FAMILY 番外

act.4 いつか王子さまが


 小さな頃、漠然と夢見ていた。
 いつかおとぎ話のお姫さまのように、素敵な王子さまが迎えに来てくれて、そして死ぬまで幸せに暮らすこと。
 けれどそんな夢は大きくなるにつれて薄れていった。
 背が伸びて、肩幅も広くなって、普通の女の子よりも大きなサイズに成長したときに、そんな夢を見たことすら忘れた。
 おとぎ話の中でも、素敵な王子さまが来るのはみんな綺麗なお姫さまばかり。
 こんな男みたいな見かけの、女なんて誰も見向きもしやしない。
 異性から男扱いされるのにも慣れ、自分でもそれを受け入れ、男っぽくあろうとさえ思った。
 だけど心の奥底で、女の子扱いされない自分が悲しくて、悔しくて、可愛い見掛けの女の子が羨ましくて仕方がなかった。
 自分には王子さまなんて来ない。
 ずっと、そう拓海は思っていたのだ。
 だけど――。



 目を開ける。
 そこに見えたのは、夢の中の記憶よりも十数年ほど年を経た姿の彼だ。
「…拓海?」
 心配そうな表情で、優しい手が自分の頬を撫でる。
 結婚して20年近く。
 馴染んだようで、でもどこかまだ与えられるこの指の感触に信じきれないでいる。拓海は微笑み、その指に顔を預けた。
 クスクスとベッドの上で楽しそうに笑う拓海に、付き添っていた涼介の表情も明るいものに変わる。
「人を心配させておいて…随分楽しそうじゃないか」
 咎めながらも、その声音は暖かく柔らかい。
 拓海はベッドに横たわりながら、自分の腹部に手を当てた。
 そこはぷっくりと大きく膨らみ、体内で自分と、そして彼との新たな命が生まれようとしている。
 腹部を撫でる手に、涼介の指もまた絡む。
 いとおしそうに、そして壊れものを扱うように優しく撫で摩る。
「…驚いたんだぞ。いきなり倒れるから」
「ごめんなさい」
 朝から体調が優れなかったのに、無理に動いたのが悪かったらしい。ふ、と眩暈を感じた瞬間に、「拓海!」と自分の名を叫ぶ彼の声と、そしてしっかりとした彼の腕の感触に包まれていた。
「…まったく。もうすぐ出産予定日も近いんだぞ?無理をしたら駄目なことぐらい分かってるだろうに」
 咎める口調でありながら、お腹を撫でる手は優しい。
 拓海は叱られていると言うのに、だから笑みが零れてしまう。
「拓海は頑張りすぎなんだよ。俺や隆介の世話なんて放っておけばいいんだ」
「そんなわけにはいきませんよ」
「晴海だって手伝ってくれるだろう?」
「だって、あの子受験生なのに、そんなことさせるわけには…」
 涼介がクス、と笑う。
「あいつなら大丈夫だよ。放っておいても志望大学くらい受かるさ」
 拓海はその言葉に、ちょっとふてくされる。
「…あの子、涼介さんに似て頭いいですもんね」
 顔や性格は自分に似てるのに、頭の中身は目の前の夫にそっくりだ。下の息子の隆介なんて、中身どころか見かけまでそっくり。何だか自分一人だけ馬鹿みたいでちょっとだけ悔しい。
「俺と拓海の子だからな。いいところばかり似たんだ」
 でも親の顔で、そう自慢げに言われるとふてくされるのも難しい。出来の良い息子たちは、母親である拓海にとっても自慢なのだから。
「それより…ずいぶん楽しそうだったが、何か楽しい夢でも見てたのか?」
「…笑って…ました?」
 たまに、寝ぼけることがよくあるらしいとは、目の前の夫の談だ。
 今回もまたやってしまったのだろうか?
「ああ。幸せそうに笑ってたよ」
 …幸せ。
 そう、確かに幸せだった。
「…夢、見てたんですよ」
「夢?」
「そう。小さい頃に忘れてた夢のことです」
「へぇ…どんな夢を?」
「いつか王子さまが」
「え?」
 クスクスと拓海は笑う。
 そして涼介の手を握り締めた。
「小さい頃の夢だったんです。王子さまみたいな素敵な人と結婚して、そして死ぬまで幸せに暮らすこと」
 分かる?
 悪戯っぽく見上げ微笑めば、不思議そうな表情だった彼の顔にも笑みが戻る。
「…夢、叶った?」
 指を絡め、力を込める。
「さぁ?まだ死ぬまでには時間があるんで」
「…て事は王子さまは来たんだ?」
 恋人となり夫となった人は時々意地悪だ。今回もそう。
 唇を尖らせ、そっぽを向く。
「…白い白馬とかじゃなかったですけどね」
「馬はさすがに無理だな。車で大目に見てくれないか?」
「涼介さんならありそうですけど…」
「来てほしかったのか?」
 何なら今からでも?とその目が語っている。拓海は慌てて首を横に振った。
「…車がいいです」
 絡めた涼介の手にも力がこもる。
「それで…その王子さまと今は幸せ?」
「幸せですよ。まさか自分が、こんなふうになるだなんて思わなかったです」
 ずっと諦めていた。こんな自分に、素敵な王子さまがやって来るだなんて。
 目の前の彼は、まさに王子さまと表現しても差し支えない容貌と、そして家柄、頭脳と全てを併せ持った完璧な人だ。
