Dirty Magic 2

act.3 拓海伝説


「渋川の阿修羅?!いったいそれは何なんだ、啓介?!」
 問い詰める涼介に、啓介はふっと遠い目になった。
 渋川の阿修羅。
 その名は不良と呼ばれる少年たちのみならず、極道の方までアンダーグラウンドに在籍する人々にとって伝説の名前となっている。
 一見、穏やかな少年。
 しかし一旦、怒りを見せると鬼神の如く。まさに闘神である阿修羅さながらに化物のように強く、そして恐ろしい…。
 彼が通った後には草一本生えず、命からがらに生き延びた人々はみな口を揃えてこう言った。
『渋川の阿修羅を怒らせるな!もしそうなったら…すぐに逃げろ!じゃないと死ぬぞ…』
 と。
 啓介はあの居酒屋で、「舎弟」から聞いた話を思い出す。


「渋川の阿修羅?」
「…ええ。もちろん啓介さんもご存知ですよね?」
「ああ。まぁ噂には聞いてたけど…。でも確か、噂じゃ鑑別所に入ったとか、ヤクザからスカウトが来て本物になったとか聞いてるけど?」
「それが……藤原なんです」
「…ハァ?まさか…」
「まさか…俺も最初はそう思いました。けれど…」
「何だよ」
「…啓介さん、覚えてますか?俺の右腕だった男。いつもライダース着てた奴なんスけど…」
「ああ。あの熊みてぇな奴だろ?喧嘩っ早くて、何度か助太刀したかな」
「ええ。そいつが…渋川の阿修羅の噂を聞きつけて、そいつを探したんですよ」
「それが、藤原だったのか?」
「…いえ、誰に聞いても知らなくて、たまたま歩いていた藤原に聞いたみたいなんです。そしたら…」
「そしたら?」
「…あいつ、藤原に惚れたみたいで…」
「……ハァ?!!」
「で、しつこく追いかけ回してたみたいで…。俺も、あんまりあいつが真剣なんで、応援してやろうかと、あいつと一緒に藤原に会いに行った事がありまして、そこで…」
「そこで?」
「あいつ、藤原に『君みたいな可愛い子には出会ったことがない。どんな女よりも可愛い』って言った途端に…」
「途端に?」
「……豹変したんです…」
「……豹変…」


 その噂の豹変は、今、啓介たちの目の前で起こっている。
 大きな栗色の瞳は半眼になり、鋭く剣呑な光を宿らせ、いつもは口付けを誘うようにうっすら開かれた愛らしい唇からは、チンピラも真っ青な怒声が止むことなく放たれている。
 ゴキ、ボキ、と骨が軋む音が赤城に木霊する。
「…ぎ、ギャァァ!」
 腕を押さえ、泣き喚く男に、さらに拓海の攻撃は降り注ぐ。
「ぎゃあぎゃあ煩ェんだよ、この野郎!」
 ぼぐ…。
 鈍い音をたて、拓海の蹴りが男の鳩尾に埋まった。うぅ〜とうめき声を上げて、蹴られた男は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「あ、ああ、何するんだよ、お前〜…」
 拓海の暴挙に、他の男たちは抗議の声を上げるのだが、その体は遠目からでも子羊のように哀れに震えているのが分かった。
「てめぇか、俺にカワイイとか言いやがったのは?!俺のどこがカワイイってんだ、このクソどもがっ!」
 メシャ…。
 怒りのままに、拓海の蹴りがポルシェの車体にぶち込まれる。耐性のあるボディも、紙切れのように拓海の蹴りで形が変わる。
「あ、あああ、俺のポルシェがぁ…」
「お、お前、何するんだよ!」
「何するんだじゃねぇんだよ、バーカ!」
 さらにもう一発。今度はBMWのボンネットがヘコむ。
「いっぺん死んで来い、コラ!何なら俺が殺してやろうか、ああ?」
 眦を吊り上げ、悪鬼の形相で彼らの襟首を掴みあげる拓海は、もう涼介たちが知る拓海の姿ではなかった。
「け、啓介…渋川の阿修羅ってのが、藤原だってのは分かった…。しかし、あれを止めるにはどうすればいいんだ?あのままでは…死人が出るぞ?!」
 史裕の言葉に、再度啓介の脳裏に、舎弟の言葉が蘇る。


