Five

act.4 狂言回し



 狂言回し、と言う言葉がある。
 さしずめ、自分は彼らの間ではその役回りなのだろう。
 そう、啓介は思った。
 目の前でふんぞり返る男は、26年間自分の兄だった男だ。
 一時期、反発もしたこともあるが、心のどこかでは常に憧憬と、そして畏怖を感じていた。
 しかし、それが覆ったのは五年前だ。
 あの頃以来、啓介にとって兄は「鈍感なロクテナシ」でしかない。
「……そんで?」
 寝起きに襲撃され、不機嫌を隠さないままに啓介は答えた。
 ギロリと睨んでも、ロクデナシの兄は動じない。
 鈍感だから、ではない。
 兄にとって、啓介がどんなに粋がっても、しょせん犬が吼えている程度にしか感じないのだろう。
 だけど、従順な犬だって、相手が気に食わなければ噛み付くこともあるのだ。
「藤原の住所と連絡先を教えろ」
 何の説明もなく、そう居丈高に命令する姿に、啓介は溜息しか感じない。
 常の自分なら、兄を怒らせないうちに素直に従っても良かったが、今回ばかりはそうはいかない。
 五年、だぞ?
 五年だ。
 いくらなんでも鈍すぎだろう。
 その間にあいつは何回泣いた?
 そっけない兄の態度に、切なそうに控え目に目を伏せ唇を噛み締めるあいつを何度見たことか。
 この朴念仁は知らないに違いない。
 しかも、だ。
 ようやく五年目にして自分の想いを認めたのは良い。
 だがな。
 酒に酔ってるのを持ち帰り、そのままなし崩しにイタダイチマウってのは…、明らかにズルい話だろう。
 プライドの高い兄のことだ。
 どうせ藤原に拒絶されないシチュエーションで、カラダから手に入れちまおうって腹なのだろう。
 だから何度も言ったのだ。
『あんな奴、止めちまえ』って。
 ハァ、と啓介は溜息を吐いた。
 藤原に恋心を抱いてるわけではない。
 ただ、親友なのだ。
 大切な友人が、たとえ自分の兄とは言え、蔑ろにされるのを黙って見れるはずもない。
「……ヤだ」
 ぽそりと、兄にそう答えると、拒絶されるとは思ってなかったのだろう。兄の眉尻が跳ね上がる。
「何?」
 脅しても恐くない。伊達に26年、威圧されてたわけではないのだ。
「何でオレがアニキに拓海の連絡先教えなきゃいけねぇんだよ。自分で調べりゃいいだろ?」
「俺に逆らうのか?」
 ゴォ、と冷たいオーラが吹き荒れるが、そんなのは知ったことではない。
「逆らうも何も、この件に関しては俺は拓海の味方なんだよ」
 あえて、兄の前で「拓海」と藤原の名前を強調して言う。
 兄はまだ「藤原」としか呼べない。
 自分の方が、親しいのだと知らしめるように。
 案の定、兄はそれに反応した。苛々としたように舌打ちする。
「んじゃ、聞いていいか?拓海に、アニキにお前の連絡先を教えていいか?ってな」
 そう言うと、兄は気まずそうに目を逸らした。
 臆病な奴。
 だけど、確かに恋は人を臆病にはする。
 自分は正解を知っているから、もどかしいだけだが、答えを知らない当人は怯え、二の足を踏んでいる。
 ましてや、強引な形で体を奪った翌朝に姿を消された男としては、臆病になるなと言う方が無理だろう。
「アニキ、拓海のこと酒に酔わせてヤっちまったんだって?」
 そう言ってやると、兄は切れ長の目を真ん丸に見開いた。
「…なぜ、それを」
「何故、じゃねぇって。拓海に聞いたんだよ」
 兄と寝た翌朝、藤原は意外と落ち着いた声で電話してきた。
 涼介さんが会いに来ました。
 俺、涼介さんと寝ました。
 ネマシタ…その言葉が、一瞬理解できなくて、電話の向こうで啓介は口をポカンと開けて呆然としたのを覚えている。
 嬉しかったです。俺。夢が叶いました。
 その言葉を嬉しそうに語る藤原に、啓介は泣けて仕方なかった。
 バカな奴。
 そして、自分の兄の不甲斐なさが申し訳なかった。
 兄の見る目は確かだ。
 多少、見た目は棒っ切れみたいだが、顔立ちは綺麗だし、色気も……開発すれば溢れ出てくるだろう。あの潤んだ大きな瞳は十分な武器になる。
 自分に自信が無いようだが、それは啓介の好みとは違うだけで、藤原は十分に「良い女」だった。
