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act.1


 ことの始まりは数日前。
 観光に適した風光明媚な時期。真昼の赤城の山でのことだった。おそろしく場違いな人物たちが場違いな車で場違いな叫び声を上げた。
「ふざけるな!拓海は絶対に渡さんぞ!!」
 にらみ合う二人の男。巻き添え食った哀れな長髪マッチョが一人。
 ギャラリーも観光客も、誰もいない時期で良かった…。そう、栃木県出身のランエボスキー(P.N)さんは後に友人たちに語ったと言う。
 そこに見る男の姿は、彼がいつも知る理知的で冷静な彼らのリーダーではなく、まるで某アニメ番組に出てくる『俺の物は俺の物、お前の物は俺の物』がポリシーの某キャラクターのようであったと彼は語る。
「負け犬が。何をほざいても聞こえねえな…」
 そして相対するリーダー様のライバルは、いつもは同アニメ番組の某優等生役の少年のように、理路整然と物事を処理するクールな、いわくスカした態度が常であったはずなのに、今日の彼はリーダーと同様のテンションで、●ャイアンの理屈を展開している。
「なんだと。この涼介!覚えてろよ!絶対ェ勝つからなっ!」
「ああ、いつでも来い。返り討ちにしてやるぜ!」
 そこには二人のジャ●アン。
 こうして後に走り屋たちの群馬史に残る、いろは坂のエンペラーこと須藤京一と、赤城の白い彗星高橋涼介の、因縁の対決の戦いの火蓋は切って落とされた。
 ただし。
 世の走り屋たちが知らない事実がそこには隠されていた。一部始終をご覧になっていたランエボスキーさんこと岩城清次(年齢未発表)は語る。
「…ハナシの始めはマトモだったんだ…けど、あの男がある名前を持ち出した瞬間、京一は変わった…」
 あの男こと涼介が発したのは、「秋名のハチロクに負けた」の言葉。
 そして京一が決定的におかしくなった瞬間の言葉は、「藤原拓海」。
 清次は語る。
「…あのバトルは…藤原拓海の…争奪戦だったんだ…」


 群馬県は渋川にお住まいの、秋名のハチロクこと藤原拓海は現在18歳の高校三年生。
 放課後はGSのバイト、朝は家の手伝いもこなす、ぼーっとしているが働き者のフツーの高校生だ。
 だけどそんな彼にも、三つの秘密があった。
 それは12歳から無免許運転(親公認)をしていたこと。
 そしてその関係で、立派に免許持ちとなった18歳の現在、知る人ぞ知る彼は負け知らずの群馬最速ダウンヒラー、秋名のハチロクであるということ。
 そして三つ目は………。
「…それで」
 今現在の拓海の状況はファミレスでご飯を食べていたりする。そして何故か目の前には拓海にとって憧れとも言える人、群馬の走り屋では知らぬ者はいない有名人。顔良しスタイル良し、頭も良くてお金持ちと三拍子も四拍子も揃ったカリスマ、赤城の白い彗星様こと高橋涼介が座っていた。
「藤原は須藤京一と、どういう関係なんだ?」
 目の前のカリスマ様は、なぜか恐い顔をしている。口元はうっすら微笑んでいるのだが、どうも目が笑っていない。鈍い拓海にもこれは分かる。目の前の人物が、どうやら不機嫌であるらしいことを。
 拓海と彼こと高橋涼介との関係は「バトルして何かしらねーけど勝っちゃった仲」の一言以外あらわしようがない仲だ。だが他のバトルした人たちと比べ、涼介は拓海にとって色んな意味で特別だった。
 まず最初から、挑戦状を薔薇の花束で贈られたことが異例。走る前から存在感のあった彼を、少なからず意識はしていた拓海だ。その花束大作戦で、拓海の中の憧れカテゴリーに属していたものが、少しばかり奇妙なところに軌道を修正されてしまい、とどめがバトル後の彼との会話。バトル中にはその凄さをひたすら実感させられ、結果的にバトルには勝利したが、勝ったという気がまったくせず、どうしても聞きたくてハザードを出して止めた車。降り立った自分に合わせ、彼もまた車から降りてきた。
