白い雪が降る夜に

act.2


 かくして。
 コタツの上には鮮やかな色彩の豪華料理の数々と、何故か茶色い色彩の煮物にお味噌汁。
 そして、
「藤原、フォークはないか?」
「いえ、うちそういうのないんで…」
「じゃあ、割り箸でいいか」
 パキリと割った割り箸で食べる食卓。
 どこからどう見ても、おかしな組み合わせなのだが、涼介は全く気にしていないようだった。
 と言うより、拓海にはなぜ涼介とこんなふうに食事をしているのか分からない。
「美味いな、この煮物」
「そ、そうですか?」
 …普通だと思うんだけど。嬉しそうに煮物を摘む姿は拓海にとっては不思議でしかない光景だ。
 だが、嬉しそうな彼を見るのは拓海にとっても楽しかった。
「ああ、美味い。藤原はきっといい嫁さんになるだろうな」
「そんな…」
 たとえお世辞とはいえ、好きな相手から褒められるのは嬉しい。しかも嫁だなんて……って、嫁??
 ふと、拓海は自分の姿を振り返る。
 帰って来て着替える間もなく食事。
 今日は学校が終わってすぐにバイトに入った。
 だから服装は制服のまま。必然的に今の服装も制服のままだ。
 そして制服は、拓海が唯一持っているスカートでもあるのだ。
 つまり…。
 突然気付いた事実に、拓海は動揺して箸を落としてしまう。
「藤原、どうした?」
 こちらを縋るように見つめ、固まったままの拓海に涼介もいぶかしみ声をかける。
「あ、あの、た、高橋さん…その、私、あの…」
「うん?どうした、落ち着け」
「その…だ、黙っててごめんなさい、あの、騙すつもりとかなかったんですけど…でも…」
「騙す?一体何のことだ?」
「…あの、お、女ってことを…」
 ようやく、涼介の顔にも理解の色が上る。
「ああ、その事か。いや、俺のほうも気付かなくて悪かったよ。今、思うと、こんな可愛いのに何で女だって気付かなかったんだろうな…もっと早く気付いていれば、他の攻め方も…」
「え?」
「…いや、何でもない。それより、もしかして、チームの参加への返事を迷っているのは、その事もあったのか?」
「え、と、それもちょっとありますけど…」
「そうだな。確かに藤原のような可愛い女性が、あんなケダモノのような男ばかりに混じるのは不安だろう」
「…か、可愛いって、そんな…」
「だが安心してくれ。藤原は俺が守るから」
 にっこりと微笑まれ、あげく手をぎゅっと握られる。拓海は真っ赤になって俯いた。
 だがすぐに、その握られた手を持ち上げられ、拓海は驚き顔を上げた。
 そこには眉根をしかめた涼介の顔。そしてその眼前には、自分の荒れた指があった。
「あ……」
 荒れた指を見られた恥ずかしさに、拓海は手を引っ込めようとするが、涼介の握る力は弱まらず果たせない。
「ひどいな、これは…。痛いだろう?」
 心配そうな声に、余計拓海はいたたまれず泣きそうな顔で俯いた。
「薬はちゃんと塗っているのか?」
 拓海は無言で頷いた。
 きっと彼の周りには、爪の先まできれいに整えた人ばかりなのだろう。自分のこんな荒れた手を見られるのは、恥ずかしいのもあるが女として情けなかった。
「…み、水仕事が多いんで、冬場はどうしても…」
 蚊の鳴くような小さな声でそう答える。涼介は項垂れる拓海の頭を見つめながら、優しくその手を自分の手のひらに包み込んだ。
「た、高橋さん?!」
 その温かな熱に、拓海はこれ以上染められないほど顔を赤くして、手を引き抜こうとするのだが涼介の笑顔と、意外と強引な指の力に阻まれる。
 そして、
「…早く治るといいな」
 慈しむような眼差しに、拓海はもがくことを諦めた。
 きっと彼は医者を志す人間として、こんな治療の必要なほど酷い指先をほっとけないのだろう。これはその使命感からきたものだ。そう思い込もうとしても、嬉しいと感じる心は止まらず、繋いだ指先に縋りたい気持ちが生まれてくる。
 だけど。
 必至に拓海は自分を押し留める。
 調子に乗ってはいけない。
 自分みたいのを涼介が相手にするわけはないのだから。
「た、高橋さん…」
「ん?」
「あの…指、もういいですか…?」
「あ、ああ…悪い。これじゃ食べられないな。すまない」
 指が離され、彼のぬくもりが消えていく。拓海はそれに寂しさを感じるが、ぐっとそれを堪えた。
 だが。
「そうだ、藤原に言いたかったことがあるんだ」
「なんですか?」
 必至に拓海が自分の心を押し留めようとしているのに、なぜか涼介がやけに拓海に触れてきたり、近付いてきたりする。
 そして、
「高橋さんは止めてくれ。俺のことは名前で呼んでほしいな」
「え、ええっ?」
「ダメか?」
「…そ、そんな…」
 どぎまぎしながらも、哀願するような涼介の眼差しに、おそるおそる拓海はずっと心の中だけで呼んでいた名前を口にする。
「…りょ、涼介さん…」
「ああ。いいな、藤原にそう呼ばれるのは」
 心底嬉しそうに笑う涼介に、拓海は気分を害しなかったかとほっとしたが、次の涼介の言葉に再び動揺してしまう。
「俺も、拓海って名前で呼んでいいか?」
「え、ええっ!」
 もうさっきから拓海にとっては驚きの連続で心の休まる時がない。
 ここにいる涼介は本物の涼介なのだろうか?
