ETERNAL

ERECTORICAL STORM番外 中編


 傘も差さずに雨空の下、立っている。
 真っ黒な制服はさらに色を強め濡れそぼり、髪に染み込んだ水分はまるで、壊れた蛇口のように拓海の顔いっぱいに滴り、涙よりも激しく拓海を濡らした。
 拓海は昼間だというのに、どんよりと煙った雨空を見上げる。太陽は見えない。
 漠然と、彼の最後の日は晴れているに違いないのだと、そう信じていた。
 だからその知らせを受けた時、冗談だと思っていたのだ。
 彼が雨の日に、死ぬはずがない。
 きっと彼なら――。
 けれど現実は残酷で、拓海の心を切り刻む。






 高橋啓介。
 その名を拓海は知らなかったが有名だった。
 主に、悪い方面で。
 啓介と親しくなり、急速に拓海には啓介に関する悪評が舞い込んできた。
 いわく、
『喧嘩で数人を相手に皆を病院送りにした』
 とかはまだ良い方で、
 同じクラスの人間などは、
『目が合っただけで殺される』
 と信じていたのは笑った。
 どの噂も、彼が凶暴で極悪で、そして傍若無人であると語っていた。
 だが拓海が知る限り、啓介は理不尽な事には容赦はないが、それ以外に関しては鷹揚だ。
 だが悪い噂と言うのは広まりやすく、そして大体酷い方へと脚色される。
 色んな噂が拓海の周囲から届けられた。
 けれどそれのどれも、拓海は信じなかった。
 そんな希薄な噂よりも、拓海は自分の目に映る「高橋啓介」と言う人物を信じた。
 カッとしやすく、でも傷付きやすく、けれど懐に入れたものにはどこまでも優しい。
 そんな男だと。
 学年が違うというのに、啓介は拓海をまるで親友のように扱うようになった。
 目下の者ではなく、対等な人間として。
 啓介と親しくなったとこで、同級生、教師からの拓海に対する目が厳しくなってしまったことに、啓介は頭を下げた。
『俺のせいでお前まで悪く言われるようになっちまって…ゴメン』
『…いいですよ。あんたのせいじゃないでしょう。勝手に言わせておけばいいんです』
 拓海はそんな啓介の態度に、怖れを感じた。彼がどう、とかへの怖れではなく、彼がそのせいで離れていこうとするのではないか?そんな怖れを。
 けれど、違った。
 彼が謝罪したのは、拓海が悪く言われてしまったことへの事ではなかった。
『ああ。まぁ、そうなんだけど、今謝ったのはさ、お前がいくら悪く言われようが、俺はお前と付き合いを止めるつもりはねぇからっつー意味でのゴメン。諦めてくれ』
 堂々と、そして偉そうにそんな事を言われたときには、驚きを通り越して呆れた。
 けれど…そんな真っ直ぐさを持つ啓介に、拓海は胸がざわめく自分を知った。
 拓海は、いつの頃からか異性よりも同性相手にしか惹かれない自分を自覚し始めていた。
 そんな自分が、一般的に「異常」である部類に入るのだとも自覚している。
 だから押し殺し、このままずっと一人で、誰も好きにならずに生きていくのだと、まだ16歳だというのに漠然と思っていたのだ。
 けれど、啓介と出会った。
 抗いようもなく、啓介に惹かれていく自分を拓海は必死に止めようとした。
 けれどそれは無駄な努力だと知らされたのは、啓介の何気ない一言だった。
 拓海の家は父と拓海の二人暮らしだ。
 けれど父親は長距離トラックの運転手で、家を留守にすることが多く、そんな拓海に「寂しいだろう?」とよく啓介が遊びに来るようになったのは、知り合ってすぐの事だった。
「なぁ、お前んち行っていい?」
 そう問いかけられるのも珍しいことではない。
 だが、その日の拓海はあまり冷静ではなかった。
 啓介がそう話しかけるより前に、上級生の女に腕を捕まれ、
『最近冷たいじゃない。もうあたしとはシテくれないの?』
 とせがまれているのを見かけたからだ。
 啓介が拓海と知り合う前に、異性関係に関しても色んな噂があるのは聞いて知っていた。
 だが拓海と知り合ってからの啓介には女っ気は無かった。だから安心していたのだ。
 けれどその日はその噂の片鱗を見せられ、拓海は動揺していた。
「おれんちに来ても何も無いですよ。…女のとこにでも行けばいいじゃないですか」
 言った後で、しまったと思った。けれどもう遅い。
 にやり、と啓介が笑い、拓海の頭を抱え、髪の毛をクシャクシャにする。
「何だお前、ヤキモチか?バカだなぁ。女よりお前の方がいいに決まってるじゃねぇか」
 冗談だ。軽口なんだと言い聞かせても、勝手に顔が綻ぶ。顔が真っ赤になって、口元がニヤけるのが止められない。
 けれど、彼は見かけ通り甘いだけの男ではなかった。
 浮上させ、そして拓海を突き落とす。
「それに、女は暫くいいわ。すっげーウルセーし。お前は楽でいいよな。何も余計なこと言わねぇしさ」
 嬉しさに舞い上がっていた心が、一気に地に叩き落された気がした。
 楽。
 そんな言葉に酷く傷付いた自分。
 それで拓海は諦めた。
 自分が誤魔化すことを。
 何気ない言葉で一喜一憂してしまうくらい、拓海は啓介が好きなのだ。






