FAMILY 番外
act.3 高橋家のきまりごと
午後9時。
軽く夕食を済ませた後、啓介は兄が住まいをしている家へ訪問した。
一般のお客であったら、迷惑なあまり歓迎されないだろう時間帯ではあるが、それは弟の気安さ。今日も啓介はインターフォンをかき鳴らし、おまけにドンドンと玄関の扉を叩く。
その騒々しい挨拶の仕方で、この家の住人は誰が来たのか分かる。そして開いた扉の向こうで、啓介は予想通りに苦笑いをしながら迎える兄嫁の顔を見た。
「啓介さん。もうちょっと大人しく入って来れないんですか?」
「俺が静かだったら、困るのは藤原だろうが」
もう兄と結婚して4年目になる彼女を、未だ旧姓で呼んでしまうのはもう癖だ。
「何で私が困るんですか?」
そしていつまで経っても天然なままの拓海に、あの頃から変わらない溜息を啓介は吐く。
「そ〜っと入って来て、真っ最中のヤバい現場を見たくねぇってこと」
「は?…はぁ、何言ってんですか!」
最初はぼんやり聞いていたのが、一拍遅れて意味を理解したのだろう。一瞬で顔を真っ赤に染めて啓介を睨み付けてくる。
「そ、そんな事あるわけ…」
「…ないって言えるか?」
…言えないだろうな。
いつまで経ってもこの万年新婚夫婦なら。拓海にもその自覚はあるのだろう。真っ赤な顔のまま押し黙る。
このまま揶揄いたい欲求はあるが、あまり彼女を突いて、その背後にいる恐ろしい兄を刺激したくない。残念ではあったが、啓介は苦笑しながら話題を変える。
「それより、アニキと晴海はどうしたんだ?」
リビングを見渡し、啓介は言った。常ならばこうやって拓海と会話している間に、必ず兄の邪魔が入るはずなのだがソレが無い。また、自分を慕ってくれる可愛い甥っ子の存在も。
「ああ、涼介さんと晴海なら、一緒にお風呂ですよ?」
「…へぇ。いいパパしてんだな」
「はい。いいパパですよ」
…謙遜…と言う言葉は必要ないんだろうな、と啓介は思う。実際に忙しいはずなのに兄の子育てぶりは感嘆するほどだ。それを一番よく分かっているのは、夢のために家を離れることが多い拓海だろう。
そんな会話をしている間に、お風呂場のほうから「拓海〜」と呼ぶ声がする。
「あ、晴海が上がったのかな?啓介さん、ちょっとすみません」
「ああ、気にすんな。俺は勝手にしてるから」
その言葉通り、冷蔵庫の扉を開けて中身を物色し始める。この家ではまだ小さな甥っ子のために禁煙なのだ。ヘビースモーカーを自負する啓介には、口寂しくて仕方がない。
目当てのビールと拓海が作り置きしておいたのだろうつまみを取り出し、リビングのテーブルの上に置き、缶のプルトップを開けると、拓海と体中から湯気を出したようなパジャマ姿の小さな甥っ子が戻ってきた。
「あ、けいちゃんだー!」
拓海にバスタオルで頭を拭かれながらやって来た晴海は、啓介の顔を見た瞬間、パッと満面の笑顔になり、拓海の静止も聞かず啓介に飛びついた。
「おう!元気してたか?」
晴海の頭に被ったままになっているバスタオルでぐしゃぐしゃと拭きながら、啓介はまだ三歳の甥っ子に挨拶をする。
あの兄の子供とは思えないくらい可愛い子供を前に、啓介の顔も緩む。
「んとねー、げんきー。けいちゃんは?」
「元気元気。病気に見えるか?」
「みえなーい」
ひとしきり笑いながら久々の再会を楽しむ。けれどそれは拓海がドライヤーを持ってきたことで終わる。
「啓介さん、すみません。ほら、晴海。髪の毛かわかさないと。風邪ひいちゃうよ?」
「は〜い」
櫛とドライヤーを片手づつに晴海の頭を乾かし始めた拓海に、啓介は物足りなさを覚える。
「…俺がやってやろうか?」
何となく構ってもらえないのが寂しくて口にすれば、それはとても楽しい思いつきのような気がした。だが、
「だめなのー。かみのけ、かわかすのままのおしごとー」
意外な人物の反対にあった。
啓介は苦笑する。
「…そっか」
家を空けることが多い拓海の、これは大切な息子との触れ合いの時間なのだろう。啓介は大人しく微笑ましい親子の傍観者となることに決めた。
料理家事全般をこなす兄嫁は、こんな方面でも才能を発揮できるようで、自分では真似のできないくらいに手際よく、晴海の柔らかな髪を乾かしていく。
そして乾いた髪を、櫛できれいにセットした姿を見たとき啓介は思わず噴出してしまった。
「ほら、出来た。パパと同じ髪型だよ?」
「わ〜い、パパとおそろい〜」