 噂や遠目で格好良い人だと言うのは思っていた。だが実際に見た彼の姿は、拓海の予想を遥かに超えるもので、自然と顔が赤くなるのを拓海は止めることは出来なかった。そしてその時の涼介との会話で拓海は、無意味だった走ることに、大雑把ではあったが方向性を見つけたような気がした。
 それ以来、拓海の中で高橋涼介と言う人物は、赤丸付きの重要人物だ。その彼が今日、いきなり拓海がバイトをするGSに現れ、あの優雅な仕草で「ハイオク満タン」とブルジョアぶりを遺憾なく発揮させ、さらに驚愕の言葉を拓海に向かって言ったのだ。
「藤原。バイトが終わった後でいいんだが、良ければこの後付き合ってくれないか?」
 静まり返るGSの中で、拓海は頬を染め頷いた。
 そして現在。バイト終了の時間とともにタイミングよく現れた彼に、彼の白のFCに乗せられ、渋川市内にあるファミレスへと運ばれ今に至る。
 最初は極度の緊張で気付かなかったが、どうやら目の前の涼介は怒っているようだ。
 ―…なんか、怒らせるようなこと、俺したっけ?っつーか、男前って怒っててもカッコいいんだなぁ…。
 ぼんやり考えていると、
「藤原?答えられないのか?」
 さらに涼介の不機嫌度は上がったようで、今度は眉根を寄せて問い掛けれられてしまった。
 さすがに、のんびりな拓海も、憧れの人に嫌われるのは悲しい。拓海は叱られた子犬のように目を伏せ、上目遣いで涼介をおそるおそる見上げた。その表情が、相手にどんな影響を与えるかも知らず…。
「…あの…俺…なんかしましか?…俺、もし高橋さんを怒らせるようなことしたんだったら、遠慮なく言ってください…」
 武器とも言っても過言ではない子犬ビームでそう言うと、沈着冷静がウリのカリスマ様は、動揺を隠せず咳払いをしながら視線を外した。
「い、いや、そんなことはないよ。すまない。言い方がきつかったか?ただ、俺は、その、藤原とあの須藤京一と関係を聞きたかっただけなんだ」
 そして立ち直った彼は、にっこりと乙女をたぶらかす甘い笑顔を拓海に向けて放出した。案の定、拓海は頬を染めて俯いた。周りのテーブルでも、それを目撃してしまった人々が、ガシャガシャと食器を落としたりフォークを落としたり突然騒がしくなったのだが、拓海はもちろん気付かない。
 そしてドキドキする心臓を何とか抑えた拓海が顔を上げ、涼介の目をじっと見つめながら彼から言われた言葉を反芻し始めた。
 …ええっと、何だっけ?俺と、須藤京一との関係だっけ?須藤、ってあの人のことかなぁ。同姓同名の別人とかってこと、ないよなぁ…。
「…あのぅ、須藤京一って、ええと、栃木県の人ですか?」
 微笑み頷く涼介。…やっぱカッコいいなぁ…。ついついうっとり。
「ああ、そうだ。やはり知っているのか?」
「ええと、知ってるって言うか何て言うか…」
 …あ、今思い出した。
 先日そう言えば京一が店に来たのだ。そして家の茶の間で彼は正座され、延々と京一から説教をされてしまった。
 説教の内容はたしか………。
「…タカハシリョウスケには近付くなって…」
「えっ?」
 思わず声に出してしまい、拓海は焦った。
「ち、違うんです!これは…その、京ちゃんがそう言ってて…」
「…京、ちゃん?!」
 ビシリ、とファミレスの中の空気が凍ったような気がした。体感温度が五度減少したような錯覚を店内の人々は覚え、いっせいに店員を呼びエアコンの温度を上げるよう伝える人々が続出した。
「…つまり、藤原は京一とは仲がいいんだな?」
 目が笑っていないカリスマ様。だが焦る拓海は気が付かない。
「仲がいいって言うか…その…」
 京一の説教その2。タカハシリョウスケには俺のことを喋らない。
 …聞かれてるんだけどっ!京ちゃん、助けて!!
 うろうろと視線をさまよわせる拓海の目に飛び込んできたのは…見覚えのある人物。
 涼介の背後のテーブルに座る二人の人物は、拓海が見知った人たちだった。彼等はジェスチャーで拓海に『黙ってろ!』とアクションを起こしている。
 ―…たしか、あれ黄色い人とレッドサンズの営業の人だ。何でここにいるんだろ?
