半端者の恋
act.3
高橋啓介は憤っていた。
彼には兄がいる。
3歳年上の兄は、プライドばかりが高く他者を見下す傾向の多い上級種の世界の中で、混ざりものと言うだけで貶められている。
啓介にとって涼介は自慢の兄だ。
勉強や対人関係など、何かと不出来な自分と違い、完璧にこなし、さらにそれに対し驕ることなく常に謙虚。
尊敬する兄が見下されているこの世界に苛立ちばかりが募る。
そして啓介が今何より憤っているのは自分の両親に対してだ。
両親は迫害視される兄が心配なのだろうが、見合いを何度となくセッティングしてくる。
それが兄にとってどれだけ苦痛か、啓介は良く知っている。
両親が選ぶ見合いの相手は、主に上級種が多い。そのため混ざりものの兄に対し侮蔑の視線を投げかける。
あんなに完璧で尊敬すべき兄が、理不尽に貶められるのだ。
どんなに啓介が涼介を励ましても、涼介の自己否定は止まない。見合いはそれをさらに増長させる。
だから啓介は今回もイライラしながら兄の帰りを待った。
無駄かと思いながらも、傷ついている兄を励ますために。
だがしかし。
「ただいま」
とドアを開けた兄の声は暗いものではなかった。
いやむしろ。
明るかった。
浮かれていると言って良いほどの明るさだった。
啓介は今まで、兄のそんなご機嫌な声を聞いたことが無かったので驚いた。
耳を疑い、おそるおそる玄関へ向かうと、そこにいたのはやはり兄だった。
「あ、にき?」
涼介は笑顔だった。
「ああ、啓介。もしかして心配してくれてたのか?大丈夫だよ、今回は」
にこにこ。
どんよりとした影が似合っていた兄の、影の部分が消え何やらキラキラしている。
これはどう言うことなのか。それを察せないほど啓介も鈍くない。
「えと、・・・もしかして今回の見合い相手、良い人だった・・・とか?」
啓介は今回の見合い相手の情報を一切知らない。たぶん涼介も知らなかったはずだ。
見合いに期待していない彼らにとって、情報はただの傷の先払いにしか過ぎない。
だから知る必要も無かった。傷を受けるのは1度で良い。
どうせ両親が用意する相手など、上級種のお高く留まったお嬢様に違いないと、そう思い込んで。
だが涼介のこの反応を見る限り、どうやら相手はそのパターンから外れるらしい。
啓介の質問に、涼介が楽しそうに笑った。
「うん。良い子だった」
パァァァァァ・・・と。
見間違いではなく確実に兄から光が放たれた。
何だこの光は?
兄の特殊スキルだろうか?
啓介は思わず手で目を庇う。
「人狼の子だったんだが、まだ高校生でね。結婚には早いよな。卒業まで半年か・・・。卒業と同時に結婚だと焦りすぎかな?」
いや、会った初日で結婚とか焦りすぎでしょう。
ぶつぶつと何やら呟く兄に目を細め、啓介はどんどん冷静になっていく心で兄を観察した。
「じ、人狼って、今回はやけに下級種・・・」
あの両親が用意したにしてはやけに庶民階級の種族、思わず呟いた啓介の腹に、激痛が走った。
どす。と、鈍い音とともにまず先に嘔吐感。続いて痛みが全身を巡る。
鳩尾を殴られたのだと、気付いたのは目の前の兄がまっ黒なオーラに包まれているのを見た時だった。
「下級種、だと?種族で人を差別するのか、啓介?お兄ちゃんはそんな驕った考えをお前に教えたかな?」
にっこり、さっきまでのキラキラ笑顔と全く違う黒い笑顔で啓介を見下ろす兄は・・・悪の権化に見えた。
「イ、 イエ・・・馬鹿にしたわけじゃなくって・・・ただ、いつもと違うなぁ、って・・・」
ビクビクしながらそう絞り出すと、また兄のオーラがキラキラに戻る。
「ああ。全然違う。可愛くて、とても良い子なんだ」
瞬間、涼介から漂うフェロモン。
自分たちの両親は確かに吸血鬼と竜人。
啓介は竜人の血を引き、強靭な身体能力と他者を威圧するほどのオーラと力を有している。
吸血鬼は魅了の力と魔力を持つが、身体的には脆弱なはずなのだが・・・今、兄から感じるのはその両方の優れた血の力。
威圧感満載な上に、フェロモン過多。
おっかないのに魅了されてしまうと言う・・・ナニこの魔王仕様?
今まで兄は、混ざりものと言う事で迫害されていたわけだが、前向きに考えるとこれは凄い事なのかも知れない。
両者の特性を両方兼ね備えた、これはある意味新種、いや、進化だ。
呆然とする啓介を尻目に、涼介の見合い相手自慢は続く。
「笑顔が可愛いんだ。おっとりしてるように見えるけど、人狼だからかな、気が強いところもあって、そこが魅力なんだ。俺がデートに誘うと、真っ赤になってうろたえて、いやぁ・・・可愛かったなぁ」
兄が前向きになったのは嬉しい。
その付属として、おっかない魔王仕様になったのは・・・まぁ、予想外だが許容範囲。
だが目の前の兄には、どうも溺愛フラグまで立っているらしい。
この恋が、もしも壊れてしまったらこの兄はどうなるのだろう。
魔王が世に放たれてしまうのだろうか?