晴海の髪の分け目は拓海と同じで真ん中だ。けれど今は涼介とお揃いの左よりの分け目でセットされていた。
「すぐに真ん中分けに戻っちゃうんで、今だけですけどね」
照れくさそうに笑いながら言う拓海の顔を見れば、あれはもう毎度の決まりごとみたいなものなのだろう。その微笑ましさに啓介の笑みが深くなる。
けれど…。
「何だ、啓介。来てたのか?」
「…ああ、お邪魔してマス」
風呂から上がってきた兄の存在に、緩んでいた心に緊張が走る。そして次に見た光景に、啓介は過去何度も味わってきた胸ヤケの感覚をまた覚えさせられていた。
「はい、拓海」
「はい、涼介さん」
当たり前のように涼介は拓海の前に座り、そして拓海もまた当たり前のように涼介の濡れた髪の毛をドライヤーで乾かしていく。
その光景に、チラリと晴海のほうを見れば平然としている。答えは分かりきったものだが、あえて啓介は晴海に問いかけた。
「…晴海。あれ、いつもか?」
「なぁに?」
「アニキの髪の毛、ママが乾かしてること」
「うん。えっとねー、パパはいいよっていったのに、ママがするんです、なの」
「ママが?パパが、じゃなくて?」
「うん。パパねー、いそがしいとね、かみのけねぐせなの。ママがそれはだめです、なの」
「寝癖…」
その言葉に、一瞬啓介は遠い記憶が蘇る。まさか…。
「むかしからねー、そうなのね。だからママとパパの『きまりごと』なの」
「昔から…」
まさかまさか…。
「なぁ、アニキ…」
啓介は心地良さそうに拓海にブローしてもらっている涼介に声をかけた。
「何だ?」
「昔さぁ…まだ俺たちがDやってた頃…アニキ、髪型が変わった時あるよな…。あれって、もしかしてイメチェンとかじゃなくて…」
「そうなんですよ。啓介さんからも言ってやって下さい。涼介さん忙しいと身なりに無頓着になるんですから。信じられませんよね、こんなにカッコいいのに、どうしてあんな事できるのか…」
「…忙しかったんだよ。髪を切りに行く暇もないし、睡眠を優先してたら自然とそこまで気が廻らなくて」
「それは分かってますけど…」
「いいじゃないか。拓海は俺が寝癖つけてようと好きでいてくれたんだろ?」
「当たり前です!」
「それに、今は拓海がいつも直してくれるし。問題ないよ」
「…涼介さん、狡い」
「どうして?」
「そんな事言われると、怒れなくなるから…」
「俺がこんなふうに拓海に甘えるの…嫌か?」
「…いつも私のほうが涼介さんに甘えてるから…嬉しいです」
「そう?じゃ、お互い様だろ?」
乾いた涼介の髪の毛を指で撫でながら、拓海は頷いた。
「…はい」
涼介がその拓海の返事に笑みを深くし、その腕を取り自分の膝の上に引き寄せる。
そして膝の上に乗った体を抱き締め、その胸に顔を埋めた。
「もっと甘えてもいいか?」
「…知りませんよ」
「じゃ、好きにする」
「ちょ…涼介さん!もう…子供みたいですよ?」
…いや、まんまやらしい大人の行動ですよ?と啓介は言えず、甘ったるい空気を醸し出した二人から目を逸らした。
そして逸らした先に見えた、二人の子供に目を向ける。
晴海は平然と、湯上りのジュースを飲みながらイチャイチャする両親を眺めていた。
「…晴海」
「なぁに?」
「…あのやり取りも…いつもか?」
「そうよー。いつもなの。えっとねー、あともうちょっとしたら、『はるみはもうおねむのじかんかな』ってパパがいってね、はるみちゃんおねむしなきゃダメなの」
「…おねむ…ですか…」
晴海が眠った後の行動は、立派に大人の啓介には想像できすぎて恐ろしい…。
そしてその言葉通り、
「晴海、もうおねむの時間じゃないのかな?」
「はぁい」
「啓介、そろそろ帰れ…」
晴海にかけた声とは雲泥の差の冷たい声音に、啓介は無言で頷いた。
「あ、じゃ、晴海寝かせてきますね」
「ああ。待ってる…」
一瞬で染まった艶っぽい兄嫁の肌から目を逸らし、啓介はこれ以上の被害を受けないうちに兄の家を去った。
そして星空が瞬く夜空にFDを駆らせながら、啓介は遠い眼差しで過去を振り返る。
「…やっぱりあれ…寝癖だったんだ…」
かつてプロジェクトDの七不思議の一つに数えられていたあの髪型。
誰も恐ろしくて追及できなかった真実を、今日、時を経て啓介は知った。
だが、
「…知りたくなかったな…」
時に真実は厳しいものである。
それを今、啓介はしみじみと実感していた。
2006.5.5