D日記 番外編

Dangerous Zone


※ゲス注意報発令※


 思えば、不安要素は多分にあったのだ。
 そう史裕は記憶する。
 遠征先の宿泊に、大部屋の雑魚寝でいいだろうと判断した自分が間違っていた。
 今ならそう思う。
 けれど、あの時は、まさかこんな風になるだなんて思ってもいなかったのだ…。
 真夜中。
 十数人が寝転がる雑多な大部屋の片隅で、史裕は目が覚めた。
 微かに聞こえる、切れ切れの声。
 そしてそれに呼応するように、ガタガタと物音が響く。
 パチ、と目を見開き、史裕は音の出所を探った。
 薄暗闇の中、部屋の片隅の、布団などがしまわれている押入れの扉が揺れているのが見えた。
 ガタガタ…。
 そして押し殺したような甲高い人の呼吸音。
「………」
 チームリーダーほどではないが、それなりに優秀な成績を収めている史裕の頭脳は、それだけの材料でこの物音の答えを知った。
『…気付きたくなかった…』
 目覚めてしまった自分を呪い、げんなりする気持ちを抱えたまま、また眠りに付こうと耳を塞ぐように布団を被る。
 しかし。
 ガタガタ…。
「ぅ…くぅ……」
 先ほどよりも音が増す。
 耳に付いて離れない。
 苛立ち、寝返りを打つと、隣に眠っていた啓介と目が合った。
 啓介もまた、物音に気付き、目が覚めてしまったのだろう。
 史裕と目が合うと、啓介は目だけで「…お前もか」と共感の眼差しを向けてくる。
「……あれ、アニキたちか?」
「……他に誰がいる…」
 小さな声でボソボソと会話する。
 史裕の予想が正しければ、みんなが寝ているこの大部屋の押入れの中で、いわゆるイカがわしい行為に耽るやからが居るのだろう。
 そしてこのメンバーの中で、それをしそうな人間は、史裕が知る限り、チームのダウンヒルエースを溺愛する彼の親友しかいなかった。
 きっと彼が、拓海を連れ込みイカがわしい事をしている。
 史裕も、また啓介もそう思った。
 だが…。
「……俺じゃないぞ」
 ボソ、と、これまた隣、啓介のいる反対側の方角から声がした。
 また寝返りを打って隣を見れば、そこには噂の主である涼介の顔が布団から覗いていた。
「……涼介??」
「…アニキ?」
 啓介もまた、涼介が布団の中にいることに気付いたのだろう。不思議そうに小さく問いかける声がした。
「…あれは俺じゃない。ちなみに、拓海はここにいる」
 そっと持ち上げた涼介の布団の中に、茶色の髪の毛が覗いているのが見えた。
 のしのしと這い寄ってきた啓介の体が、史裕にのしかかる。そして史裕の体を乗り越え、見た兄の布団の中身を見て、啓介が溜息を吐いた。もちろん史裕も。
「……何で藤原がそこにいるんだよ?」
 史裕の記憶が正しければ、絶対にコイツがイカがわしい真似をするに違いないと思い、わざわざ涼介と拓海の布団の位置を遠くにさせたのに。
「…熱愛する恋人たちは、片時も離れていたくないものさ。拓海も、フフフ…可愛いだろう?夜這いをかけられてしまったよ」
 デレデレとしたやに下がった顔。是非その顔を拓海に見てもらいたいものだと史裕は思うが、少々どころではなく天然なこの少年は、そんな涼介の顔を見ても、
『…すげぇカッコいい…』
 としか思わないのだろう。
「…しかも、藤原、裸じゃねぇか…アニキ…俺らが寝てる隙に…なんつーことを…」
「フッ、気付かれるようなヘマはしないさ。可愛かったな、拓海…。声を殺して、必死に耐えてるんだ、今思い出しても……」
「ふ、藤原にのしかかるな…目の前でしないでくれ…」
「おっと、イカン。お前たちに拓海の艶姿を見せるわけにはいかないからな」
 いそいそと布団で覆うように拓海の体を隠す。
 だが布団がモゾモゾと動いているところを見れば、見えないところでどうやらイタズラ行為に耽っているようだ。
 眠る拓海の眉間に皺が寄る。「むぅ…」微かな呻き声を漏らし、むずかるように涼介の胸にグリグリと頭を擦り付ける。
「…ちょ、ちょっと待てよ…じゃ、あれがアニキたちじゃないんだったら、いったい誰が…」
 モゾモゾと動かす手を止めないままに、あっさりと涼介が答える。
「松本だろう」
「…松本?」
「…松本って…あのハチロクの?」
 史裕は松本をよく知っている。あの誠実そうな男がそんな事をするはずがない。
 そして啓介は、そう親しくはないが温厚そうな彼の姿を思い浮かべ、それはないと判断した。
「何バカな事いってんだよ、アニキ、そんなワケねぇだろ?」
「そうだぞ、涼介。松本に失礼じゃない…か…」
 だが抗議しようとした史裕の声が途切れる。
 押入れの扉がソロソロと開き、その中から現れたのは、まさしく涼介の言った通り、あの松本であったのだから。
「…ま、松本??」
「………」
 じっと自分を見つめる視線に気付き、悪びれもせず松本が三人に向かいペコリと頭を下げた。
「すいません。うるさかったですか?静かにするよう言ってあったんですが、何しろまだ躾の済まない奴隷なんで、無作法が多いんですよ」
