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 …まるで毒だ。

 両手を掴まれ、身体をボンネットに押しやられた。
「藤原…」
 背中に感じる冷たい感触にだけが理由ではない、震えが全身を支配する。
「…脱いで」
 優しく、囁くようにあの人が耳に毒を注ぎ込む。
 じん、と鼓膜が痺れ、その痺れはすぐに全身に回る。
 無言で首を横に振ると、彼は拓海に冷たい微笑を向けた。
「どうして?啓介の時は脱がなかったのか?」
 拓海は答えれず、またも無言で首を振る。
「でも藤原は脱ぎたいだろう?ほら?」
 彼の手が服の上から乳首を摘む。布の上からでも固く尖ったそれを痛いくらいに摘まれ、拓海の腰に集まった熱が上がった。
「俺にこれを舐められたくないの?」
 子供をあやすように、優しく注ぎ込む彼の声はまるで毒。
 服の上からでも伝わる冷たい指の感触は、拓海の頭まで凍らせ思考力を失わせた。
「俺には分かってるよ…」
 彼の何もかもが、遅効性の毒のように、徐々に拓海の内部に浸透していき、そして頭から全身、指の先まですべてを支配して、拓海の自由を奪う。
「…藤原は俺にこうされたいんだ」
 男性のものにしては、細く長い繊細そうな指が拓海の頬をなぞり唇を伝う。
 拓海は熱に浮かされた頭で、その指に舌を這わせた。
「可愛いね、藤原。…言ってごらん?俺にどうされたいのか?」
 彼のもう片方の手が拓海の張り詰めた股間を布の上から撫でる。服の上からでも、そこが熱を孕み硬化しているのは分かるのだろう。フッと彼は淫靡に笑い、拓海の熱をさらに煽るようにそこを握り締めた。
「…ん、あぁ…」
 思わず声が漏れる。
 股間が跳ね、服の中がじっとりと濡れるのを感じた。
 そんな拓海の反応に笑みを深めた彼は、股間を握る力を緩めないままに、拓海の唇にキスをした。薄く開いた唇の中に彼の舌が潜り込む。指と違い、熱を持った彼の舌が拓海の口の中をゆっくりと愛撫する。
 まるで飴と鞭。
 いたぶられ、可愛がられて、さらに拓海をおかしくさせる。
「…言って、藤原」
 耳元にまた彼の声が注ぎこまれる。
「じゃないと、俺は何もしてやらないよ?」
 拓海の唇から漏れた唾液を舐め取りながら彼が言う。
 身体が震える。頭は痺れてもう使い物にはならない。
 あるのはただ、本能だけ。
「…りょ、すけさんが…」
「俺が?」
「…涼介さんが…欲しいです…」
 いったん、言葉にしてしまえば、もう遮るものは無い。
「お願い、触って」
 自分が何を言っているのか、何も分からなかった。
「いっぱい触って」
 この暴れだしそうな熱をどうにかして欲しかった。
「…お願い、何でも好きにしていいから」
 ただ、この人だけが。
「涼介さんが…欲しいんです…」
 自分の目の前で、優しく微笑むあの人が欲しかった。
 拓海の言葉に彼が満足そうに微笑み、子供にするように頭を撫でた。
「…いい子だ」
 何も考えられない。
 分かるのは、身体の中に点った狂おしいばかりの熱と、そして目の前のあの人の姿だけ。
 触られて、嬉しいと感じる自分の心だけ。
 まるで、毒のようだ…。
 彼の全てが毒のように拓海を支配する。
 けれど。
「…たっぷり可愛がってあげるよ」
 今の拓海にはそれは、喜びしか感じない。





 拓海にとって憧れの人であった高橋涼介から告白をされたのは、彼の弟である啓介と付き合い出して一ヶ月目の事だった。
「藤原が好きなんだ」
 プラクティスの合間、呼び出され二人になり、突然そう言われた。
 まるで天気の話でもするように、何気なく言われたその言葉の意味に、拓海は暫く理解できなかった。
「え…?」
「意味が分からなかったか?俺は藤原に恋愛感情を持っていると言ったんだ」
 変わらず彼の態度は冷静なままで、拓海は戸惑う気持ちを抑え切れなかった。
「あ、あの…恋愛感情って…」
 顔どころか首筋まで真っ赤に染まった拓海とは対照的に、顔色一つさえ変えず、あげく余裕のある微笑を浮かべたまま涼介はさらに拓海を驚かせる発言をした。
「男同士だからとか言うなよ。啓介と付き合っているんだろ?」
「えっ?!」
 一瞬で青ざめる。
 拓海にだって、同性同士の恋愛が禁忌であることぐらいは分かっている。それを相手の身内である涼介が知っている。それは拓海にとって脅威にしか感じなかった。
 そして理解する。
「…りょ、涼介さんは…だから?」
「え?」
「あの、俺と…その…啓介さんが付き合ってる事に、反対なんですか?だから…」
