FAMILY 番外
act.2 朝の情景 〜子供+啓介編〜
いつまで経っても寝室から出てこない両親に、隆介は苦々しげに溜息を零した。
じっと両親の寝室の扉を睨んだまま、動かない弟に晴海は苦笑し、弟の細い身体を後ろから抱きしめて、そして持ち上げた。
「…はるみちゃん?」
密かに、弟が子ども扱いをされることを嫌っているのを晴海は知っていた。だからわざとそうしてやった。
この父親にそっくりな弟に、ずっと無視されているのが悔しかったから。
ソファに座り、隆介を膝の上に乗せ、そしてその頭に自分の顎を乗せた。
「…もう、隆ちゃん。母さんばっかり。いい加減、僕のことも構ってよ」
「…はるみちゃん、止めてよ」
「いや?」
「…嫌ってほどじゃないけど…」
何だかんだで、隆介は晴海のお願いに弱い。ふふふ、と晴海は母親そっくりな顔で、彼女と同じ微笑を浮かべた。
「じゃ、いいじゃん。僕とご飯食べようよ」
「…いいけど、このままじゃ食べられないでしょ?」
「あ、そっかー」
やっと晴海は隆介を膝から下ろしたが、その手はまだ繋がれたままだ。
「…はるみちゃん、お父さんに頼まれたの?」
もう用意の出来ている朝食を指差し、隆介が晴海に聞いた。その問いに晴海は「うん」と何でも無いことのように頷く。
その答えに、隆介は「…ハァ」と溜息を吐いた。
「…お母さんも、はるみちゃんも、お父さんに甘すぎるよ…」
ぶつぶつと文句を言う弟を自分の隣に座らせ、その口元にパンを運ぶ。
「え、そうかな?でも父さん、久々の休みだって言ってたし、ゆっくりするぐらい、いいんじゃない?」
「…ゆっくりしてればいいけどね…」
ケッ…と晴海に見えないように吐き捨てる隆介。
「それに、父さんだって甘えたい時ぐらいあるでしょう?普段はいつも頼られるばかりだもん。父さんには母さんしか甘えられる人がいないんだし、大目に見てあげなよ」
代わりに僕が母さんの分まで甘やかしてあげるから。
そう、母親そっくりの顔で優しく微笑まれると、隆介としてももう文句は言えない。何だかんだ言っても、母親同様、隆介はこの兄も大好きなのだから。
「…はるみちゃんって…子悪魔だよね…」
にこにこと、自分を無自覚に丸め込み、しかも喜ばせるこの兄に、しみじみと隆介はそう呟いた。
「…うーん、そうなの?友だちとかにもよくそう言われるんだけど、ねぇ、それってどう言う意味かな?」
兄の母親譲りは顔だけではない。天然な性格まで一緒だ。さらに晴海の場合は、生まれた頃から父の鉄壁のガードによって、あらゆる邪まな害悪とは無縁に育っている。そのため天然の上に天使のように純粋な性格まで持ち合わせてしまっているのだ。
隆介はこの兄の言葉に深く溜息を吐いた。
「…はるみちゃん、後でその友だちって人の名前、教えてね」
「…え、うん。いいけど?」
何で?
可愛らしく小首をかしげる兄に、弟は負けじと可愛らしい演技で、兄の服の袖口を掴みながら、上目遣いにこう言った。
「だって、僕、はるみちゃんの事なら何だって知りたいもん。好きだから」
たとえお腹の中で「そいつらがはるみちゃんに不埒な真似をしないよう、しっかり釘をさしとかないとな…フフン」と思っていても、まだ子供な隆介には甘えた演技は有効だ。
晴海は隆介の言葉に、満面の笑みを浮かべて、ぎゅうっと弟を抱きしめた。
「僕も、隆ちゃん大好き!」
ちゅ。
唇にキス。
「僕もはるみちゃんが大好きだよ」
ちゅ。
お返しにこちらも唇にキス。
そんな一般的ではない兄弟の光景に、絶句し固まる男が一人いた。
「……お前等…」
リビングの扉を開けたままの格好で、泣きそうに顔を歪める現役レーサー高橋啓介その人だ。
「あ、啓ちゃん。いらっしゃい」
弟をぎゅっと抱きしめたまま晴海が声をかけた。
「叔父さん。こんな休日の朝からわざわざようこそ」
嫌味としか取れない挨拶をする涼介そっくりの甥っ子に、啓介は血筋と言うものの恐ろしさを感じた。
「…お前等、いつもそんななのか?」
クラクラする頭を抱えながら、リビングのソファに倒れるように沈み込み、啓介はそれでも気力を振り絞り言った。
「え、いつもって?」
「…きっと啓介叔父さんが言いたいのは、僕らがいつもキスするぐらい仲良しなのかってことなんだと思うよ」
「…変?」
「さあ?叔父さんはどう思います?」
「………」
…アニキそっくりだぜ、こいつ。
「…普通は…そこまで仲良くねぇだろ?」
少なくとも自分は昔、兄とそんな感じでは絶対になかった。自分と兄は、例えて言うなら下僕と絶対君主…。どちらがどっちとは、説明するまでもないことだろう。
