拓海の里へようこそ
act.2
あんな夢を見たからだろうか。
今夜はやけに拓海の顔が見れない。
ふと見ると、無いはずの薄茶の髪の中からヒョコンと長いウサギの耳があるような錯覚を覚える。
ジーンズに包まれた小さなお尻の上に、真っ白でフワフワの尻尾があるような気も。
しかし現実に耳も尻尾もあるはずがなく、いつもの現実の拓海だ。
それを思い知るたびに、涼介の中に苦い思いが走る。
「アニキ。何か機嫌悪ぃのか?さっきから眉間の皺が酷いけど…」
「…いや、別に」
まさか藤原に耳と尻尾が無いからだと言うわけにもいかない。
「それに…アイツ何かやった?」
「何かって?」
啓介の指差した方向には拓海がいる。
チラリとこちらを気にしながら、けれど涼介と目が合うと怯えたように視線を逸らす。
グワっと腹の中に、苛立ちのようなものが込み上げる。
目を逸らすな、と言いたい。
俺だけを見て、そして微笑んでいればいいのに、とも思う。
けれど、それは現実では叶うことのない夢だ。
「アニキさぁ、今日ずっとアイツのこと睨んでるだろ?だからアイツが何かやったのかなぁって思ってさ」
「いや…」
拓海は悪くない。
きっと悪いのは涼介だけだ。
「そうじゃない。ただ…夢見が悪くてな。藤原に関する夢だったから、少し過敏になっているのかも知れない」
真実を隠したいなら、わずかばかりの真実を嘘に混ぜれば良い。
すると啓介は納得したように、「ふぅん」と呟いた。
「…あのさ、聞きにくいことなんだけど…聞いていいか?」
藤原拓海に性的な意味を含めた好意を持っている。
その事実以外なら、何を聞かれても困ることは無い。
「ああ。何だ?」
だから気軽にそう答えたのだが、啓介の質問は思わぬものだった。
「アニキってさ、藤原のこと嫌いなンか?」
「は?!」
真実は全くその逆だというのに、何故?との思いを込めて啓介を見つめると、啓介は気まずそうに頭を掻きながら「だってさ…」と続けた。
「アニキ、いっつも藤原にカベ作ってんじゃん。そりゃ、アイツも作ってるけど、絶対にアイツのは、アニキのカベを感じて遠慮してるだけだぜ?
アニキはアイツにだけ態度が素っ気無いし、突き放してるみたいに感じるけど…」
涼介は愕然とした。
自分では、啓介も拓海も同等に扱っているつもりだった。
それは、やはり啓介には身内と言うこともあって、言葉足らずになったり、甘やかしている自覚もあるが、それ以上に拓海には丁寧に扱っているつもりだった。
「なんか、アニキの藤原に対する態度って、腫れ物に触ってるみたいなんだよな。もっとこう…砕けてやればアイツも気が楽だと思うんだけどさ」
腫れ物…そうかも知れない。
あの夢を見た直後に感じた引っ掛かりが甦る。
藤原拓海をどうしたい?
望むのは素直で従順なウサギのような愛玩できる拓海。
それは現実の拓海では叶わない。
では、何故叶わない?
「まぁ、アニキの性格じゃ無理かもしんねーけど、もうちょとアイツと打ち解けてみろよ。色々コダワリがあるんだろうけど、アニキも藤原も、いつまでもガチガチになってると、周りの俺らも居心地悪くってさ…」
コダワリ…とは何だ?
「俺は藤原に拘りがあるように見えるか?」
啓介は物事を感覚的に捉える。何気ない雰囲気や、言葉の端を、理性ではなく感覚で察する。
だからこそ、啓介の「感じた」事は理屈では見逃していた「真実」を捉えている事があった。
「あるっつーか…やっぱあるんじゃねぇ?ナンダカンダ言って、アニキは俺を認めてくれてるけど、それは俺がアニキの弟で、ずっと俺を見てきてたからだけど、藤原の場合は…なんつーか、アニキに勝ったから認めてるわけで…俺、上手く言えないけど、そう言う違いなんだろ?」
ピキンと、何かが琴線に引っかかった。
けれど、まだ明確な答えは見つからない。
涼介の胸の中にモヤモヤが広がる。
「そ…うか…」
啓介と拓海は違う。
それは確かだ。
ドライバーとして両方の才能は認めている。
それも確か。
けれど二つの才能に対する自分の受け止め方の決定的な違いは何か。
そう考えた時に、あのウサギ耳の拓海が思い浮かぶ。
――ウサギだったら良かったのに…。
そう思う理由に至る。
ウサギでいて欲しい理由は何だ?
