FAMILY 番外
act.1 朝の情景
朝目覚めると、恋人が小さくなっていた。
「…涼介さん…どうしてそんなに縮んじゃったんですか?」
自分の顔をじっと見つめるかの人の瞳だけはいつもの切れ長の理知的なものであったが、その顔も輪郭も丸みを帯びた柔らかなもので、完璧だった肢体はバランスはそのままに、手足が細くなり背丈も縮んで、明らかに子供のそれになっていた。
異常な事態であると言うのに、小さくなってしまった拓海の恋人は、驚くでもなくにっこりと彼女の大好きな笑顔を見せた。
「…うん。朝起きたらこうなってたんだ。キスしてくれたら治るかもしれないね」
低いけれど甘く耳に響く声は、子供らしい高めのアルトになっている。けれど口調は大人の時のままで、そして耳に届く声音の甘さまで同じものだった。
彼から発せられた言葉の意味を、寝ぼけた頭でゆっくりと飲み込み理解をし、拓海はぽおっと頬を赤く染めて恥じらい俯いた。恋人同士となってもう暫く経つ。今さら恥らうことも無いのだろうが、子供になってしまったとは言え見惚れて止まない大好きな顔なのだ。そこに自分から口付けるのは、些か照れくさくて堪らない。
けれど、それで縮んでしまった涼介が元に戻るのなら…。
拓海は小さくなってしまった涼介の身体をぎゅっと抱きしめ、そろそろと顔を近付けた。彼の目はキラキラと輝き、じっと拓海を見つめている。二人、目を合わせたまま唇が触れ合う…その瞬間、
「……そこまで」
不機嫌そうな、もう耳に馴染んで久しい大人の低い声。
「…え?」
ふと顔を上げ見れば、そこには小さな涼介を羽交い絞めにする大人のままの涼介がいた。
眉間にしわを寄せ、怒りの表情のままに、小さな涼介に向かってゴツンと拳を振り下ろした。
「…悪戯もいい加減にしろ。隆介」
殴られた小さな涼介…隆介は痛む頭を押さえながらも、涼介に負けじと彼そっくりの不機嫌な表情で睨み返す。
「…仕方ないじゃないか、お父さん。お母さんがかわいすぎるんだから。男なら誰だって、ああされたら、ぼくみたいな反応をかえすと思うよ」
…お父さん?…お母さん…って、あ…。
「…りゅ、隆介??」
そうだった!!
初めて出会った時から早や二十年近く。
憧れでしかなかった人と恋人同士になり、結婚にまで至って今や自分は二児の母。
そして縮んだ涼介ことこの隆介はまぎれもなく自分が生んだ、まだ小学校に入ったばかりの二番目の息子だった。
「ごめんね、お母さん。お母さんが寝ぼけてるの、ぼくわかってたんだけど、つい…」
可愛らしく上目遣いで自分を見上げ、謝る少年の顔は、先ほどまで涼介そのままだと思っていたが、こうして見るとやはり自分にも似たところがあるのだな、と微笑ましくなった。
「…うん、いいよ。そっか、ごめんね、隆介。お母さん変だったね」
そう言い拓海は、涼介に羽交い絞めにされたままの息子の殴られた頭を撫でた。
「…拓海が謝ることは無い。こいつがふざけすぎたのが悪い」
相変わらず不機嫌な顔のままの涼介は、自分の夫となってもうずいぶん経つのに、子供相手にまで嫉妬の感情を見せているようだ。
…こう言うところ、いつまでたっても変わらないな…。
愛情が深い分、焼きもちやきで、昔から自分の周りの人すべてに不満を見せていた。拓海が怒ると、涼介は子供のような顔で「…不安なんだ…」と抱きついてくる。
後に啓介や彼の親友である史裕から、自分が涼介にとって初めての恋の相手であると知らされた。だから何もかも初めての感情に、怯え、戸惑い、過剰な反応を見せてしまうのだろう。失いたくないから。その想いは、拓海だって同じものを抱えている。拓海も涼介が初めての恋の相手だった。そして最後の…。
「もう、涼介さん。隆介をそんな苛めちゃダメですよ。ちゃんと謝ってくれたんだし、私だって寝ぼけてたのが悪いんですから」
拓海に咎められ、しぶしぶ隆介の身体を解き放つ。だが離した途端、隆介は拓海に飛びつき、
「お母さん、大好き!」
ちゅ。
唇にキスをして、しかもぎゅううっと抱きついた。
「……貴様…」
一瞬で、涼介の怒りの導火線に火が点けられる。
だが。
「うん。お母さんも隆介大好き」
ちゅ。
拓海も抱き返し、隆介にお返しのキスをする。
導火線に点った火は一気に消化。代わりに涼介の表情に表れたのは衝撃の色。そして項垂れ落ち込んだ。
「すっかり寝坊しちゃったね。顔を洗ってから行くから、先に居間で待ってて」
「うん、わかった!」
満面の笑顔の息子に、拓海も同じような笑顔を返す。
そして隆介は、ベッドから下り、駆け足で寝室の扉を閉めて出て行った。その際、涼介の横を通り過ぎる時に、彼が父親のほうを横目で見ながら、「フフン」とほくそ笑んだのは、もちろん拓海には見えず、涼介にはしっかりと見えた。
「さて、と…うーん…」
すっかり寝過ごしてしまった。ベッドの上でのびをし、身体を起き上がらせた。そしてふと夫を見れば…。
