配を余所に、負けた当人である兄の心境はどちらかと言えば良い方で、啓介他チーム全員を安堵させたものだが、その機嫌は日を追うごとにどんどん下降していった。
一週間も過ぎると、家庭内に台風か地震の元である大ナマズが住んでいるような有様だ。
イライラし、奇声を発し暴れ、かと思えば不気味な笑いを漏らす。
啓介は、勝利続きの兄の人生初の黒星に、兄が壊れてしまったのかと本気でカウンセラーに相談しようとしていた矢先だった。
帰宅した啓介を玄関先で待ち伏せ、突然兄はこう言ったのだ。
「お兄ちゃんは考えたんだ」
脈絡もなく。
啓介は過去の経験から、兄が「オニイチャン」と呼ぶときには恐怖が待っていることを知っている。
これは前フリなのだ。
啓介を「パシリ」にしようとする涼介の。
そしてそれは逆らえない。
これまた、過去の経験からしっかりと学んでいる。
覚悟の溜息を吐き、啓介はやたらと冷たいものを感じる笑顔を見上げ口を開いた。
「……何なんでしょうか、オニイチャン…」
ニコリ、と涼介は笑う。
背中に悪寒。
「お兄ちゃん、最近機嫌が悪かっただろ?情緒不安定みたいになってたよな」
ハイ。ヤベー感じになってマシタ。
本音はこうだが、口にするにはコレ。
「あ〜、まぁ……」
「だろ?その原因をお兄ちゃんなりに考えたんだけどな…」
来るぞ。ぜってぇ来る!
啓介は覚悟した。兄からの無理難題を。
そしてそれは啓介の予想を遥かに超えていた。難易度Sだ。
「お兄ちゃん、どうも藤原が足りてなかったみたいなんだ」
目をパチクリと見開き、大きな声で叫んだ。
「ハァ?!!」
そんな啓介の動揺もお構いなしに、涼介はニコニコと話を進める。
「あの運命の日から…」
あの日って、アニキが負けた日か?
「俺はどうやら藤原無しでは生きていられない身体になってしまったようだ…」
マジ?真剣ですか?
「日一日を追うごとに、藤原が足りなくて死にそうなんだ」
フジワラ…フジワラってアレだよな。
「いわば俺は、藤原中毒になってしまったようなんだ」
や、中毒って言うか、それってさ…。
「だから啓介」
何でそこで「だから」?
「お兄ちゃん、助けてくれるよな?」
……イヤだ。
そう言えないのが弟の辛さ。
そして分かりきっていながら、改めて確認をする。
「アニキ」
「何だ?」
「フジワラって…あの藤原拓海?」
「俺が中毒になってしまうような藤原がアイツの他にいるのか?!」
や…そんな怒られても。
そして自信を持って、「いない」と答えられる。
「…い、いねぇ…」
「そうだ。いるはずが無いんだ!」
…そっすか。
「だから啓介。このお兄ちゃんの為に、藤原を供給して来い!」
そう叫んだ兄の手には兄の携帯。
意図が分からずキョトンと首をかしげると、兄は「チッ」と肝が冷えるような舌打ちをした。
「察しの悪いヤツだな…これで藤原の姿を撮って来いと言っているんだ!」
「ハァ、何で?!」
無駄と知りながら思わず言い返した啓介に、昔から何度も言われた兄の言葉が返ってきた。
「弟だからだ!!」
そして携帯を渡され、押し出された啓介の前で玄関の扉がバタンと閉まった。
「何でだよ、アニキが行けばいいじゃねぇか!!」
バンバンと扉を叩き、それでも渋る啓介を動かしたのは兄のこんな叫びだった。
「馬鹿が!」
「恥ずかしいじゃないか!!!」
確かに。
確かに…恥ずかしいかも知れないと啓介は思ってしまった。
その行為が、ではなく。
そんな行為をする「兄が」である。
だから。
だから啓介は大人しくまだエンジンが暖まったままのFDに乗り込み、やけに険しく感じる渋川への道のりを走った。
2007.11.18