Dirty Magic 2

act.1 拓海伝説


 波乱ずくめだった埼玉遠征を終えて、プロジェクトDは新たなバトルに向けて、一時の骨休めに入っていた。
 先のバトルで傷付いたFDの修理はまだ終わらず、車の無い不便な日を強いられ、峠に行くことも出来ずフラストレーションの溜まる日々を送る啓介の元に、ある一本の電話がかかった。
 前橋市内のとある居酒屋。
 そこで啓介は電話の相手を待っていた。
 とりあえず先に始めたビールを一杯飲み終わる頃に、急いだ様子で電話の相手はやって来た。
「啓介さん、すみません。突然呼び出しまして…」
 恐縮そうに、遅れてやってきたのは先日の埼玉のバトルで波乱の一つでもあった、いわゆる啓介の「舎弟」だ。
 無骨な顔に、慌ててやって来たのだろう。汗を滲ませ、叱られた子供のような顔で頭を深々と下げた。
「いや、構わねぇよ。俺も車乗れなくてヒマしてたからな」
 だから気にしなくていい、と啓介はカラリと笑った。そうしないとこの男は、ずっとこのまま頭を下げたままでいるだろうから。
「それより、今日は何だよ。まさかまだあいつらが何か…」
「いえ、それはありません。もう二度とああいった事が無いよう、しっかり教えときましたから」
 教える…その意味は、涼介のように弁舌ではない事は確かだ。彼の拳の喧嘩タコを見るまでもなく、そう言った方法でそれが行われたことは察せられた。
 だが啓介にとってそれは特別感慨深いものではない。ぐい、と目の前の杯をあおり、目の前の人物に向け怪訝そうな眼差しを向ける。
「じゃ、何なんだ?気になることがあるって言ってたろ?」
 そう。電話の向こうで彼は、啓介に「どうしても気になることがありまして…」と呼び出してきたのだ。
 男は厳つい顔に、深刻そうな色を見せ、啓介の目を見つめ返した。
「…啓介さんと一緒に、プロジェクトDでダウンヒルを走っているあのハチロク…あいつ、藤原拓海って言いましたよね?」
「あ、ああ。藤原がどうかしたか?」
「そいつ、もしかして渋川の人間じゃないですか?」
「ああ。渋川だけど…」
「年齢は…」
「この前、19になったって言ったかなぁ?」
 啓介がそう言うと、彼は「やっぱり…」と呟き青い顔になった。
 その変化に、啓介も顔をしかめる。
「おい、何だよ、その顔?藤原がどうしたってんだよ?」
「い、いえ、自分の知っているその、藤原だったんで、その、驚きまして…」
 啓介は少なからず驚いていた。
 目の前の男は、県下で一番大きなチームの頭をしている。それだけの実力もあるし、普段から豪胆な男であることも啓介は知っていた。
 だが今、彼は拓海の名前一つで、この男らしからぬ「怯え」を見せているのだ。
「おい、言えよ。藤原が何だってんだ?」
「そ、そうですね…啓介さんも同じチームにいらっしゃるみたいですし、知っておいたほうが良いと思います…」
 そう言って、震えながら彼が語ったのは……。