だがその答えに晴海は不満そうに唇を尖らせた。
「でも、父さんたちよりは仲良しじゃないよ」
「あれと比べんなよ…」
…あれは異常だ。そう続けるより先に隆介の呟きが後を引き取った。
「そうだね。朝から寝室から出て来ないなんて仲良しぶりではないよね」
ケッ、と吐き捨てるような隆介の言葉に、啓介は思わず廊下奥の二人の寝室へ目をやった。
…普通、そういった状況は新婚までの話だろ?あの二人が結婚してもう何年だ?二十年近いじゃねぇか…それなのにまだ…我が兄ながら恐ろしいぜ…。
啓介は冷や汗を流した。実際自分に置き換えた場合、自分ならどうか?朝からサカるだなんて、若々しい真似は絶対に無理だと自信がある。
そして目の前にはそんな二人を生まれた時から目にしている彼等の子供二人。まるで彼等のミニチュアのように、ベタ甘の恋人同士よりもイチャつく何だか心臓に悪い兄弟。
「はい、隆ちゃん、あーん」
「…はるみちゃん、僕、一人で食べられるよ?」
「隆ちゃん、僕が嫌い?僕は隆ちゃんに食べてほしいの」
「…わかったよ…食べるよ」
「ホント?じゃ、隆ちゃん、あーん」
「あーん…」
…恐ろしい…何だ、この家は…。やっぱ来るんじゃなかったか…。
一人、ソファに懐きながら、うじうじと悩む啓介。そんな啓介に隆介が冷たい眼差しを浮かべながら尋ねた。
「叔父さん、そんなところでナメクジみたいに粘らないでください。ナメクジより身体が大きいぶん、うっとおしさもその通りなんですから。それより、叔父さんだって朝から暇そうとは言え、実際に暇なわけではないでしょう?いったい何の用です?」
…しかも、こいつの冷たさは丸っきりアニキそっくりだ!!
「…お、お前はもっと、こう、目上の人に対して敬う気持ちは無いのか?!」
「敬ってほしいならそれに見合うだけの行動を僕に示してください。それより、本当にいったい今日はどうしたんですか?」
「あ、そうだ。啓ちゃん、今日何かあったの?」
啓介は脱力する自分を感じた。
見た目だけじゃねぇ。こいつら、会話のパターンまでそっくりだ…。昔、まだ自分が青臭かった日々、凶悪な兄と、それにまったく気付かない天然なライバルであった後の義姉の、天然最凶バカップルに振り回された日々は、今も思い出すたびに胃が痛くなる。
そしてその経験から、彼等のペースに逆らってはいけないことも学んでいた。
ゴホゴホと咳払いをしながら、啓介が持っていた鞄の中から何かを取り出した。
それはどうやら何かのDVDのようだった。
「何ですか、それ?」
隆介の言葉に、啓介はニヤリと笑いながら彼等の前にそれをかざして見せた。
「どうだ!カリスマレーサー高橋啓介様のドラテクを結集したDVDだ!これを見てお前等も勉強するように」
「………」
「…叔父さん、言うのは心苦しいんですが…それ、いりません」
困った顔の晴海。呆れた顔の隆介。
そんな二人の反応に、驚く顔を予想していた啓介は期待が外れてほんのり落ち込んだ。
そして困り顔の晴海の口から出てきたのは、
「啓ちゃん…それ発売されたの、もう三ヶ月も前だよ?」
「お母さんが出た当日に買って、もう何回も見たから」
と言うひえ冷えとしたものだった。
「………えっ?!」
「啓ちゃん、日本帰ってきたの、久しぶりなんでしょ」
「……うん」
「どこか抜けた人だとは常々思ってましたが、ここまでとは思いませんでした」
「………」
言葉もない。
しかしわざわざ車好きな甥っ子のために、二枚も持って(しかもサイン付き)やって来た自分はいったいどうなるのか…。
うなだれる啓介に、晴海が「そうだ!」と手を叩きながら頷いた。
「母さんの友だちのイツキさんとかなら喜ぶんじゃない?池谷さんとかも欲しいとか言ってたし!サイン付だったら、きっと持ってても喜ぶよ!」
そう言われ、啓介の脳裏に浮かんだのは、遠い記憶向こうの顔。
「…ああ、あいつらか。まだGSで働いてんのか?」
「池谷さんは店長になったよ。イツキさんはチーフになったって」
「へぇ。あれからもうだいぶ経つもんなぁ」
…しみじみ。そういや昔、よくあいつらに伝言頼んだりしたもんだ。兄の結婚式ではこれからの苦労を思い、涙ながらに飲んだくれる自分を、介抱してくれたのも実は彼等だった。
「じゃ、今から渡しに行くかな」
「うん。啓ちゃん顔出したらきっと喜ぶよ。何たって世界的なレーサーが自分のところに来てくれるんだもんね」
「お、そうか?」
にこにこ。晴海の笑顔は無邪気だ。それを見ると昔から啓介は心が癒されるのを感じる。じんわりする啓介に、だが隆介の冷たい一言。