 ふと視線を感じ、拓海は背後を振り返った。
 誰もいないと思った雨の中、拓海と同じように、呆然と雨に打たれたままの長身で黒髪の青年の姿が見えた。
 青年は拓海を見つめている。驚き、切れ長のその目を見開き凝視している。
 …ああ、似ているな。
 そう思った。
 容姿がではなく、啓介もまた彼と同じ表情を拓海に見せた。
 啓介と同じ端整な容姿でありながら、派手な雰囲気の彼とは違い、落ち着いた大人の空気を纏わせた人物。
 あの人が啓介の言っていた「アニキ」なのだろう。
 憧れ、でも妬ましくて、けれど彼が愛していた兄。
 啓介は彼のようになれない自分を嘆き、そして荒んだ。
 けれど拓海の目には二人はとても似ているように見えた。
 あの表情。
 あの顔は、拓海に初めてキスをされた時の啓介と、全く同じ表情だった。






 キスをしたのは悔しかったからだ。
「どうせ俺なんて」
 そんな風に言う啓介に腹が立った。
 啓介は家族のことに触れるのを嫌がる。
 だがずっと傍にいるようになり、ぽつぽつと啓介は拓海にも家族のことを話し始めるようになった。
「…あいつらは俺が疎ましいんだよ。アニキみてぇに優秀じゃねぇ出来損ないだからな。それで、アニキはそんな俺を庇うんだ。そんな事されたら、俺が惨めになるだけだってのにな」
 父親の買い置きの酒を飲みながら、啓介が愚痴を言う。
「ガキだって思ってんだろ?アニキにも言われたしな。けど……」
 少しずつ、少しずつ拓海は啓介のことを知っていく。
 彼の家が裕福であることも、そして家族がバラバラであることも。
 そして何もかも優秀すぎる兄に、根強いコンプレックスを抱いていることも。
「…啓介さんは自分が嫌いなんだ」
 拓海がそう言うと、啓介はあからさまに顔を顰めた。
「お兄さんみたいになれない、自分が嫌いなんだ」
 言った瞬間、拓海は殴られることを覚悟した。彼の空気が殺気立ち、拳に力が入ったのを見るまでもなく、この話題が彼にとって禁句であることなどずっと啓介を見ていた拓海は察している。
 けれど啓介は殴らなかった。
 自嘲気味に笑い、そしてらしくなく気弱に俯いた。
「…言いにくいことをハッキリと言うな、お前。…そうだよ。俺は自分が嫌いだよ」
 そしてグシャグシャと金色の髪を自分で掻き混ぜる。
「俺はアニキみてぇになりたかった。けど無理だった。そんな情けねぇ自分が嫌いだし、それでアニキを逆恨みしそうな自分も嫌いだ」
 だから家に帰らない。それが啓介の考える最大の自衛策だから。
「…啓介さん、お兄さんのこと、好きですもんね」
「ああ。そうだな…。俺はアニキに育てられたようなもんだし…」
 その言葉に純粋に羨ましいと思った。
 啓介に愛されている彼の兄が。
 拓海の胸の中で澱みが生じる。
 だから次の言葉で、拓海の抑えていた我慢が崩壊する。
「俺も…アニキみてぇになってたら、もうちょっとはマシな人間になれてたのにな」
 啓介が、ぐい、と酒を煽る。飲み干した缶ビールをペキペキと指で潰しながら、彼は自分を嫌悪する。
 拓海の好きな、啓介を。
「どうせ俺なんて、いなくなっても構わないような人間だし…」
 腹が立った。
 だから、彼の言葉をもう聞きたくなくて、彼の唇を塞いだ。