「お帰りなさい、啓介さん」
 帰宅した啓介にそう声をかけたのは、さっきまで彼の中で話題となっていた藤原拓海、本人だった。
「ああ、啓介。帰ったのか。遅かったな」
 そしてその拓海の隣には、当たり前のように兄の涼介がいる。
 リビングに座る涼介の前には、定食屋よりも立派な、だが料亭と言うには劣る、手の込んだ料理の数々が並んでいる。
 その料理を作ったのが、いそいそと給仕をするエプロンを着けた拓海である事は、同じ光景を何度も見たことがある啓介には、聞かなくても分かった。
「アニキ、今から食事か?」
「ああ。さっき帰ってきたばかりだ」
 いただきます、ときちんと手を合わせ、目の前の料理に手を着け始める兄を、嬉しそうに、幸せそうに見つめる拓海。
 この二人が色々な事を乗り越えて、めでたくカップルと纏まったのは啓介にとっても喜ばしいことだった。長い間この少年に恋をして、努力し続けた兄の姿をいつも見ていたのだから。だがそう思っていても、こんな新婚真っ盛りな光景を見せられると、少々胸焼けみたいな気持ちになってしまうのは仕方ないだろう。
「啓介さんはご飯いらないですか?」
「あ?…ああ。食ってきたからな」
 ソファに座った啓介の前にも、そつなく拓海が暖かいお茶を出してくる。その手際の良さと気立ての良さ、フリルの付いた真っ白なエプロンが似合う姿は、彼が男でなければどこからどう見ても、完璧な若奥様だ。
 …可愛い。確かに可愛い。アニキが惚れるのも分かる気がする…けど…。
 啓介の脳裏には、先ほど聞いたばかりの拓海の話が蘇る。
 そうすると、どうも目の前のこの甘ったるい若奥様風の拓海と、話の中の拓海の姿のギャップが激しく、あの話が本当の事なのか疑わしさを覚えてくるが、あの男が性格上いい加減な情報を啓介に与えるはずも無い。ではそれが事実だとすると啓介の混乱はいやおう無く増すばかりだ。
「どうした、啓介、変な顔をして?」
「あ?ああ、いや、別に…」
 そう答えながらも、視線は自然と拓海のほうへと向いてしまう。その不自然さに涼介が気が付かないはずもなく、穏やかだった涼介の目が、バトル中のように厳しく眇められた。
「…啓介。さっきから拓海のことばかり見ているようだが、まさか…」
 兄のその目に、啓介は自分が誤解を与えたことに気付いた。
「ち、違うって。ただ、もうすっかりアニキの嫁さんだよなーって思って…」
「嫁って、啓介さん。俺、男なんですけど」
 啓介の言葉に、不満そうに唇を尖らせるが、言葉ほど嫌がっていないのはその嬉しそうな目を見れば分かる。
 そして涼介もそんな拓海の肩を抱き、そして彼に向かって微笑んだ。
「ああ。こんな可愛い嫁さんをもらえて、俺はすごい幸せ者だよ」
「りょ、涼介さん…」
 ぼおっと頬を赤く染め、恥ずかしそうに涼介の胸に顔を隠す拓海。その姿は紛れもなく乙女だ。
 そして啓介は、少なからずその反応に驚いていた。
 先ほど聞いた話と、目の前の拓海の反応が全然違っていたからだ。
『何だ、デマだったのかな、やっぱり…』
 啓介はそう思い、ぬるくなってしまったお茶をすすった。眠る前には胃に優しいほうじ茶。こんなところまで気が付くとは、本当に兄は良い嫁さんをもらったなとしみじみする。
「そのエプロン、どうしたんだ?」
「え、と、涼介さんのお母さんが、そのプレゼントしてくれたんです。コレ着たら、涼介さん喜んでくれるからって…」
「うん、すごい可愛いよ。嬉しいよ、ありがとう、拓海」
「か、可愛いってそんな…止めて下さい、もう!」
「どうして?可愛いものは可愛いだろう?」
「だって…俺、男なのに…」
「男でも可愛いものは可愛いさ。なぁ、そう思うだろ、啓介?」
「え、あ、ああ。うん、まぁ、そうだな」
「…もう、涼介さん」
 だんだん甘くなる二人の雰囲気に、啓介はいたたまれず席を立った。
そしてリビングを去る際に、チラリと見た拓海の姿に、啓介はやはりあの話はデマだったのだろうと結論付けた。
 だがしかし。
 啓介は大切な事を忘れていた。
 涼介。
 その存在が、拓海の中でどんな位置にいる人物なのかを。
 そしてその事が、後に悲劇を生む………。



2005.11.11

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