それは愛玩するだけの生き物であると言うこと。
ドライバーとしての拓海ではなく、愛らしい存在と言うだけの拓海。
それだったら、素直に愛を伝えられるのに…。
「啓介」
「あ?」
「ちょっと…休んでくる」
考えたい。けれど考え、答えを出すことに怖れを感じている。
見たくない真実はある。
たぶん、今がそうなのだろう。
「もしかして…気ィ悪くした?」
「いや、そうじゃない。ただちょっと…整理したいだけだ」
涼介はそのまま機材の詰め込まれたワゴンに入り、シートを倒し目を閉じる。
ドライバーとしての拓海。
それに告白できない理由…それは…。
「俺は藤原に嫉妬しているのか…?」
拓海が好きだと認められなかった理由。
そして現実の拓海を恋愛対象として扱えない理由。
ゴロリと寝返りを打ち、顔を隠しながら涼介は呻いた。
「…みっともねぇな、俺」
五歳も下の、自分よりも劣っていると自負していた少年に負けたこと。
それが「嫉妬」と言う形になって涼介の中に残っていた。
それが…そうだ。
それこそが涼介が告白できない理由なのだ。
また涼介は「拓海の里」の入り口に立っている。
ああ、これはまたあの夢だな、と思いながら、涼介は今日は最初から手にしていたパンフレットを眺める。
「……?」
そこに、前にはたくさんあった色んな拓海の家は無い。
あるのはただ一つきりの拓海の家だけだった。
『優しくない拓海の家』
ポツンと、一軒きりのその家の名称はそう書かれてあった。
場所は長い一本道の一番奥。
道の終わりにその家は建っていた。
とりあえず行くしかないだろう。
涼介は歩き出した。
優しくない拓海。
それがどんなものか知らないが、涼介は拓海に会わねばならない。
暫く歩いていると、見覚えのある建物が前方に見えてきた。
ウサギの拓海の家のような、真四角のハチロクカラーの家ではない。
現実の、藤原の生家。藤原豆腐店の外観が見えてくる。
そして軒先に立ち、年季の入った店のドアを開け、声をかける。
「ごめんください」
すると、すぐに店の奥から「は〜い」と拓海の声がした。
そしてカタカタと下駄のような音を響かせ、拓海が顔を見せる。
「涼介さん!いらっしゃい」
店に訪れたのは、涼介と認めた瞬間、拓海の顔が笑顔になる。
その朗らかな笑顔に和まされ、涼介もまた笑みを浮かべた。
「ああ。こんにちは。お邪魔しても良いかな?」
「はい。汚ねートコですけど、良かったらどうぞ」
そう言い、店の奥の居間へと案内される。
古びた畳の部屋に、ちゃぶ台と座布団。
座布団を示され、涼介はそこに座った。
「お茶、熱いんで気をつけてくださいね」
涼介が座ると同時に、ちゃぶ台にお茶が置かれる。
湯気の立つそれはコブ茶だった。
「ありがとう」
湯のみを手に取り、口を付けると、ウサギの家で飲んだときと同じ味がした。
柔らかく、まったりとした味。
まるで包み込むような。
コトンと湯のみをちゃぶ台の上に置き、涼介は呻いた。
「俺は優しくない拓海の家に来たんだと思ったんだが…」
今までの拓海に、優しさは感じても、優しくないなどとは思わない。
それを不思議に思い問いかけると、拓海はニッコリと笑みを浮かべた。
「優しくないですよ?」
涼介は拓海の言葉に目を見張る。
「だって、涼介さんの知りたくないことを暴く家なんですから」
湯飲みがコトンと倒れて、残っていたコブ茶が流れる。
それを拓海が冷静に布巾で拭った。
「あ、ああ、すまない…」
慌てて、伸ばした手に拓海の手が重なる。
驚き拓海を見ると、無垢な赤ん坊か、動物のように真っ直ぐに自分を見つめる拓海の瞳が目の前にあった。
「涼介さんは俺が嫌いですか?」
これは夢。
だったら真実を明かしても良いはずだ。
「いや、好きだよ」
「どれくらい?」
「拓海が男でもキスして…セックスしたいと思うくらい」
告げると、カァと拓海が照れたように頬を真っ赤にさせ俯いた。
けれど触れた手は離さない。
「だったら…どうして俺に冷たくするの?」
「冷たく…してない」
きゅ、と涼介の手に触れる拓海の指に力が篭る。
「してるよ。だから俺はいつも悲しいよ」
「拓海…」
涼介は腕を伸ばし、拓海の身体を抱き締めようとする。
しかし、つい、と拓海の身体は拒むように後ろに下がった。
「涼介さんがこうやって俺に触ってくるのは、今の俺が夢の中の俺だからでしょう?」
「………」
「涼介さんは現実の俺の前だと、全然優しくないし、滅多に俺に触ることもない。ほんの少し、肩とかポンって叩かれるだけで、俺がどれだけ嬉しく思ってるか、切なく思ってるか、涼介さんは知らないんだ…」
悲しそうに、俯いた顔からポタリと涙の粒が落ちる。
涼介の胸も切ない気持ちでいっぱいになる。
「涼介さんは現実の俺が嫌いなんだ…」
「そうじゃない…」
否定したい。けれどある感情がそれを阻む。
「俺が涼介さんに勝ったから?だから涼介さんは俺に優しくしてくれないの?だったら…」
違う。違う。
そうじゃない。
そうではなくて…。
「…だったら、俺、もうドライバー辞める!」
そうじゃないんだ!