 黄色い人…カリスマ様の実弟、啓介のことである(拓海の中ではそんな認識)。そしてもう一人の営業(間違い。外報係です)とは史浩のことだ。
 そして彼等は、さらにどこから持ち出したのかスケッチブックを広げ、拓海にそれをかざした。そこには二言。『頼む!答えてやってくれ!!』とあった。
 ―…困っている人がいたら助けなさいって、昔京ちゃんよく言ってたもんな。なんかすげえ困ってるみたいだし、じゃ、答えていいよな。うん。そうしよう。
「…あの、京ちゃん、じゃなくって、その…須藤京一は実は…」
「実は?」
「ええと、絶対に黙っててほしいんですけど…」
「ああ、分かったよ」
 涼介がフン、と鼻で笑っているのにも気付かず、拓海は安堵し言葉を続けた。
「兄なんです」
「………」
 カリスマ様が固まられた。
 身じろぎしない涼介の様子に、彼の背後の二人に目をやれば、彼らもまたどうやら目を見開いて硬直している様子。…なんだよ、役にたたねえな!意外と毒舌な拓海だ。
「あ、あの、涼介さん?大丈夫ですか?」
 彼の目のまで何度か手のひらをヒラヒラさせ、不安そうに見上げていると、やっと硬直が解けたのか涼介のさまよっていた視線が定まった。
「…あ、ああ、いや、すまない。驚いてな…」
 ほっと安堵し微笑む拓海。まるで昔の美少女アイドルのような完璧な微笑に涼介は見惚れた。が、瞬間、重なるように思い出した須藤京一のゴツい顔。アレとコレが兄弟?!
「え、と、内緒なんですけど、京ちゃんと俺って父親が違うんですよ。話、長くなるんですけど実は……」
 と語りだした拓海の話の内容は、主婦層にウケそうな昼メロ的な内容の事実だった。


 それは今から20数年前のこと。
 拓海の父、文太は小柏健とのバトルで訪れたいろは坂で、とある女性と運命的な出会いをした。その彼女が京一の母であり、拓海の母となる女性だった。
 彼女はいろは坂に自殺を図りにやってきた。そして危ういところで文太に止められ、そして彼女の話を聞いた文太は「そんじゃ、俺と結婚すっか?」と初対面でプロポーズ。その後時をおかず、彼女は藤原豆腐店のおかみさんとなったのだが、それはまた別の話。
 彼女が自殺を図るまでに至った理由は、世の奥様たちならば涙なくしては語れない内容だった。(奥さん、泣くとこですよ!)
 酒乱の父に育てられ、美貌だった母親の容姿を受け継いだ彼女は、成長したと同時に父親によって資産家の男に金で売られた。男は名家の妻を持ち、彼女は愛人の身分となったのだが、やがて子供を身ごもり私生児を出産。だがそれと同時に男の妻に存在がばれてしまい、彼女は放逐されたのだが、その際子供の無かった男の家に、生まれた彼女の子供を奪われてしまったのだ。…そう、それが後の須藤京一。彼は紛れもなく父親似であった。
 弄ばれたあげくに、やっと生きがいとなった子供まで奪われ絶望した彼女は、向かった先の死に場所で、運命と言う名の幸せを拾ってしまった。
 その後の彼女の生活は、事故に合うまで幸せの一文字の一生だった。無愛想だが暖かい夫。自分に良く似た可愛い息子。だが時折思い出すのは、生き別れとなった息子の姿。だが彼女はその息子と再び会うことなく命を落としてしまった。
 そして彼女が亡くなってから数ヵ月後の夏。藤原豆腐店に一人の訪問客が現れた。
 それが、京一だった。
 彼はその時まだ高校一年で、夏休みを利用し、家の人間には秘密で彼の生母に会いに来たのだ。だがタイミングが悪く、彼女は亡くなったばかりだった。
 そんな落ち込む彼を慰めたのが、拓海だ。
 母に良く似た可愛い弟。
 母に向ける分だった愛情まで、京一は拓海へ注いだ。
 拓海もまた、幼い頃から母親より聞かされていた「お兄ちゃん」の京一を慕い、二人は母のいなくなった穴を互いで埋めるよう側にいた。
そして密かに会い続けること早や十年。血筋と言うのか?二人は現在同じ走り屋と言うステージに立ってしまったようで、それを知った京一に、延々と説教されたのがこの前のこと。
『拓海のような可愛い子が、峠なんかに行ったら危険だ!』だの、『特に高橋涼介って男は、あれは人の皮を被った悪魔だ。油断するなよ?あれは白い悪魔なんだ!!』とやたらと叫んでいたのは記憶に新しい。
 そして拓海も拓海で、
『悪魔って黒いんじゃないの?白い悪魔っているんだー。へーえ』
 などとどこかボケた事を言って京一に呆れられたりもした。
 一部始終を語り終えた拓海は、ほっと一息ついて目の前のオレンジジュースに口を付けた。
「……そうか。大変だったんだな。まさか、あの京一にそんな過去が…」
 と、神妙に言いながら、涼介の背後には悪魔の尻尾が見えているのは、後ろのテーブルの啓介たちにしか分からない事実だ。そう、たとえ腹の中で涼介が『あいつのいいネタ拾ったぜ』なんて思っていようとも。
「じゃあ、藤原は京一とは仲の良い兄弟で、それだけなんだな」
「はい」
「…そうか。すまないな、言いづらいことを言わせて。京一の奴が藤原と一緒に風呂に入ってるだとか、同じ布団で寝てるだとか言いやがるから、少し誤解をしてしまってね。あいつの事だから、大げさに言って俺を牽制させようとしたんだろうが……(それが余計に煽る事になるってのがわからねーところが、あいつは甘いんだ。フッ…【注:心の中の呟きです】)」
 …ケンセイ?ってなんだろ?
