ROSE-Another

ROSE 番外
風邪を引いた日


 風邪を引く、と言う予感はあった。
 三日の徹夜。激減した体力と気力の上に、急に冷え込んだ気温と、極めつけに帰宅時に雨に降られた。
 たかだか大学の構内から駐車場までの距離。
 突然振り出した雨を気にもせず、一歩外へ踏み出した途端に豪雨となり、FCに辿り着いたときにはすっかりずぶぬれになっていた。
 そしてそのまま渋川の藤原家へ帰宅。
 濡れたまま帰ってきた俺を、親父さんは細い目をさらに細めて顎をしゃくった。
「早く風呂に入んな」
「…すみません」
 親父さんの横を通り抜けながら、着替えを手にシャワーを浴びる。けれどその時点で俺の体は冷え切り、悪寒がひっきりなしに走っていた。
 シャワーを浴び、そのまま拓海と共同に使用しているベッドに潜り込む。
 いつも俺がこの中に入る時には、拓海が先に布団にいる状況が多い。
 拓海の体温で暖められた布団に入るのが慣れた今の俺には、そんな布団の冷たさも体を冷やす原因になったのかも知れない。
 そのまま眠り込み、ふと気付いたのは夜。額に感じた冷たい感触によってただった。
 目を開けると、照明を絞り、ほのかな灯りを点しただけの部屋で、心配そうに自分を覗き込んでいる拓海の顔だった。
「…涼介さん?起きたんですか?」
 起き上がろうとすると、拓海の手により止められた。
「ダメです。寝てて下さい」
 そして拓海が俺の目の前に水銀のレトロな体温計を見せ付ける。
「ほら。38度。熱あるんですよ?だから大人しく寝ててください」
 俺をベッドに引き戻し、体の上に布団を被せて、上からポンポンと叩く。まるで小さな子供を寝かしつけるように。
 思わず、クス、と笑うと、拓海が慌てたように手を離す。
「…すいません、つい。子供じゃないですよね」
 けれど俺は、離れていこうとする手を掴む。
 いつも暖かく感じる拓海の手が、今は自分が熱があるためだろう。冷たく感じた。
「…いいよ。もっとしてくれ」
 熱に任せ、甘えてそう言うと拓海は一瞬驚き、だがすぐに微笑んだ。
「心細いんですか?」
 俺が弱ってるのが嬉しいのか、拓海の顔がやけに嬉しそうに見える。けれど、それがどんな感情から出ているのか、分からないほど鈍くは無い。
 これが逆の立場なら、俺もきっと喜んでいただろうから。
 好きで仕方が無い相手から、頼られたり甘えられるのは心地好い。
 だから俺は自分の感情に素直になることにした。
「…拓海。食事は?」
「済みました」
「…風呂は?」
「もう入りました。後は寝るだけです。」
「…じゃあ、傍にいてくれ。寂しいんだ」
「はい」
 拓海が俺の頭を撫でる。気持ちよい。うっとりと俺は目を閉じた。
 過去、俺はこんなふうに病気の時に看病された覚えもなく、甘えた経験もなかった。
 体調が悪いときは、すぐに親が経営する病院に行き、点滴を打ち、家で野生動物のようにひたすら部屋でじっとする。
 いつもそうだった。
 啓介の看病はよくしていたが自分はされた事が無い。
 迷惑をかけないように自分一人で癒し、そして誰も知らないうちに回復させる。
 こんなふうに甘える自分を、子供の頃の自分は想像もしていなかっただろう。
「…どうしたんですか?何かおかしいことでもありました?」
 そんな事を思っていると、どうやら顔に出ていたらしい。俺は笑っていたようだった。
「いや…」
 俺は拓海の手を握る。
「風邪を引くのも悪くないと思ってさ…」
 そう言うと、握る拓海の手も強くなる。
「…でも、心配なんで早く治ってくださいね?」
 俺は頷いた。そして拓海の手を握り締めたまま眠りに付いた。
 狭いベッドの上で拓海が俺に寄り添うように眠る。
 入った時は冷たかったベッド。
 けれど今は心地好い。
 俺は傍らの温もりを抱き締めた。
「…傍にいますよ。だから早く治ってくださいね」
 優しい囁きを、子守唄に聞きながら。


 翌日、俺が風邪だと言う話を聞きつけ、まず啓介が見舞いにやって来た。
「アニキ、風邪だって?大丈夫かよ?」
 何を思ったのか、フルーツのカゴ盛りを手土産に。
 そしてかつて看病させまくった俺への恩返しのつもりか、俺に看病まがいのことをするのだが、それのどれもが看病ではなく、心労重なる迷惑行為でしかない。
 最後には「もう帰れ」と溜息混じりに言い、落ち込む啓介をフォローする気にもなれなかった。
 コイツがこんなのだから、俺はおちおち病気にもなれなかったんだなと実感した。そしてこれ以上、啓介に下手な心配をかけて心労を重ねるより早く治らねばと俺は思った。そういう意味では、有効的な見舞いであったとは思う。
 続いて、史裕までもが見舞いにやって来た。
「初めて見るな。お前の病気姿」
 暴言とも取られかねない言葉ではあるが、史裕の言葉は真実だ。
 かつて、誰にも弱った姿を見せたことが無かった。一番身近な存在であった啓介にも。長年一緒に居た親友にも。
「でも、まぁ…」
 と史裕が笑う。
「良かったよ。やっとお前が人間らしくなって」
 的確な親友の言葉に俺も苦笑する。
「藤原に感謝しないとな」
「ああ。そうだな…」
 風邪を引いた。
 かつては孤独な思い出しかなかったそれは、今では温かな記憶になり俺の中に積もった。



2006年4月19日


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