 何もかも平凡で、おまけに男みたいだった自分に「好きだ」と囁いてくれた。あの瞬間から拓海の幸福は始まっている。
「そうだな…俺も、まさかこんな幸せになれるだなんて思ってなかったよ」
「涼介さんも?」
「ああ。俺は…何て言うか小さい頃からずいぶん捻くれてたからね。こんなに大切な存在が自分にできるとは夢にも思ってなかったな」
 涼介が拓海の手を握り締め、そしてこの上なく幸せそうに微笑んだ。
「有難う、拓海」
 幾つになっても、恋をし続けている。この目の前の魅力的な人を相手に。
 年齢と言う厚みを増し、ますます魅力的になっている彼を相手に、自分はもう若くもないし、魅力的でもない。
 そんな自分が彼にふさわしいのかどうか、幸せすぎて、ふ、と恐くなる。
 でも目の前の彼が、こんなふうに自分を見つめてくれるのならば、まだ自分は彼に必要な人間なのだと再確認し安心できる。
 拓海は身を起こし、その頬にキスをした。
「好き。涼介さん」
 子供みたいな告白。でも今の自分の正直な言葉だ。
 彼が、拓海のそんな可愛い告白に、少年のように微笑んだ。
「俺のお姫さまはいつまで経っても可愛いな」
 …オヒメサマ?
 思いがけない言葉に、拓海は一気に赤面した。まさかこんな年で、そんなふうに言われるとは思わなかった。
「お、お姫さまって…涼介さん!」
「俺が王子なら、拓海はお姫さまだろ?違うのか?」
 …お姫さまでは決してない。どっちかと言うと、下町の娘で身分違い?
「どっちにしろ、幸せに暮らししました、なんだろ?」
「…と、思いますけど…してくれます?」
 一生は長い。まだ半分に差し掛かったところだ。
 この先何十年と、ずっといらえる保障はどこにも無いけれど、今日みたいな日が明日も、そして次の日もずっと続けば、きっと一生なんてあっという間だ。
「もちろん。昔よりは些かくたびれちまった王子だが、お手を取ってくれますか?」
 仰々しく手を差し出し、跪く。
「…涼介さんはいつまで経ってもカッコいいですよ。だから…」
 差し出された手を取り、起き上がる。
 寄せられる彼の頬。体温や呼吸さえ近いその場所で、目を見つめあったまま囁いた。
「はい。…喜んで」
 キスが降る。
 最初はついばむように、優しく。
 けれどそれはすぐに深いものへと変化した。
 言葉よりも深く、拓海の心に涼介の想いを伝える。
 拓海もまた同じ気持ちでそれに応えた。
「…愛してるよ」
 愛の言葉は何度聞いても嬉しい。
 唇を離し、拓海はうっとりとその声を聞きながら彼の胸に頭を預けた。
 トクトクと涼介の鼓動の音を感じている。
 これが…幸せ。
 目を閉じ、味わっていると、不意にパチンと弾けたような感覚があった。
「……あ」
「…え?」
 伏せていた顔を上げる。
 涼介が怪訝そうに拓海を見つめている。
「涼介さん…」
 まさか…あ…。
「うん?」
 ジワっと、来た…かも。
「…破水…した」
「…ハスイ?」
 一瞬、きょとんとした顔になった涼介は、けれどすぐに目を見開き絶叫した。
「破水?!」
 と、同時にやって来た腹痛。
「…いたた」
 いきなりお腹を押さえた妻の姿に、夫はただあたふたと手を動かす。
「た、拓海、生まれるのかっ?!」
「…いた…え〜と、そうみたいです」
 慌てる涼介とは反対に、拓海はもう出産も三人目。落ち着いたものだが、医者ではあるけれど夫の立場になるとどうしても慌ててしまうらしい。
 でも…と拓海は思い出す。
 …晴海や隆介の時よりは、まだマシかも。
 あの時も大変だった。
 いつも冷静な人なのに、人が変わったみたいに慌てふためいて。
 あげく啓介に諭されて、おまけに騒ぎすぎて従妹の緒美には殴られた。
「大変だ!今すぐ車を!」
 拓海を抱え上げ、そのまま出ようとするが、拓海を抱えた腕ではドアは開かない。
 仕方なく拓海が手を伸ばし、ドアを開いた。
 下から見上げる彼の焦った顔。
 必死に、自分のために焦っている顔だ。
 拓海は目を閉じた。
 そして彼の胸に頬を寄せる。
 ――いつか王子さまが。
 昔、漠然と願っていた夢。
 現実はおとぎ話よりも遥かに困難で、そして幸せばかりではないけれど、けれど人生の終える瞬間に、彼といたこの時間を振り返り幸せだったと笑顔で逝ける自信が今の拓海にはある。
「涼介さん…」
 陣痛の痛みで蚊の鳴くような声しか出せない。案の定、涼介には聞こえないようだった。
 けれど聞こえなくてもいい。心のままに呟いているだけだから。
「大好き」
 痛みのせいだけではない。拓海の目尻に涙が浮かんでいた。



 ――そして幸せに暮らしましたとさ。
 おとぎ話の最後は、常にこれで締めくくられる。




2006.10.17

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