「拓海!!」
バン、とちゃぶ台を強い力で叩いた。
ハッとしたように拓海が顔を上げる。
その瞳には透明な粒がびっしり浮かび、頬は涙で濡れている。
「そうじゃなくて…俺は…」
「涼介さんは俺が勝ったのは気に入らないんでしょ?自分よりも格下の俺に負けたのが悔しくて、俺に優しくしてくれないんでしょう?」
そうじゃない!とカッと頭に血が昇る。
そうではないのだ。
確かに、嫉妬はした。
拓海の才能に。
努力などでは追いつく事の出来ない才能と言うものを目の当たりにして、羨ましいと、妬んだ気持ちは確かにある。
しかしそれ以上に、惚れたのだ。
その圧倒的なまでの才能に。
だから、育てたいと思った。
自分が走るよりも、この才能を育てる事に喜びを見出した。
だから、嫉妬が拓海に好きだと言えなかった理由ではない。
「そうじゃ…ない」
理由はもっと、惨めで単純な愚か者の心理だ。
「俺は…情けなかったんだ。俺はどう足掻いてもお前に追いつけないだろう。けれど、お前はまだこれからもっと速くなる。どんどん先へ進んで、やがて俺のことなんて思い出さなくもなる。
俺はお前に置いていかれる。
なのに、そんな俺が、お前に好きだと言ってどうなる?お前にぶら下がって…しがみ付くだけの存在になる…そんなのはプライドが許さない」
そうだ。
弟ならまだ良い。
拓海とは別種の才能を見せる弟。
啓介なら、兄弟という繋がりがある分、いつまでも変わらずにいられる自信がある。
けれど拓海は違う。きっといつか自分が重荷になる。足手纏いになる。
そんな存在になるのは、どうしても許せなかったのだ。
「俺は…ずっとお前と対等な立場でいたかったんだ…」
結局はそれだけ。
涼介のプライドが邪魔して、拓海を受け入れる事が出来なかった。
ただ、それだけなのだ。
情けなくも涙が浮かぶ。
拓海が好きだ。
けれど、好きと言う感情を素直に現すには、涼介はプライドが高すぎたのだ。
項垂れ、嘆く涼介の身体が、ふわりと温かいもので包まれた。
見れば、それは拓海の腕。
目の前に嬉しそうに微笑む拓海の顔があった。
「バカな涼介さん」
生まれて初めて、他人からバカと言われた。
けれど怒りは生まれない。
言ったのが拓海だからか、それが真実だからなのか。
いや、両方だからかも知れない。
「俺が涼介さんを置いていくなんてこと、あるわけないよ。だって、俺が速くなったとしても、それは涼介さんが俺を速くしたんでしょう?」
ぎゅっと、涼介を抱き締める力が強まった。
「俺ね。涼介さんとバトルしてたとき、一番怖かったよ?後ろから追いかけられてるんだ。速くいかないと、抜かされちゃうって、すごい怖かった。
だからね、あれ以来、俺の後ろで涼介さんが速く行かないと抜かすぞって、ずっと言ってるみたいな気がする。だから俺は速く走れるんだよ。涼介さんに抜かされないよう、いつも必死に。」
「拓海…?」
肩に、熱く濡れた感触が広がった。
泣いている。
拓海が腕の中で泣いていた。
「置いていくとか…重荷とか…言わないでよ。俺を信じてよ…。それに、俺は涼介さんがずっと見張ってないと、速くなんて走れない。ずっと見ててよ。速く走らないと、追い抜くぞって、俺を見てて…」
愛しさが胸からあふれ出しそうだった。
拓海の身体を抱き締め、涙で濡れた頬、そして唇にキスを降らせる。
「拓海…ゴメン…もう言わない」