「…涼介さん?どうしたんですか?」
彼は、すっかり寝室の壁際に備え付けられたクローゼットの扉に懐いて、何やら朝から暗雲を放っていた。
「……拓海が俺より先にあんな子供とキスをした…」
「は?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった拓海だが、すぐに理解した。
一緒に居続けて二十年近く。
この完璧だった夫は、長く一緒にいるにしたがって、だんだんと子供返りのようになってきていたりするのだ。自分にだけ甘え、駄々をこね、我が侭を言う。
…初めて会ったばかりのあの頃。
この人がこんなふうになるだなんて、予想もしなかったな…。
でもそんな変化が嫌じゃない。
むしろ、この人にこんなふうに甘えられる自分が誇らしい。
そして思い出した。なぜ今日に限って、あんな寝ぼけ方をしたのか。
ふふふ、小さく拓海は微笑を零した。
その笑いに気付き、項垂れていた涼介の顔が上がる。そして上げた瞬間に、自分を見つめる拓海と視線が合う。
…初めて見た瞬間に、一目ぼれだった。
まさかそんな事が自分に起きるだなんて思いもしなかった。最初は信じられず、否定ばかりを探していたが、すぐに認めた。寝ても覚めても、ずっとあの顔が浮かんできて消えない。戸惑いもあったが、喜びの感情のほうが大きかった。
拓海の一挙一動に心が騒ぎ、何でも無いことに浮かれ、そして落ち込む。
最初は男だと思い迷っていた事もあった。嫌われたのだと思い込んだ時もあった。あのとき、何があろうと諦めなかった自分を涼介は褒めてやりたい。現在のこの幸せはあの時からの弛まぬ努力によって成り立っている。そして、拓海の自分への愛情にも。
今の彼女の笑顔はあの頃のまま。
相変わらず若々しく魅力的な彼女には、妻となってもう人生の半分近くを共にしていると言うのに、いつ見ても何度も惚れ直す。
そして現在も。
「…夢、見たんです」
「夢?」
拓海がベッドから涼介に向かって手を差し出した。涼介は、それが生まれる前からの決まりごとのように彼女へ向かいその腕を掴み、そして抱きしめた。
「はい。昔の…涼介さんに初めて会った頃の夢…」
「…ああ」
「そんな夢、見てたから、起きた時に、まさか自分があの涼介さんと結婚して…しかもあんなにそっくりな子供、自分が産んでるだなんて、思いもしなかったんですよ」
「…だから、間違えたのか?」
「はい」
「…そう」
涼介は変わらず細いままの妻の身体を抱きしめる腕に力を込めた。
「…そうだな。あの頃は、こんなふうになるだなんて、思わなかったものな」
「ふふふ…ホントに」
「…色々、あったな…」
「……はい…」
「もう…二十年近くなるのか…」
「…はい」
「あの頃の俺たちが、今の俺たちを見たら、どう思うかな?」
その想像に、拓海はふふふと笑みを零した。
「…きっと驚きます」
「そう?」
「はい。あの頃の私は、涼介さんがこんなに甘えただなんて夢にも思いませんでしたから」
フッ、と涼介も笑みを零す。
「…俺も驚くだろうな。拓海がこんなに色っぽいなんて…」
「…って、涼介さん、何、パジャマ脱がしてるんですか?!」
「…愛情の再確認」
器用な指先が、いつの間にか、拓海のパジャマの上着のボタンを全て外し、そして手馴れた仕草でそれを魔法のように脱がしていく。
「や、ダメ…だって昨日、あんなに…」
…そうだ。だから、今朝は寝坊して、あげく寝ぼけちゃったんだ!拓海は昨晩の記憶がしっかりと蘇り、羞恥から露になった肌をほんのりピンクに染めた。
…いつまで経ってもそうやって恥らう…。そんな仕草がいい加減俺を煽るんだってこと覚えろよな…。そうは思いながらも、いつまでもそんな妻のままでいて欲しい、相反する心で、火照る肌に指を伸ばす。
「いいだろう?今日は俺の休みなんだ。甘えさせてくれよ」
「ゆ、昨夜も…そう言って散々したじゃないですか…」
「昨夜は昨夜だ。そして今日は今日」
「…もう、涼介さん!ダメですって。隆介たちのご飯作らないと…」
「大丈夫。晴海に頼んだ」
ぴたり、と拓海の抵抗が止んだ。
「…計画的?」
「もちろん」
知ってるだろう?と、昔のままの悪戯を企んでいるような含んだ視線で語り掛けられれば、拓海はもう黙って、昔のように唇を尖らせそっぽを向くしかない。
そんな拓海に涼介は、昔のままの変わらない熱のこもった眼差しで、幸せの溢れた表情で、いつだって変わらない気持ちを言葉で伝えた。
「…好きだよ」
妻は、昔のままに頬を染め、照れながらも涼介の目を潤んだ瞳で見つめ返し、ほんのり、花が綻ぶような優しい笑顔を浮かべて、ずっと変わらない彼女の想いを返した。
「私だって…好きですよ」
白く細い腕が彼の首に伸び、身体を引き寄せ、そして二人でシーツの中に潜り込む。
昔も今も。
ずっと変わらない想いのままで。
2005.10.16