「…入ってますけど…」
 ぽやん、と不思議そうに首をかしげながら拓海は言ってしまった。
「え?」
「え、と、京ちゃんと一緒にお風呂入ってますよ。泊まる時は布団も一緒ですし…」
 涼介の背後の二人から、新たなメッセージが広げられた。
『それ以上しゃべるな!藤原!!』
 …え、でも、なんか無言の圧力ってやつを、目の前から感じてるんだけど…。
「…へえ…それは小さい頃とかの話ではなく…今、でも?」
「は…い。この前も一緒に入りました…けど?」
 後ろのスケッチブックには『止めろ!藤原!!ギャー!』意味不明な言葉が羅列している。
「…そうか…仲…いいんだな…」
「そうなんですか?京ちゃんはそれが普通だって言ってましたけど?」
 瞬間、浮かんだ涼介の額に血管の青筋。背後のスケッチブックには啓介の殴り書きのような『オメェそれ変だぞ!』の文字の下に、たぶん史浩のものだろう几帳面な字で『藤原。お前は騙されている』の文字。
 …変?騙されてる?え、そうなの?
 そう言われてみれば、文太も一緒に仲良くお風呂に入る拓海たちを、いつも嫌そうな顔をして見ていた。そしてこの前も、『お前ェいいかげんガキじゃねえんだから、もう一緒に入ることもねえだろうが…』とうんざりしたように言われた。その時は、京一が『いいじゃないですか。俺たちは二人きりの兄弟なんですから、出来るだけいつも仲良く傍にいたいだけなんですよ』と言っていたのだが、やはり、これはおかしい事なのだろうか?拓海は突然不安になった。
「…あの、俺、騙されてるんですか?一緒にお風呂はいるのとかって、そんなおかしな事なんですか?」
 涙目で拓海は涼介に問いかけた。実際、それを聞いた涼介の反応もおかしい。もしや彼も言わないだけで、変だと思っているのではないか?不安にかられ、拓海は涼介を見つめた。その眼差しに、涼介は鉄壁を誇っていた理性が崩れかける音が、聞こえるような気がした。
 そして出てきた言葉は常のカリスマ様とは思えない、壊れたものだった。
「…藤原。俺と一緒に風呂に入ろう」
「…はい?」
 ぱちぱちと、その大きな瞳が何度も瞬きを繰り返す。満面の笑顔を浮かべる涼介と対照的に、背後の啓介と史浩の顔は青ざめていた。
「…藤原。俺が考えるには兄弟とは言えそれは確かに危うい行動だと思う。京一と仲が良い兄弟なのはいいことだ。見ていて微笑ましいぐらいだよ。しかし、だからといって兄とはいえ彼とだけと特別に親しすぎるのは、お互いの世界を限定させ閉塞的なものにしてしまっているのではないか?」
「…は、はあ」
 …ヘイソクテキって何だ?