 最初からそれを認めていればいいのに、グズグズと悩み、おまけに海外逃亡までしやがって。
 そのまま逃げてるのかと思いきや、五年目で戻り、酒の勢いで告白ナシでヤりやがる。
 藤原が怒らない分まで、啓介が怒る。
 ムカつく話だ。
「…何で藤原がお前にそんな話を…」
 苦々しい顔で兄が自分を睨む。
 それを啓介は、フン、と鼻で吹き飛ばす。
「俺は拓海と五年間ずっと一緒にいたからな」
 この言葉には語弊があるが、兄への当て付けで誇張くらいはいいだろう。
「アニキ。サイテイ」
 兄に向け、顔を顰めて見せると、さすがの兄も気まずそうに項垂れた。
「テキトウな気持ちで純粋な奴、食ってんじゃねぇよ」
 そうではないことを知りながら、あえてそう言うと、予想通り、兄は顔を上げ、「それは違う!」と真剣な表情で噛み付いた。
「適当なんかじゃねぇよ!俺がどれだけ思い悩んでたか…知らねぇくせに…」
 知ってるよ。
 だがな。
 藤原はアンタ以上にもっと思い悩んでたんだ。
「だから何だよ。思い悩んでたら、無理やり相手をヤっちまってもいいってのか?あっちの気持ちも聞かねぇで」
 ぐ、と兄が黙る。
 この26年の人生の中で、啓介が兄を言い負かすことが出来たのはこれが初めてだ。
「……堪えられなかったんだ」
 押し黙った兄が、ぽつりと俯いたまま呟く。
「何だよ」
「……祝勝会で、あいつはチームのスタッフに囲まれて、楽しそうにしてた…。中には、俺から見てあからさまに藤原狙いの奴もいたのに、あいつは気付かず呑気に笑ってやがる…。
 その時はじめて、俺は五年前からあいつに感じてた想いが何だったかを思い知らされた気がしたんだ」
 五年前の兄の、藤原への素っ気無い態度。
 啓介はその理由を知っていた。
「…俺はずっと、五年前から、藤原の周りにいる奴らみんなに嫉妬してた…」
 自分は傍にいれないのに、他の奴らが親しげに藤原に触れる、話しかける。
 それらに苛立ち、八つ当たりのように兄は藤原を無視し続けた。
 ハァ、と啓介は深い溜息を吐いた。
「……バカじゃねぇの」
 この言葉を、五年前に兄に言ってやれば良かった。
 そうすれば、もう少し藤原が泣く年数は減っただろうか。
 だが時は過ぎ、あれからもう五年だ。
 18歳だった少女は、もう23歳の女になっている。
 少しぐらい意地悪してもいいだろう。
 あいつが泣いたように。
 あいつが悩んだように。
 あいつが苦しんだように。
 兄もまた、同じ様に泣いて、悩み、苦しんでもいいはずだ。
 ガリガリと相変わらず短く切った髪を掻き毟り、項垂れる兄を見た。
「とりあえず、誠意を見せろよ」
 兄が顔を上げる。
 こんな兄の顔は見た事が無い。
 ほだされてもいいが、グズグズしてた兄が悪い。
「そしたらそのうち連絡先教えてやってもいいかもな」
 だけど、それは今日じゃない。
 五年待たせたのだ。
 あと一ヶ月くらい遅らせても、藤原はきっと怒らないだろう。
 啓介の言葉に、ギラリと兄の目が輝いた。
 五年前の兄の、藤原と戦う前の兄の目だ。
 不器用で鈍感でロクデナシの兄のために。
 不器用で臆病で鈍くさい藤原のために。
 不本意だがあいつらの狂言回しをしてやってもいい。
 いや、と言うより、古臭い言い方だけれど、恋のキューピッドか。
 きっと一ヵ月後、二人して啓介の前に顔を出すだろう。
 兄はやに下がった情けない、けれどこれ以上なく嬉しそうな顔で。
 そして藤原は、はにかみながら、幸せそうな笑顔を浮かべているだろう。
 項垂れる兄に気付かれないように、啓介はひっそりと笑った。
 散々兄に悪態を吐いたが、嬉しくないはずがない。
 漸く動き始めた親友の、そして兄の恋。
 一ヶ月後、現れた二人に啓介は言うのだ。
『オメデトウ!』
 と。
 五年も待った言葉を、万感の想いを込めて。
 だけど今は、
「反省しろよ、アニキ。あいつを泣かせた分だけな」
 今この口からは、責める言葉しか出さないけれど。



END
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