 拓海の言葉に、涼介の表情が初めて変わった。
「…意味が分からないな」
「だ、だって、そうとしか考えられません!お、俺と啓介さんが付き合ってるの、気に食わないから、だから、俺に嫌がらせしてるとしか思えないです!」
 悲鳴のような拓海の声に、涼介は不快そうに顔を歪めた。
「…面白い発想だな。確かにお前と啓介が付き合っている事は気に食わないが、嫌がらせするなら啓介のほうだろう?」
「…だって、涼介さんみたいな人が…俺みたいのなんかに…」
「…藤原。お前何様だ?」
「…え?」
「お前みたいな?そんな奴と付き合っている啓介はどうなる。そしてお前に惚れてる俺の気持ちはどうなるんだ?謙遜するのは美徳だが、自分を卑下するのはお前に惚れてる啓介や俺までを侮辱しているとは思えないか」
「…あっ…」
 思いがけない言葉に、拓海はうなだれていた顔を上げ、涼介の顔を見た。彼の顔には、はっきりと怒りと、傷付けられた悲しみが表れていた。
 また違う意味で拓海は青ざめ、拓海は素直に頭を下げた。
「ご、ごめんさない…俺、そんなつもりじゃ…」
 謝る拓海に、涼介は先ほどまで浮かべていた怒りをあっさり消し、最初の余裕めいた微笑を浮かべた。
「フッ…、まぁ、いいさ。お前が信じられないと言う気持ちも分かるからな」
「涼介さん…」
「だが、俺がお前を好きなのは本当だ。それだけは覚えておいてくれ」
「え、でも…」
 その時、拓海の脳裏に浮かんだのは、目の前の怜悧な彼とは違い、情熱の固まりのような弟である啓介の姿。
 その顔色から涼介は拓海が今誰を思い浮かべているのかを察したのだろう。彼の手が拓海の腕を掴み、その見た目よりもがっしりとした身体に抱き寄せた。
 そして。
「りょ…ぅん…」
 有無を言わさず、開いた唇から彼の舌が潜り込む。
 強引に進入してきた舌は、激しく拓海の口腔を貪り、かと思うと焦らすようにゆったりと舐め上げ、そして引きずり出した拓海の舌を自分の口の中に忍び入れ歯で愛撫するように軽く噛む。
 口の端からは唾液が溢れ顎を伝い首筋を這う。彼の指がその跡を追うように、拓海の首筋を這い、そして次に唇までがそれを追う。
「…い、いや、あ…りょ、涼介さん、だ、ダメです…」
 拒絶の言葉を発しながらも、拓海の腕は縋るように涼介の身体にしがみつくだけ。
 そんな拓海の反応に、涼介は淫靡に笑い服の上から乳首を撫でる。
「…や、ぁあ!」
 跳ねるように震える身体に、涼介の笑みは深くなる。
 敏感な首筋に吸い付き、舐め上げながら胸を刺激し、熱を持ち始めた股間に手を這わせた。
「あ、やっ…そこは…」
 身を捩り、涼介の手から逃れようとするが、今度は胸を弄っていた手が、拓海の臀部に回される。
 ぎゅっと掴まれ、厚いジーンズの生地の上から、割れ目を指で撫で沿わされる。
「…ぅん、涼介さん、ダメ…」
「…啓介に聞かれたよ。ここでするにはどうすればいいのかってな」
「えっ…?」
「知ってるだろう?男同士でここを使うのは。あいつは男とは経験が無いからな。俺に聞いてきたんだ。
『藤原とヤりてぇんだけど、どうすればいい?』
 …ってな。だから最初は指でしっかり慣らして広げてからにしろと言っといたが、啓介はちゃんとしているか?」
「そ、そんなの…」
「ふぅん、まだそこまでは行っていないのか?藤原、大事にされてるんだな」
 ぎゅっと、臀部を握る指の力が強まる。
「妬けるな…」
 臀部を両手でもみしだかれ、服の上から乳首を舐められた。じっとりと、濡れていくTシャツの感触に、乳首が尖り固くなっていくのが分かる。
「指を入れて、慣らして広げたここに、啓介のでかくなったペニスを入れるんだ。狭いここに、熱く、固いので突っ込まれて、思い切り揺さぶられる」
「…や、もぅ…」
「敏感な粘膜の中を、熱くて固いものが擦っていくんだ。想像してごらん?」
「…だ、ダメです、も、涼介さ…」
「きっと藤原のここは、ぎゅうぎゅうに啓介のを締め付けるんだろうな。だけどあいつは、ちょっと乱暴だから、藤原が苦しくても止めないだろう。きっと藤原が泣いても、止めないんだ。頭がおかしくなるまで揺さぶられて、痺れて感覚のなくなったここには熱い感触と、快楽しか残らない…」
「は、ぁあ、ん…やぁ…」
「…嘘吐きだな。気持ちいいんだろう?」
 涼介の身体が沈む。ジリジリとファスナーが下ろされる音がして、取り出された拓海のペニスにはもう先走りの液が漏れていた。
 熱を持ったそこが外気に晒され、寒気が走り身体を震わせる。
 だが。