「涼介さ、ん…」
「拓海が好きだ。ずっと見てる。だから…お前はもっと速く走れ。ずっと見てるから…」
「…ん。涼介さん。好き…」
可愛い藤原。
そして誰より速い藤原。
どちらも好きなのに、つまらないプライドが涼介の感情を押し殺させた。
ニコリと柔らかく微笑む唇に自身のそれを重ねる。
「俺は…愛してるよ。藤原の全部」
憑き物が落ちたように、涼介は晴れやかな気持ちで告げた。
だから、目覚めたときもその余韻は残っていた。
「…藤原?」
目を開けると、夢の中と同じように拓海がほんのりと微笑んでいる。
「あ、起きました?啓介さんに起こして来いって言われたんですけど…」
ああ、夢の中の拓海と同じだ。
涼介は夢と同じように、目の前の拓海を抱き締めた。
「わ!りょ、涼介さん?!」
「藤原…好きだ…」
腕の中でビクリと拓海の身体が跳ねる。
「え…」
「藤原が好きだ。愛してる。だから…ずっと傍にいてくれ。俺はずっとお前を見てるから…だから…」
「あ、の…」
カタカタと自分よりも華奢な身体が小刻みに震えている。
涼介は離すまいと、さらに力を込める。
「藤原は?」
「え?」
「藤原は言ってくれないのか?俺をどう思っている?」
「あの…それは…」
「お前を俺のものにしたい。キスしたい。セックスもだ」
直接的な言葉に、腕の中の身体に熱が篭る。
「俺は…だって…男だし…」
言いよどむ言葉を遮るように、涼介は言葉を続けた。
「藤原の全部が好きだ」
「俺は…俺も…だって…」
「簡単に言えば良い。好きか、嫌いか。俺とキスしたいか、セックスしたいか、それだけだ」
そう詰め寄ると、ゴクリと唾を飲み込んだ拓海が、意を決したように涼介の目を見つめる。
そして。
「…ん」
涼介の唇に触れるだけのキスをした。
「…藤原」
真っ赤な顔の拓海は、夢の中のウサギよりも愛らしかった。
「俺は…涼介さんが好き、です。すげぇ…好き。キスも、それ以上も…したい」
可愛い拓海。
愛しい拓海。
こんなに誰かを好きだと思う事はもう一生無い。
おまけに、恋心だけではなくドライバーとしての畏怖も覚えている。
拓海の全てにオマージュを捧げているのだ。
涼介は幸せそうに微笑み、そして腕の中の身体を組み敷いた。
ギシリと、シートが軋む。
戸惑ったように拓海が涼介を見上げるが、「嫌か?」と愛撫するように頬を撫でると、真っ赤な顔のまま、拓海は涼介の身体を引き寄せ胸に顔を埋めた。
「涼介さん…」
「拓海…」
首筋にキスを降らせ、服の下に手を伸ばす。
想像通りの滑らかな感触。
ゴクリと涼介は唾を飲み込み、早くも膨らみ始めた下腹部を寛げるべくベルトに手をかけた。
その時。
ガラ、とワゴンのドアが思い切り良く開かれる音がした。
「藤原ァ、アニキ起きたかぁ?」
ピタリと、涼介の動きが止まる。
そして現場を目撃してしまった啓介もまた、動きが止まった。
ゆっくりと、負のオーラを纏いながら涼介が振り向く。
「……啓介…お前…」
見られた事に、拓海は恥じらい小さくなっている。
そして啓介は、見た光景のあまりの衝撃に、兄の恐怖を忘れ叫んだ。
「仲良くなれって言ったけど…Hするほど仲良くなってるんじゃねぇよっ!!!」
キィンと、四方に響き渡ったその叫びは、奇しくも白い彗星と秋名のハチロクの交際を周囲に知らしめる切欠となった。
2008年4月21日