 真っ赤になったまま下がることない顔の熱をもてあましながら、拓海は涼介が薦めるままに、彼の持ってきた料理に箸を進める。
 色彩的にも美しい、見るからに豪華な料理は、涼介の言うとおり確かに拓海の舌を満足させた。
 初めて味わう味に、興味深くレシピを探りながら舌に乗せ、その美味さに感嘆しながら咀嚼する。
 拓海にとって、生まれて初めてのクリスマスの豪華ディナーだ。
 だけど、それを持ってきたはずの肝心の涼介は、拓海の家の残り物の煮物なんかを美味しそうに摘んでいる。
 本当にあれでいいのかな?
 そう不安に思うのだが、涼介の嬉しそうな顔を見ていると、あれでいいみたいだと納得した。
 きっと、お金持ちの人だから、ああいう料理が珍しいんだろうな…。
 そう思って。
「最高のクリスマスイブだな。ありがとう、拓海」
「い、いえ、そんな、こちらこそ…。その、うちクリスマスとかしたことなかったから、すごい楽しかったです」
 食事の後にはケーキもあるという。
 小さな二人用のデコレーションケーキは、近所のケーキ屋では絶対に見られないような、華麗な装飾が施されたものだった。
 ツリーを模した飴細工にチョコレートの飾りと白い粉砂糖が雪景色のように降られている。その上にキャンドルが立てられ、食べるのが惜しいくらいに美しい姿をしていた。
「すげぇ…きれい…」
 思わず漏れた呟きに、クスリと笑われて、拓海は自分が声を発していたことに気が付いた。
「拓海が気に入ってくれたみたいで良かった。色々迷ったんだが、あまり派手なものよりも、こういったシンプルなほうが好きかと思ったんだが、どうやら正解だったみたいだな」
 …こ、これでシンプル?
 確かにゴテゴテした飾りはなく、クリームも過剰に乗った造りのものではないようだが、拓海にとっては十分すぎるくらい目の前のケーキは豪華なものに見えた。そんなところに、価値観の違いを感じ拓海はほんのり落ち込んだ。
「拓海、どうした?」
「あ、いえ、何でもないです…。それより、ロウソクに火、付けましょうか?」
 ごまかすように、拓海はそばにあった父親のライターを手に取った。涼介は怪訝そうな顔をしたが、すぐに微笑み頷いた。
「そうだな。きっときれいだろう」
「じゃ、付けますね」
 慎重に蝋燭に明りを点けていく。
 ぽうっと灯った炎に照らされ、飴細工が鈍い、しかし柔らかな色に輝き光を放つ。
「…電気を消したほうがもっときれいに映えるんじゃないか?」
「そうですね。きっときれいかも…」
 立ち上がった涼介の腕が、釣り下がった蛍光灯の紐を引っ張る。
 暗くなった部屋の中、蝋燭の頼りない明りだけが点っている。
「…なんか、停電したときみたい…」
 ぼんやりと、蝋燭を眺めながら呟く拓海に、クスッと涼介のしのび笑う声が聞こえた。
「何だそれ、ムードねぇなぁ…」
 意外と近くに聞こえた声に、何気なく隣を見れば、驚くほど近くに涼介の体があった。触れた腕の近さに、ビクリと震えて身を引いた。
 だが拓海が引いた分、涼介がまた体を寄せてくる。
 間近に見える彼の顔に、拓海は自分の激しくなる鼓動が聞こえるかと心配になった。
「拓海、火、吹き消して」
「え、あの、涼介さん、やって下さい…」
「じゃ、二人でやるか?」
「えっ?!あの…」
「嫌?」
「…じゃないです…」
 …死にそうだ…。
 きっとこのまま呼吸困難で死んでしまう。
 それか、心臓が早く動きすぎてオーバーヒートする。
 頭はもうクラクラで、まともな思考なんて出来るはずもない。
 拓海は、促されるままに蝋燭に向かい息を吹きかけた。
 二人分の息はすぐに頼りない明りを放つ蝋燭の火を消し、部屋の中に暗闇が広がる。
 窓の外には白い雪。
 暗い夜の中でも、雪の白さは闇夜に明るく映える。
 拓海の視線が、その雪の白さに奪われた瞬間、それを遮るように暗い闇が迫った。
「…えっ…?」
 それが近付く誰かの顔で。
 唇に触れる生暖かい感触が、誰かの唇で。
「好きだ、拓海…」
 耳元に囁かれた声は、夢の中でしか許されなかった言葉を注ぐ。
 ちゅっと軽く吸い付いた唇は、拓海の唇に濡れた感触を残し離れた。その瞬間、拓海は離れていくそれに、追い縋りたい自分を感じた。
 何が何だか分からない。
 闇に慣れ始めた拓海の見開かれたままの目に、目の前の人物が映る。
 それは紛れもなく、あの涼介で。
 そして間違いでなければ、彼が自分にキスをして、そして…。
「拓海が…藤原が好きなんだ」
 真剣な声音で、自分に告白をしている。
 これは夢だろうか?
