Five

act.1



 まるでオモチャみたいな頼りない検査薬の結果は陽性。
 その結果を、拓海はやけに冷静に受け止めていた。
 色んな現実問題が頭を駆け巡る。
 漸く、プロのレーサーとして認められるようになってきたところだ。
 この結果が確実なら、戦線離脱はやむを得ないだろう。
 また、その間の収入も問題だ。
 プロとして一人前になるまでの期間は長く、貯金も少しずつ使い果たし、やっと満足な収入を得られるようになったとは言え、無職で暫く生活できるほどの蓄えは無い。
 ましてや、一人ではなくなるのだ。
 二人、なのだ。
 実際、このお腹の中に命が宿っているのなら。
 未だ渋川で豆腐屋を細々と営む父を頼ろうか?
 文句を言いながらも、きっと父は助けてくれるだろう。
 そしてこの新しい命をきっと喜んでくれる。
 そう考えると、拓海に覚悟が生まれた。
 ――うん。
 そっと自分のお腹に手を両手を当てる。
 ――産もう。
 決断は早かった。
 たとえ、この子の父親に、絶対に頼れない状況だったとしても。



 考えてみると、五年周期に藤原拓海の節目は訪れている。
 父親に無理やり豆腐の配達をさせられ五年後。
 秋名のハチロクとして峠を沸かせ、それから五年後の今、母となろうとしている。
 背が高くて、いつもつまらなそうな痩せっぽっちの女の子だった五年前。
 鏡の前の自分は、相変わらず女らしさの欠片もなく、逆に筋肉が付き、男のようにしか見えない。
 思えば、五年前のあの時も、ずっと皆に男だと思われていた。
 プロジェクトDが始まる、あの瞬間まで。
 あの人でさえ、ずっと自分を男だと思っていたのだ。
 拓海が女だと知った時の、あの人の顔を覚えている。
 驚愕に顔を強張らせ、そして失望したように眉を顰めた。
『…お前の性別は現時点で問題ではない。だが、混乱を避けるためにも、チーム以外には秘匿したほうが良いだろう』
 困ったように言われ、仕方ないことだと理解してはいても傷付いた。
 学校でも、友人たちの間でも、女の子扱いをされたことは無い。
 仲の良い女子の友人でさえ、自分を「拓海くん」と呼ぶ始末だ。
 慣れたことだけれど、それでもあの人にだけは女として扱って欲しかった。
 いや、彼はDの間、女性としてちゃんと扱ってもらった。
 体調や、細やかな気遣いなど、迷惑をかけたように思う。
 だけど最後まで、彼は拓海が「女」であることを受け入れてくれなかった。
 優しくしながらも、拓海をずっと困惑した表情で見ていた。
 彼の期待通りの走りを見せれば、受け入れてもらえるかと頑張ったが、最後まで彼の困惑は消えなかった。
 そしてチームが終焉を向かえ、それぞれが自分の道を歩み始めた時、彼は拓海に励ましの言葉をかけたが、それは二度と会えない人間への、餞の言葉でしかなかった。
 高橋涼介。
 かつて群馬中のカリスマ、赤城の白い彗星として名を馳せ、そしてプロジェクトDのチームリーダーだった男。
 彼に身の程知らずに恋をしたのは、五年前だ。
 彼とバトルをし、そして負けると思った戦いの終わり、彼から言葉をかけられた瞬間に恋は始まった。
『小さなステージで満足しないで、広い世界に目を向けていけよ』
 顔とスタイル。家柄。優秀な頭脳。
 そんな分かりやすい魅力ではなく、彼が抱える信念のようなものに惹かれた。
 Dに参加したのも、彼が抱く「夢」を一緒に見たいと、そう思ったからだ。
 だが、Dの終わりと共に、彼と別れ、そして目まぐるしく変化する毎日に忙殺され、たまに会う彼の弟から聞く近況以外、彼の動向を知る術は無かった。
 順調に、大学病院で医師として勤め、二年前にアメリカへ渡ったのだと聞いたとき、ああ、そうか、彼もまた、あの自分へ向けた言葉通り広い世界へ旅立ったのだと、そう思いながらも寂しさを感じた。
 最初から手に届かない人だと、諦めていた。
 けれどそれを実感させられた。それだけのこと。
 彼のことで何度も泣き、何度も諦め、そしてその度にやはり好きなのだと思い知らされた。
 そんな彼と、再会したのは今年の春のことだった。
 今年初の国内ラリーの開催地に、彼が訪れたのだ。
『久しぶりだな』
 まるで数年の年月が何も無かったかのように、そう彼はふらりと現れ、拓海に声をかけた。
 理知的な瞳は変わらず、けれど以前よりも骨っぽくなり精悍な容貌に変化していた。
『な、んで…涼介さん…?アメリカに行ってたんじゃ…』
 これは幻覚だろうか?
 恋焦がれる哀れな自分の錯覚。
 けれど目の前に現れた彼は紛れもない現実だった。
『ああ、最近帰国したばかりだ。また日本の病院に勤めることになったんだが…暫くフリーな時間があってね。せっかくだからお前の成長を見に来た』
 立派になったな。
 そう、目で語られ面映くなった。
 そして日焼けし、相変わらず女らしさの欠片もない自分が恥ずかしくなった。
 せめて、ドライバーとしての自分を見てほしくて、その大会は無事に優勝を飾ることが出来た。
 その夜、チームが開いてくれた祝勝会には涼介も参加した。拓海の隣に張り付くように座った涼介に、緊張から勧められるままに酒を飲みすぎ、気がつくと彼と同じベットにいた。
 一子纏わぬ裸の自分に、彼が圧し掛かっている。
『な、んで…?』
 驚きに身を硬くする自分には構わず、涼介は五年前と同じ、魅惑的な表情で拓海に微笑んだ。
『良かった。起きたんだな?さすがの俺も、意識のないお前を手篭めにするのは気が引ける』
 彼は何を言っているのだろう?
 分からないままに、彼の手ばかりが自分の全身を辿る。
『誰か、恋人はいるのか?』
 問いかけに首を横に振ると、彼の唇が拓海の小さな丘の頂上を啄ばんだ。
『なら、いいだろう?バトルの後には…酒だけでは治まらない興奮があると思わないか?』
 よく、分からなかった。
 だけど、彼の手を拒むことが出来なかった。
『俺が静めてやるよ』
 彼も、酔っていた。
 酒を水のように飲み、以前なら見られなかった柔らかな笑顔をたくさん見せていた。
 きっと、これは酒のせい。
 神様がくれた自分へのご褒美。
 報われない恋心をずっと抱き続ける自分を哀れと思った神様がくれたもの。
 筋肉質で、男みたいだと思っていた自分の身体だが、それでも本物の男性の身体よりはしなやかななのだと、思い知らされた夜。
 そして男性の身体が、どれだけ逞しく、そして熱いものかを知った夜だった。


1