 ビュウ、とその瞬間、大部屋の中にツンドラ地帯が発生した。
 確かに、そう史裕は感じた。
 そして啓介もまた。
「…ど、奴隷?」
 その啓介の呟きに答えたのは、ある意味トラブルメーカー、常に啓介の指針となってきた兄である涼介だった。
「松本は有名な調教師だからな」
「…ちょ、調教師??」
「ああ。啓介も感謝しろよ。松本のおかげで、Dの資金が潤っているんだから」
 史裕も、啓介も今までDの資金が、後ろ暗いところから発生しているのは薄々感じていた。
 そしてそれを目の当たりにされ、ただ固まるしか出来なかった。
「いえ、とんでもありませんよ。俺の稼ぎなんて、涼介さんの商売に比べたらささやかなモンです。それに、俺のこれは趣味も兼ねてますから」
 にこやかに涼介と同レベルで語る松本が、史裕には知らない人のように見えた。自分は彼を知っていると思っていた。だが、それは間違いであった…。
「……あ、あのさ、あの中にいるのって…」
 啓介がおそるおそる言葉を発する。
 嫌な予感がする。啓介、それ以上聞くな!そう言いたかったのに、史裕は声を出すことが出来なかった。
 そしてその質問に答えたのは、モグラ叩きのように、涼介の布団からいきなりピョコンと頭を出した拓海だった。
 ぼんやりとした瞳に、彼が寝ぼけているのが分かる。
「あのですねぇ、ケンタさんですぅ。松本さん、ケンタさんにラブなんですぅ…」
 拓海がおかしい。妙な喋り方になっている。
「でも、ケンタさん、啓介さんにラブなんですぅ。だから泥沼なんですぅ。大変ですよねぇ、涼介さぁん…」
「は、ハァ??お前、何テキトーなこと…言ってんだよ?!」
 思わず、啓介が怒鳴りそうになるが、すぐに我に返りボソボソと抗議する。
 だが寝ぼけていただけの拓海は、また布団の中に頭を隠してしまった。
「拓海は可愛いな…。なぁ、松本、そう思わないか?」
「…そうですね。でも俺は、嫌がる相手に無理やりにするのが好きなんで」
「ああ、お前の趣味はゴツくて筋肉質な男だったな。そう言う意味で言えば、あれはそのタイプとは外れているだろう?」
「まぁ、そうなんですが…情が湧いたって言うんですかね…懐かれると、悪い気はしないですよ」
「フッ、荒縄のディオニュソスと呼ばれた男も年貢の納め時か?」
「そうかも知れませんね…でも、俺はその道では一生現役ですよ。…ああ、そうだ、啓介さん。史裕さん」
 いきなり話を振られ、ビクリと啓介たちは震える。
「…押入れの中、見ても構いませんが、見たら人生変わる事だけは覚悟しておいて下さい」
 うっすら微笑む目の前の男が恐ろしい。コクコクと史裕と啓介は頷いた。
「…ケンタさん、今日啓介さんにベタベタしてたから、お仕置きなんですよねぇ、松本さん?」
 またもひょっこり拓海の頭が飛び出し、寝ぼけながら会話に参加してくる。
「ほうちぷれいってやつなんですよねぇ、涼介さん」
 …ほうちぷれい…放置ぷれい…放置プレイ?!!
「…まぁ、軽くね。縛っておいてあるだけだよ」
 …今気が付いた。アナタ、その手の中のリモコンは何ですか?
「誰が本当の主人か、しっかり判らせてあげないとね?」
 微笑む松本。そこにいたのは温厚で誠実そうなメカニック、松本修一ではなかった。
 薄暗がりの部屋の中、リモコン片手に微笑むその人は、紛れもなく荒縄のディオニュソス。
 押入れからは、まだ時おりガタガタと物音がし、それに合わせ「うぅ…」と呻き声のような音も聞こえる。
 そしてその声と、松本がリモコンを弄る指の動きがリンクしていることなど、史裕は気付かなかった。気付かなかったのだ!
 クルリと寝返りを打ち、頭から布団を被って現実逃避。
 心の中で般若心経をひたすら唱え続けた。
 史裕は思った。
 プロジェクトD…。
 きっとあのDの意味は、「Drive」でも「Dream」でもない。「Danger」のDに違いない…と。
 隣で啓介のすすり泣く声がしたようだが、それも聞かなかった。
 そしてさらに…、
「涼介さぁん、そんなトコ触っちゃだめですぅ…」
「しぃっ。静かに。みんなに気付かれたくないだろう?」
「やぁ、そんなの恥ずかしいですぅ…」
「だったら、口を閉じてて…」
 こんな会話も聞かなかった!聞かなかったのだ!!
 ゴソゴソも、ガタガタも、そして何とも言えない微妙な音も。
 翌日の朝。
 拓海と涼介。そして松本以外の人間の目の下には、くっきりと濃いクマが出来ていた。
 そしてそして。
 いつも啓介に纏わり付いていた色黒の青年が、その日はやけに啓介から距離を置き、そして腰がフラついていたのを、史裕は心の眼を閉じ見なかった。
 彼の腕に、くっきりと残る、赤い縄の跡など…。
 この一週間後。史裕は胃痛を覚え、病院で胃潰瘍と診断される自分を知る。
 この世は闇に満ちている。
 史裕は、二度と大部屋などは取らないと、痛む胃を押さえ固く心に誓った。



2006.4.13

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