 クリスマスに起こった、有り得ない夢だ。
 生まれて初めてもらうクリスマスのプレゼントが、こんな幸せな夢だなんて嬉しすぎる。
 夢だから…、ずっと押し殺していた気持ちを溢れさせても構わないだろう。
 拓海は目の前にいる涼介に縋るように手を伸ばす。すぐに彼はその手を掴み、自分の体に引き寄せる。
 頬に感じる涼介の服の下の胸の感触。そこからは拓海と同じように、早鐘を打つ心臓の音が聞こえていた。
「…ずっと好きだったんだ」
 その言葉に、コクリと頷くと、彼の心臓の音が大きく跳ねた。
「…私も、好き…涼介さんのこと、ずっと好き…」
 囁くような小さな声だった。けれどしっかりと涼介の耳には届いたようで、抱きしめる腕の力が強くなる。
「…拓海…」
 再び唇が重なり、今度は前よりも激しく唇を吸われ、こじ開けるように侵入してきた舌が、拓海の口内を蹂躙する。
「う…ぅむ……ふぅ…」
 塞がれた口からは吐息のような声と、互いの唇と舌が立てる水音しか聞こえない。
「は、ぁあ、苦し…っ涼介さ…」
「拓海、口で息をするな。鼻で呼吸して、そう…」
 ハァハァと荒い呼吸をする拓海を宥めさせ、落ち着いたころに涼介に舌がまた侵入してくる。
 拓海はその動きに翻弄され、頭の中には霞がかかり、もう自分が畳の上に寝転がっていることさえ気付かなかった。
 バサリと服を脱ぐ音が聞こえ、仰向けに横たわる拓海の上に、大きな固まりのような影が覆いかぶさってくる。それが涼介であることを認識できたのは、また激しいキスをされてから。
 キスと言うものがどんなものか、彼に恋をしてから夢想したことはあった。
 拓海の乏しい想像力と、偏った知識の中ではキスは触れ合うだけの可愛らしいもの。
 だが今、されているキスは例えるならば嵐のよう。
 激しく強引に拓海を引き寄せ、もう戻れない遠くにまで連れ去ろうとしている。
 ぞくぞくと、快楽の片鱗さえ知らなかった身体に、沸き起こる官能の燠火。堪えきれず、身を捩ると、フッと彼が笑った気配が暗闇の中に広がった。
 そして。
「…あ…」
 抱きしめるだけだった彼の腕が拓海の身体を這い回る。
 強張った拓海の身体を宥めるように優しく撫で、そして、ゆったりと服の中へと滑り込んでくる。
 素肌に、感じる彼の指の感触。
 そろそろと這い上がってきた指が、拓海の下着の中へと入り込もうとしたその瞬間。
 その生々しい指の動きに…。
 …拓海は我に返った…。
 そして、驚いた頭は口よりも、腕よりも、何よりも早く、
「う、うわあっ!!」
 足が出た。
「…!!」
 ドン、と勢いよく涼介の身体が拓海の上から吹き飛ばされ、慌てて電気を着けた拓海が見たのはところどころ服がまくれ上がり着崩れた自分の姿と、
「…りょ、涼介さん?!」
「…………」
 半裸の姿で股間を押さえ、脂汗を流しながら蹲るカリスマの姿だった…。




2005.12.25

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