啓介は最悪の予想を振り払うように、何度も首を横に振る。
そんな啓介を尻目に、涼介は何やらスマホを取り出し、ニヤニヤしながら画面を見つめだした。
どうやら、今日の見合い相手の写真を撮ってきたようだ。
何気なく、横からその画面をのぞき込み、啓介は人生で最大の驚愕を覚えた。
「あ、アニキ・・・それ・・・」
横から覗いていた啓介に、涼介はニコニコと満面の笑顔で画面を差し出した。
「な。可愛いだろう。拓海って言うんだ」
画面に映っていたのは、どう見ても学ランを着た少年。
男にしては線が細く、目も大きくて確かに可愛い容貌をしているように見える。
「明日デートに行くんだ。何を着ればいいだろう、啓介?」
満面の笑顔で、そう問いかけられたが、啓介は何も答える事が出来なかった。
ただ、握りしめた自分の拳が、じっとりと湿っていくのを、啓介は呆然としながらも感じていた。
藤原文太は混乱していた。
その端を発したの昨日。
ま、何とかなるだろう。
そんな軽い気持ちで行かせた息子(娘)の見合いが成功したことから始まる。
文太は、母親が人間と言う事で、拓海が誹謗中傷を受けていることは知っていた。
だが自分がつがいに選んだ相手を卑下する事は決してしたくない。いや、むしろ誇りだ。だから息子にもその血を受け継いだ事にプライドを持って欲しかった。
多少、性別があやふやではあるが、それもまた個性だ。
拓海は自己否定はしないが、自分に誇りを持つ事も無かった。
『どーせオレなんて人間との雑種だし、誰も相手にしないだろうし』
そんな言葉を呟いていたのも知っている。
だから文太は考えたのだ。
噂に聞く、上級種のキメラの存在。
自分と同じように混ざっている相手と会話をする事で、息子(娘)に変化が訪れる事を。
それは些細なもので良かった。
意識が少しだけ変化するだけで良かったのだ・・・が。
「ど、どどどど、どーしよ、親父ぃ。明日涼介さん迎えに来るって!!」
支離滅裂な息子の話をよくよく聞けば、どうも噂の相手に気に入られたらしい。
予想外だが・・・まぁ、結果オーライかもしれない。
息子(娘)もどうやら照れているだけで、嫌がってはいないようだ。
自分がセッティングしたものではあるが、いざこうなると男親として多少複雑な感情が生じているのは仕方ないだろう。
だが何より息子(娘)の幸せが一番だ。
苦労するだろうと知っていながら妻との間に子を儲けた。
後悔は無いが、いらぬ困難を背負わせた我が子への負い目はある。
混ざりものとして亜人の世界から迫害され、人間の世界にも馴染めない息子(娘)の未来をずっと陰ながら心配していた。
だがつがいを見つけたのなら。
共に頑張れる相手を見つけたのなら、きっとこの先も強くあれるだろう。
そう思い、ホッと安堵しかけた文太だが、拓海の言葉通り、翌日迎えに現れた「涼介さん」とやらを見たときに違う不安が沸き起こった。
「初めましてお義父さん。高橋涼介と申します」
にっこり。
真っ白いスポーツカーで現れた涼介に、文太の口からいつも咥えている煙草がポロリと落ちた。
差し出された手を、条件反射で握り返すと、背中に悪寒が走った。
目の前の人物から発せられる圧倒的な力量ゆえに放たれる威圧感と、他者をねじ伏せるほどの大量の魅了の魔力。
亜人の本能が目の前の相手の実力を測り、怖れている。
高橋涼介の噂は知っていた。
竜人と吸血鬼のキメラで、本人はそれを恥じる寡黙で穏やかな性質なのだと。
だが目の前の相手はどうだ。
的確な表現を用いれば・・・そう。
さいきょう。
漢字で当てるのなら、「最強」「最凶」「最恐」の文字らが嵌まるだろう。
じっとりと、あまり動揺しない文太の手のひらと額に汗がにじむ。
「あ、涼介さん…。ほ、本当に来た!」
涼介の声が聞こえたのだろう、二階から駆け降りる音がしたと思ったら、拓海が慌てたように玄関先に現れた。
そして涼介の姿を見た途端、顔を真っ赤にさせて柱の陰に隠れる。
だがすぐに気になるのか、ちらちらと顔を覗かせ涼介を見て、目が合うとまた真っ赤になって隠れる・・・。
そんな息子(娘)の挙動不審としか言えない行動を、この目の前のおっかない男は、さも愛しげに蕩けるような眼差しで見つめ、留めのようにフェロモンが大量噴射された笑みを浮かべた。
「うん。来たよ。デートしようって言っただろ?お義父さん、拓海さんと出かけてもよろしいでしょうか?」
よろしいも何も。
こんなおっかない男に反論できるはずもなく、息子(娘)の反応も親としてはむず痒いと言うか、居心地が悪いと言うか・・・。
「あ?・・・ああ。こんなんでよければ持ってってくれ」
パァ、と涼介の顔がほころび、拓海が文太の言葉に少しむくれた顔をする。
バカ、お前ぇ、拗ねんな。
このおっかねぇのに逆らえるわけねぇだろ。
大体お前だって嬉しいくせに。
何でもいいからさっさと行ってくれ。
甘酸っぱくて仕方ねぇ・・・。
そう、文太は言いたかった。
息子(娘)にそう言いたかったのだ。
だが言えず、言葉は飲み込まれムニャムニャと文太の口の中に消えた。
嬉しそうな涼介と、戸惑う拓海が白いスポーツカーに乗り込み、文太の前から遠ざかっていくのを見ながら、文太は深いため息を吐いた。
・・・結果は確かにオーライ。
だが、自分はとんでもないものを引き当てたのかも知れない。
たらりと、文太の額に浮いた汗が頬をゆっくりと滑り落ちていった。