「人のコミニュケーション能力は、多くの他者と会話し受け答えすることで育成されるものなんだ。だがお前たちの場合、その能力を特定された相手にのみ活用している。その場合、コミニュケーション不全となり、社会および人間関係に深く溝を生じることになるだろう。現に藤原。俺が見たところ、お前は人に対して言葉に不自由なところがあるんじゃないか?自分の思うことを上手く伝えられなかったり、相手に自分の印象を悪く受け止められ誤解されたりすることがあると思うのだが…どうだ?」
「…え、あ、はい…そうかも」
 よく分からないながらも肯定する拓海に、満足そうに涼介は頷いた。
「…やはりそうか。…だが問題はお前だけではないんだ。それは京一にも言えることだ。現に藤原、お前は京一の恋人と呼ばれる存在を見たり聞いたりしたことがあったか?ないだろう?それは良くない傾向だと思うよ」
 そしてカリスマ様は、そこで言葉を切り、実に効果的に相手の不安を煽るべく、拓海から視線をふと外し溜息をついた。
「……このままでは京一は、一生結婚出来ないだろうな」
「ええっ!そうなんですか?!そういや京ちゃん、恋人のことなんて聞いたことない…。いっつも俺のほうが大事だからって…」
「そうだろう。…イヤ、藤原に責任はないよ。京一が藤原と言う存在にこだわりすぎて、たぶん他の存在に目を向けることをしないのだろうな…。どうする、藤原?このままでは京一は、車以外に趣味のない寂しい人間になってしまうだろう。藤原、お前も大好きな兄が、そんな悲しい人生を送るだなんて、許せないことじゃないのか?」
「…はい。俺、京ちゃんには幸せになってもらいたい…高橋さん、俺、何か出来ることってあるんでしょうか?」
「ある」
「え?」
「…俺と一緒に風呂に入ることだ」
「………」
 …えーと…。背後のスケッチブックには『逆らうな』の文字。やけに震えている。
「誤解しないでくれ、藤原。俺はその状況を打破するのに、一番最適な方法を提案しているんだ。つまりだな、京一の症状はいつも藤原と一緒に風呂に入ると言う、限定された特別行動がもたらしているものだ。だがそこに、藤原が京一だけでなく俺とも一緒に風呂に入ったとする。その場合、その行為はお前と京一に限定された行為と言う枷を外され、特別ではなくいわゆるグローバルなものへと変化するんだ。そうなった場合、京一の精神内では、藤原の存在が全にして一の唯一の特別視から、全の中の一の複数視に変わるだろう。分かるか、藤原。これは、京一の為なんだ」
 拓海は混乱していた。今まで自分たちが当たり前のように行動していたものが『変』『騙されている』と言われ、不安に思っていたところに、この涼介の立て板に水をかけるような理屈。拓海は感覚派の人間であるから、涼介のように理路整然とした理論派の人間にめっぽう弱い。そして言葉巧みに無知なお年寄りを騙す詐欺師のごとき涼介を、無知ならではの純真さで拓海は無条件に信用してしまった。
「分かりました、高橋さん。でも…お風呂って、俺、あの、他の人とかじゃ駄目なんですか?」
 信用はした。が、憧れの人と京一のようにお風呂に入るにはいくらなんでも恥ずかしすぎる。服を着ている今でさえ、マトモに見れば頬を赤らめると言うのに、いざそんな状況になったら、拓海の心臓が壊れてしまうかも知れない。
 拓海のその返事に、涼介は意図して切なそうな表情を作った。
「嫌か?藤原…」
世の女性たちが見たならば、心臓を「キューン」と刺されて、メロメロを通り越してめろんめろんになってしまうその表情は、もちろん拓海にも有効だ。頭に血が上って下がらなくなった拓海は、まるで魔法にでもかかったようにぷるぷると首を横に振る。
「…そんなこと…あの、お、お願い…します…」
 真っ赤な顔で、しかしはっきりと縦に首を振った拓海。それを見て、にやりと笑う涼介の内心は、生憎と拓海には見えず、彼の背後の二人にのみ見えた。
「そうか、ありがとう、藤原」
「…え、と、でも、その…」
 モジモジする拓海に構わず、涼介はテーブルに身を乗り出し顔を寄せた。…うわあ、顔が近ぇ…すげえ、カッコいい…。うっとり。
「それで、京一は風呂の中で何をする?ただ一緒に入るだけか?布団の中ではどうだ?」
 ぼんやり。眼差しの魅惑に負けた拓海は、意識せず本能だけで質問に答えた。つまり、嘘はない、と言うことだ。