「あれは…まるで地獄のようでした…」
「地獄って、大げさな…」
「いいえ!俺は何度も修羅場と言われるものを潜ってきました!けど、あんなのは修羅場じゃありません。地獄です!」
「地獄って、いったい何があったんだよ?」
「啓介さんは、渋川の阿修羅の別名を知らないんですか?」
「別名?」
「はい」
「知らないな。何なんだ、それ?」
「それは…」
「それは?」
「タマ潰しの藤原です!」

「…た、タマ潰しの藤原?!!」


 その時、今まさに「タマ潰しの藤原」の妙技が彼らの前で披露された。
 倒れ、這いずり回る男の股間に、容赦のない…上段からの踏み下し…。
 ぐしゃ…。
 彼らは確かに何かが潰れる音を聞いた…。
「キャーっ!!」
 可憐な少女の悲鳴のような絶叫を上げる男たち。
『ギャーっ!!!』
 と、それを、股間をしっかり庇いながら、声も出せず心の中で叫ぶギャラリーたち。
「こ、こんなことしていいと思ってんのかよっ!?ぱ、パパに言いつけるからなっ!」
「何が、パパだよ、バーカ。…じゃ、パパに言えねぇように、その口塞いどかないとな…クックック…」
 鬼。
 そこにいたのは正に鬼だった。
 拓海がクスクスと笑いながら、ひしゃげたポルシェのドアに手をかける。
 メキ…メキメキメキ…。
「お、おい、啓介、あれ…」
「…ま、まさか…」
 バキン!!
「「ギャー!!!」」
 そこはもう悲鳴と絶叫の嵐。
 もぎ取ったポルシェのドアを片手で掴み、それを扇のように振り回す。
「ふ、フツー、あんなのもげれんのか?!」
「無理だっ!」
「に、人間じゃねぇよ…」
 彼らは渋川の阿修羅の異名が、噂以上であったことを否が応でも理解した。
「啓介!あれ何とかしろよ!!」
「な、何とかって…」
「早くしないと本当に殺されるぞ?!」
 啓介はまたも脳裏に舎弟の言葉を思い出した。


「藤原にタマ潰されて…結局、今あいつ、ゲイバーに勤めてるんです…」
「ま、マジかよ…。でも何でお前は無事だったんだ?」
「俺は、直接あいつには可愛いとか言ってないし、それに、危ういところで、藤原の父親が助けてくれたんです…」
「どうやって?」
「それは……藤原さんはこう言ったんです…」

「おーい。いい加減にしねぇと、お前の分の温泉饅頭食っちまうぞ」

「…って」
「それだけかよっ?!!」
「いえ、ちゃんと手には温泉饅頭を持って見せてました」
「…そしたら、止まったのか?」
「はい…本当に危ないところでした…」
「温泉饅頭ねぇ…」
「藤原さんがおっしゃるには、あいつを止めるには、大好物なものを見せるしか止まらないそうです」


「どうするんだ、啓介?今、温泉饅頭なんて無いぞ?!!」
「か、代わりに大好物なものって何か…」
 …大好物…あいつがすっげぇ好きなもの…。
 考える啓介と史裕…そしてふと見えたのは…。
「た、拓海?!ああ、どうしたら止まるんだ…」
 おろおろと、拓海を心配する涼介…。