「ダメだよ、はるみちゃん。叔父さんはおだてると調子に乗って自滅する傾向にあるんだから。けなすぐらいでちょうどいいんだって、お父さんから言われてるでしょう?」
「あ、そうだった」
「………」
…兄は何年経っても兄なのだ…。だが。
「でも、叔父さん、後でひさしぶりにヒルクライム見せてくださいよ」
いつもは毒舌なこの甥っ子は、車のことになると少し違う。やはり涼介と拓海の子だ。小さい頃から教えなくても車に関することになると、とたんに普通の子供のようにキラキラ目を輝かせて、まるで昔の自分のような熱中ぶりを見せる。そう言ったところを見ると、やはりこの甥にも、自分の血が間違いなく混じっているのだなと、嬉しくなったりもする。
「おう、いいぞ」
笑顔で啓介は答えた。だがこの甥っ子の尊敬が、車以外では得られないのが少々痛いところでもあるが…。
「あ、いいな。僕も見たい。啓ちゃん、いい?」
そしてこのもう一人の甥っ子。
プロDの活動中、突然、二人が発した言葉。
『…子供が…出来たんだ』
それを聞いた時、真っ先に思ったのがDのことだった。このまま中断してしまうのか?そう危惧する啓介に、笑いながら拓海は、
『大丈夫。続けますよ。悪阻もないし、何だか…この子も…頑張れって言ってるみたいな気がするんです』
と言い、実際妊娠前と変わらず活動を続け、お腹が目立つようになった頃にDは終了し、自分はプロの道へ、そして拓海は出産と育児に追われることになった。
少なからず、啓介はあの頃、彼等に対して憤りを感じていた。なぜなら、自身がライバルと認めていた拓海が、このまま才能を燻らせ、家庭に収まってしまうのだろうと思い込んでいたからだ。
自身を魅了し、敗北を味あわせた拓海の走り。それがもう見れないと思うと、兄の下半身に対し恨みを感じたこともあったが、やはり彼等二人は自分の予想など出来ない存在であったようで、なんとこの晴海が一歳になるやならずに、拓海はプロレーサーとしても道を歩み始めた。
『子供とずっと一緒にいられないのは、すごい不安だし、申し訳ないとも思うんですけど、でも晴海、私が運転する車に乗ると、喜ぶんです。すごく楽しそうに笑って…。涼介さんも応援するって言ってくれたし、私も走りたかったから。いつか、子供には詰られるかも知れないけど、でも、何より晴海には、諦めない自分を見せたいって…そう思うんです』
ぼんやりとした雰囲気からは想像も付かせないほどの強い眼差し。きっと兄も、この強い目にやられたのだろうとすぐに悟れた。それぐらいに目の前の人物からは、人を惹き付け、魅了して止まないオーラが溢れている。
…敵わない。
あの目を見たとき、そう思った。だがすぐにそんな自分を笑った。今更だったからだ。拓海に初めて会ったあの時から、何度そんな思いを味合わされたか?自分が今、誰よりも負けない自分でいるのは、いつだって隣にこいつがいて、「負けたくねぇ」なんて思っていたから。
『おう。頑張れよ。でも、俺も負けねぇけどな』
同じプロとはいえ、活躍する舞台は違う。だが、志では負けない、そんなつもりでそう言うと、拓海は笑った。
『私だって負けません。だって、私には涼介さんも、晴海だって付いてますから』
あれから…はやもう十年以上の月日が過ぎ、三人だった兄の家族も今は四人に増え、しかも彼等は未だにあの頃のままの情熱を携えたまま。
「…何か…悔しいなぁ…」
…結局、俺はいつだってあいつらに負けっぱなしなまんまみてぇだな…。
啓介は自嘲の笑みを零したが、だがそれに苦さはあまりない。
「…啓ちゃん、どうしたの?」
「どうしたんですか、叔父さん。とうとうおかしく…」
「なってねぇよ!…ああ、もうお前等は…」
苦笑しながら啓介は、目の前のあの頃には存在すらいなかった甥っ子たちに見つめた。
変わったことはある。だが変わらないことも幾つもある。
とりあえず。
自分は一生車好きで、死ぬまでハンドルを握ったままなんだろうな。
いつか…。
こいつらが大きくなった時に、『叔父さんは他はともあれ、車に関しては凄かった』そう言われるように、誇れる背中を見せていけたらと思う。
「ほら、行くぞ。俺様の速ぇところ、見せてやるよ」
「うん!」
「…自分で言うかな、普通…」
「うるせぇよ」
…いつだって。
「…負けたくねぇな…」
「え?何か言った、叔父さん?」
チラリと、あの二人がいるだろう部屋に目を向けて、だがすぐにそれを晴海と隆介に戻し、啓介は、
「何でもねぇよ」
あの頃のままの、少年のような笑顔で笑った。
2005.10.16