「…え、と、身体を洗いっこするんですよ。たまに、京ちゃんだけが俺のこと、全身洗ってくれますけど…」
 そして嘘のない答えは、ある意味、虚構よりも恐ろしい真実で。涼介は切れ長の眼差しをぱっちりと見開いて、拓海に詰め寄った。
「洗う?!全身まんべんなく隅々までかっ!」
「はい」
 脳内で涼介は拓海の全身を洗う妄想を繰り広げる。すげえ。それだけで三●ツはヌけるぜ…だが待てよ?あの京一のことだ。こんな程度じゃすまねえだろうな。…カリスマ様の予想は的中。
「…それで?布団の中ではどうなんだっ?!」
「えーと、腕枕してぎゅって抱っこして眠るんです。それで、寝る前にはおやすみのチュウとおはようのチュウをしますよ?」
「……京一の野郎…」
 そこまでしてたか…。敵ながら天晴れだぜ…。
 背後のスケッチブックの二人は、もはやテーブルに突っ伏して使い物にはらない。広げたスケッチブックには、『アニキが壊れた…』とだけ、判別不能なくらい崩れた字で書かれてあった。
「…よし。よく分かったよ藤原。じゃあ、俺ともそれを全部しような」
 にっこり。笑う涼介に拓海は頬を染めた。
「え、高橋さんと…ですか?そんな…」
「…嫌?」
「…じゃないですけど…」
 恥ずかしい…。と掠れるような呟きが涼介の耳まで届く。その瞬間、浮かんだ涼介の笑みは、誰が見ても悪党のそれだった。幸いなことに俯いたままの拓海には見えなかった。
「…それに、京ちゃん、たぶん怒ると思いますけど…」
「大丈夫だ。実は今度京一とバトルをすることになってね。それの敗者は勝者の頼みを何でも言うことを聞くって事を約束しているんだ。それで頼むから大丈夫だよ」
 ちなみに京一の出した頼み(=命令とも言う)は『拓海に近付くな!』である。
「藤原。京一には幸せになって欲しいだろう?その為には、お前もそうだが、京一も外に目を向けることが大事なんだ。荒療治で辛いとも思うが、これが一番友好的な方法なんだよ?」
「…はい。それは分かりました。でも、高橋さんはいいんですか?…あの…俺なんかと一緒に風呂なんか入って…」
 …馬鹿な!望むところだともっ!!
 心の叫びをおくびにも出さず、涼介は拓海を魅了する微笑を向けた。
「藤原と一緒なら俺も楽しいよ。それに、大切な親友と、他でもない藤原のためだ。俺で出来ることなら何でも言ってほしいくらいだ」
 …そうか。京ちゃんと高橋さんは親友なんだな…と、拓海の中で間違った認識が組み込まれる。もちろん涼介の意図的な仕業だ。
「それと、気になっているんだが、出来ればもう京一とは一緒に風呂を入らないほうがいいんじゃないか?もし京一に恋人が出来た場合、自分よりも親しい態度を、たとえ弟とは言え取られていると、たいていの女性は不快に思うだろう?やはり恋人は誰よりも一番でありたいものだからな」
「あっ、そうですよね。そうか…俺、ひどいことしてたかも…」
「ああ、そうだな。藤原も京一ももう大人なんだから、いい加減、兄弟離れしてもいいんじゃないかな?やはりこれから仲良くするのは恋人だけにしたほうがいいだろうね」
「そうですよね。ありがとうございます。高橋さん」
「高橋さんは止めてくれ。涼介でいいよ」
「え、でも…」
「もう一人高橋ってのがいるだろう?あんな黄色いのと一緒にされたくはないな…」
 涼介の背後から、黄色い人の鳴き声が聞こえるような…。
「え、と。じゃ、涼介…さん?」
「ああ、何だい、拓海?」
 …も、もう、名前で呼ぶんかいっ!(お前はイツキか…)背後の史浩からツッコミが聞こえそうだが、カリスマ様の本性を良く知る二人は貝になる。
「…なんか、照れますね?」
「そうか?直ぐ慣れるよ」
 ウフフフとやたらと甘ったるい雰囲気を撒き散らす二人に、彼らの背後の二人のみならず、ファミレス中の人々が、ほんのり頬を赤らめ、嫌な汗を掻きながらぎこちなく視線を逸らしたとか。


 その後。
 迎えた京一とのバトルで、涼介は思惑通り勝利を飾った。
 赤城の山に、京一の切なる叫び声が響いたという。
「絶対に、俺は許さねえからな!…目を覚ませ、拓海〜!!」
 その日の夜。
 拓海は赤城の麓のお城の形の宿泊所で、カリスマ様とお風呂に入って一緒の布団で眠ったとか…。真相はカリスマ様の胸の内。


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