 その時、啓介と史裕の二人は以心伝心。
 言葉のいらない世界。
 無言で彼らはおたつく涼介を羽交い絞め、そしてこう叫んだ。

「大変だ、藤原!早くしないとアニキが食われちまうぞ!!」

 その瞬間、奇跡は起こった…。
 悪鬼の表情で、男たちを追い詰めていた拓海の表情が、みるみると柔らかなものに変化していき、その手の中にあったポルシェのドアが、ガランと地に落とされた。
 そして。
「ダメです!!涼介さんは俺のです!」
 泣きそうな乙女顔でこちらに向かい走りより、そして涼介の胸の中に飛び込んだ。
「…た、拓海?!」
「涼介さんは俺のだから…だから食われちゃダメです…」
 ぐすぐすと涙目で、涼介の胸に縋る姿は先ほどまでの鬼神ぶりはどこへやら。
 ノーマルな男でも心をトキめかせてしまいそうなほどに、愛らしくたおやかだ。
「…た、拓海、俺は誰にも食べられないよ。お前だけだ」
 拓海の頭を優しく撫でながら、涼介は泣く彼を宥めた。
「…本当ですか?」
「ああ。本当」
「じゃ、今から確認してもいいですか?」
「…確認…?」
「涼介さん…食べちゃっていいですか?」
 ぴたり、と頭を撫でる涼介の腕が止まった。
「………」
 強張った表情のまま、涼介は背後に控える啓介たちに視線をやった。
 ホトケのような、微かな微笑を浮かべた顔になってしまった彼らは、無言で涼介に「頷け!」と圧力をかけていた。
 後門の虎。
 そして門前の狼…もとい渋川の阿修羅…。
「…わ、……」
「わ?」
 じっとこちらを潤む瞳で見上げ、切なそうに眺める拓海の姿は、頭からバリバリと食べてしまいたいくらいに愛らしい。その姿は、初めて会ったあの時から変わらず涼介を魅了する。
 涼介は大きく息を吐き、そして苦笑いを浮かべた。
 …最初っから、この顔には負けっぱなしなんだ。今更だよな…。
 ふっと力を抜き、拓海の柔らかな髪に指を絡めた。
「…分かったよ。好きにしろ」
「涼介さん!」
 ぎゅっと抱きしめてくるその細い腕。見かけより力がある事は知っていたが、まさかドアをへし折るとは思わなかった。
「た、拓海…もうちょっと力緩めてくれ…く、苦しい…」
 ミシミシと背骨が軋む音に、涼介は真剣に命の危機を感じた。だが、
「…あ、すみません」
 パッ、と離れたその体に、愛おしさがこみ上げてくる。
「…行こうか」
 手を差し出し、ニコリと微笑めば、彼もまた嬉しそうにその手に掴まり、花が綻ぶように微笑んだ。
「はい」
 二人、仲良く寄り添いながら、FCのエンジン音とともに去っていく。
「…啓介。後は頼む」
 そう言い残して。
 残された人々はこう思った。

 ――台風一過…。

 この赤城にいた人全てが、今日、地獄の片鱗を目の当たりにした。
 残されたのはめちゃくちゃに壊され、見る影もなくなった高級車二台。
 そしてタマを潰され、しくしくと泣く四人の男。
 啓介はまたもや舎弟の言葉を思い出した…。


「藤原さんが言うには、あいつ、小さい頃から女に間違われてて、そう言った言葉に過剰反応するようになったそうなんです」
「そう言った言葉?」
「ええ。『可愛い』、『女みたい』、ましてや『お嬢ちゃん』という言葉を、あいつの前で言ったら、命の保障はないと言ってましたね…」


 ポケットから煙草を取り出し、口に咥え火を付ける。
 煙の向こうに、台風の通り過ぎた後が曇って見えた。
「史裕…」
「何だ、啓介…」
「藤原って、『カワイイ』とか言われたらキレるんだと…」
「へぇ…。今まで言わなくて良かったな…」
「ああ。でも、アニキはよくあいつに可愛いとか言ってたんだけど、別に平気だったんだよなぁ…」
「それはお前、やっぱ愛だろ」
「愛…かぁ…」
 ふぅ、と啓介は煙を吐き出しながら呟いた。
「…俺、あいつの愛だけは、いくら貰っても…いらねぇなぁ…」
「俺も…無理だな…」
「アニキって、スゲェよなぁ…」
「赤城の白い彗星だからな…。常人には真似できないよ…」
 夜空にたなびく白い煙草の煙。
 その昇る煙を見上げながら、啓介たちは、じんわりと滲む目元の理由を、その煙草のせいだと思い込みたかった。
 決して。
 決して、漏れそうなくらに恐かったからではない。
 二人は心の中でそう言い聞かせていた。
 そして彼らは思った。
『タマがあるって素晴らしい…』








 その後。
 某所にあるゲイバー「阿修羅」に、四人の新たな女の子が入店した。
「あ、ママ。新しい子だね〜」
「ええ。この前、新規にタマ潰されちゃった子なの。可愛そうでしょ。ご贔屓にね〜」
「ああ。暫く聞かないと思ってたけど、またヤっちゃったのか、渋川の阿修羅。いやぁ。彼が活躍してくれると、お店の中が華やかになっていいね〜」
「…よ、よろしくお願いしま〜す…」



 そして、
「大変だ、温泉饅頭が切れてるぞ!」
「おい、お前死ぬ気か?!りょ、涼介さんはどうしたっ!」
「…が、学校があるって、さっき…」
「ギャーっ!!」
 プロジェクトDの遠征には、必ず温泉饅頭とチームリーダーである高橋涼介が完備されることが絶対となった。
「…何でみんな、あんなに騒いでるんですかね、松本さん?」
「………」
 その理由を、拓海だけが知らない…。



END
2005.11.15

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