 唇ごしに伝わる、苦い酒の味と、鼻腔に感じるアルコールと彼のコロンの匂い。
「…お前……」
 驚き、呆然と自分を見つめるその顔。
「…いくらあんたでも、あんたを馬鹿にするのは許さない」
 睨んだ。悔しくて、腹が立って。
「あんたのアニキがどうだか知らないけど、あんたはあんただろ?何でそう自分を否定するんだよ!」
 舌打ちして、掴んでいたその腕を離して、啓介に背中を向ける。
「…藤原」
 その背中に啓介の指がかかる。それを拓海は振り払った。
「見るな!」
 けれどその言葉は叶えられなかった。
 ぐい、と力を込めて引っ張られ、そして顔を持ち上げられ、泣き顔を見られてしまう。
 潤んだ視界に映ったのは、さっきまでのやさぐれたような顔ではなく、真剣な表情を浮かべた啓介だった。
「……もう一回言ってくれよ」
「っ離せよ!」
「嫌だ」
 肩を掴む腕の力が強まる。ギリ、と握り締められ、拓海は痛みに顔を歪めた。
「…なぁ、もう一回言ってくれ」
「…啓介、さん?」
 啓介が拓海の首に顔を埋める。体温と、生暖かい感触を敏感な箇所に感じ、拓海はうろたえた。
 握り締めていた腕が離され、今度は背中に回る。
 拓海の体をぎゅっと抱きしめ、そして縋るように身を寄せた。
「…俺は…喧嘩しか能がねぇロクデナシだし、頭も悪いし、…ガキだけど、……なぁ、藤原」
「……はい」
「…俺は俺のままでいいかな」
 さっき流していたのとは違う涙が拓海の目に浮かぶ。さっきの涙は、悔しさと怒りから。
 けれど今の涙は、彼を癒したいという、慈しみから生まれた涙だ。
「…あんたのままじゃなきゃ…困ります」
 拓海を抱き包む体が震える。クスクスと声が響き、その顔を見てみれば、楽しそうに笑う彼がいた。
「素直じゃねぇな、お前」
「な、何がですか?!」
 いきなり浮上した彼に、からかわれていたのかと拓海はその腕の中で暴れる。けれど啓介の腕は拓海を逃がさないとばかりに、ますますその腕の力を強める。
「行動は素直なのにな。こっちは意地っ張りだ」
 暴れ、勢い余って啓介の頭を殴る。けれど彼の笑みは消えなかった。むしろ暴れる拓海を、嬉しそうに見つめてさえいる。
「…言えよ。ロクデナシのままの俺が好きだって」
 カァと一気に酒でも飲んだように顔が朱に染まる。そんな素直な反応に満足したように啓介がさらに笑う。
「ロクデナシでもバカでも、お前が俺を好きなら、俺も自分が好きになれそうだ。だから…言えよ」
 狡い男だ。
 けれど、好きでしょうがない男でもある。
 ゴツンとその頬を殴り、
「いってぇ!」
 喚く彼の唇をまた塞ぐ。
「…好きです。だから、あんたはあんたのままでいて下さい」
 そう囁くと、彼は笑った。太陽のように明るい笑顔で。
「拓海」
 暗さの無い彼が、初めて拓海を名前で呼ぶ。
「…好きだ」
 何より欲した言葉が彼の口から放たれる。
 それは矢となり、拓海の心に突き刺さり、心の奥深くに住み着いた。
 まるで抜けない棘のように。
 甘く、深く。疼くような痛みとともに。




2006.11.5

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