 すぐにそこは暖かく湿ったものに包まれた。
「…あ!や、ダメです、涼介さんっ!!」
 すっぽりと、拓海のペニスが涼介の唇の中に収まっている。ぴちゃぴちゃと卑猥な音をたて、そこが彼の形の良い唇で扱かれ、舐められ、拓海の熱を煽る。滑らかな感触の舌で窪みを刺激され、先端を舌の先で弄られる。甘く、時に痛みを感じるほどきつく舐めて、扱かれ、熱は解放を求めて拓海の内で暴れだす。
 限界はすぐに来た。
「…あっ、あぁ…」
 ぶるりと腰が奮え、脳髄にまで駆け上がった快感が全身に伝い広がる。頭が真っ白になったかのような感覚の中、腰の痙攣は止まず、何度も涼介の口の中に迸りを放出させた。
「…あ、ああ…はぁ、ぅん」
 快感の波が収まり、我に返った拓海が見たのは、淫靡に笑いながら拓海のものからあふれ出たものを、おいしそうに舌で舐めとっている涼介の姿だった。
 呆然とする拓海を尻目に、涼介は何事もなかったかのように拓海のペニスをジーンズの中に戻し、そして立ち上がった。
「…涼介さん…どうして?」
 まだうまく働かない頭で、拓海がやっとそれだけ問いかけると、涼介は鮮やかな笑顔を見せて拓海に微笑んだ。
「藤原が好きだからさ」
「………」
「せめて俺と一緒にいる間だけは、他の男のことなんて思い出させたくないからな」
「………」
「これで…俺が忘れられなくなっただろう?」
「………」
 拓海は、無言で首を左右に振る。
 いったい何が起こったのか、拓海の脳は理解することを否定する。
「藤原は俺のことだけ考えていればいい…」
 だけど。
 そう言った彼の、暗い情熱を孕んだ眼差しが、拓海の脳裏に焼きついた。




 舐められ染みになったTシャツを変え、メンバーの元に戻った拓海に、すぐに啓介が近寄り問いかけてきた。
「藤原。アニキの話って何だったんだ?」
「………」
 拓海は答えられなかった。
 何故だろう?
「別に、大したことじゃないですよ…」
 何故、こんな冷たい気持ちのままで啓介に嘘をついているのだろう。
「ふぅん?ま、いいけどさ。走りの上じゃ俺らライバルだからな」
 啓介は涼介が拓海を呼び出したのは、車に関する事と決め付けているようだった。
 彼は、兄を、そして拓海を信頼している。
 けれど拓海は彼を裏切った。その後ろめたさに拓海は心の中に氷を飲み込んだような気持ちになる。
 啓介に告白されたのは、今から一ヶ月前のこと。
 豆腐の配達がある早朝。待ち伏せする黄色いFDに気付き、ハチロクを止めた拓海の前に、やけに緊張した表情を浮かべた啓介が現れた。
 そして落ち着かなさそうにひっきりなしに視線をさまよわせ、咥えたばかりの煙草を足で踏み潰しながら彼は言った。
『藤原…俺と付き合わないか?』
 一瞬何を言われたのかと、あの時も拓海はそう思った。
 だが啓介の時は、涼介の時のように「信じられない…」とは思わなかった。
 ただ意外な事を言われたな、と驚愕したのを覚えている。
『お前さ、アニキのことばかり見てるだろ?意識しまくってるのもすげぇ感じるし…。お前がアニキのことを好きだってのも分かってんだけどさ…』
 …好き?俺が涼介さんを?
 そんな事はない。
 拓海は震える頭で首を横に振った。
 だが啓介はそれに苦笑を浮かべただけで、否定はしなかった。
『俺にしとけよ』
『え?』
『俺なら藤原のこと大事にできるぜ。だから、俺にしとけよ』
 啓介はそう言った。
 朝日が昇り、逆光に照らされた啓介の姿は拓海の目にはシルエットでしか見えなかった。
 この姿に似た人を知っている。
 けれど彼は目の前のこの人のように明るい朝の日差しが似合う人ではない。目の前にいるのは彼ではない。
 香る煙草の煙。この香りも違う。
『ダメか?藤原』
 声も違う。
 だから、…分かってる。
 この人は「彼」ではない。
 だから…大丈夫だ。
『はい。俺でいいなら…』
 頷いたのは、決して間違いではない。
 拓海は啓介を好きになれると思っていた。そしてそれは徐々にそばにいる時間が長くなっていくことで、果たされているのだと思った。
 だけど、どうして今の自分はこんな気持ちになっているのだろう?
「なぁ。お前、何か、Tシャツ変わってねぇ?」
「あ、え、ええ。ちょっとジュース零しちゃって…」
「んだよ、またボーっとしながら飲んでたんだろ?しっかりしろよ」
 明るく拓海に笑いかける啓介。今の拓海にはその顔を見る勇気がなかった。





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