Darling 番外編

白い彗星がやって来た!


 恋は人を暴走させる。
 赤城の白い彗星と称され、県内は元より関東全域にまで名を馳せたカリスマと呼ばれた男も、初めての恋の前ではただの愚かな男だ。
 惑い、悩み、そして混迷の末に、想い慕う相手から同じ気持ちを返される。
 これほどの幸福は他にはないだろう。
 白い彗星こと、高橋涼介は世界一の幸せ者だという自負さえある。
 彼の宝物と言っても過言ではない恋人のことを思うだけで、冷静沈着が常の彼も顔がニヤけてだらしなく緩む。
 けれど彼の優秀すぎる頭脳は、この幸せに甘んじることなく、さらなる高みを追求する。
 やっと手に入れた宝物。
 自分にとっても宝なら、他にとっても宝であるはずだと思うのは、恋した男の欲目だけでは無いはずだ。
 もちろん、恋人には去られないように努力は怠らない。
 けれどその前に、躓く可能性のある路傍の石は、邪魔にならないよう排除するべきだと、そうカリスマは考えた。
「涼介さん、何を考えてるんですか?」
 ずっと物思いに耽る涼介に、傍らにいた恋人が不安そうに彼を見上げる。
 その澄んだ大きな瞳に見つめられ、涼介の心がまた甘く緩む。
「拓海ことだよ。ずっとお前に好きでいてもらうにはどうしたらいいかなと思ってね」
 細い肩を抱き寄せ、髪に頬を寄せる。
 物慣れない彼女の身体が、一瞬ビクリと震えるが、けれどすぐにおずおずと自分の肩に頭を預け、涼介のシャツを掴んでいたシャツに力がこもる。
「……どうもしなくていいです…ずっと、好きだから…」
 可愛い可愛い恋人。
 彼女の言葉は嬉しいが、それに安穏とできるほど単純には生まれ付いていない。
 抱きしめる腕に力を込める。
 彼女を自分から奪おうとする者。それを許さないと暗示するように、しっかりと恋人の身体を抱きしめた。





 G県S市のとあるGS。
 昨今のガソリンの高騰の煽りで、この店も経営状態が芳しくない。
 世の中には低燃費の車が増えだし、ガソリン消費量は明らかに減っている。
 最近では「満タン」と言う言葉さえ聞かなくなった。
 暑い夏の日差しに照らされて、流れ落ちる汗を拭いながら、このGSの従業員である池谷は「レギュラー千円分で」と言う客を見送りながら呟いた。
「ハイオク満タンで入れてくれるような客が来ないもんかなぁ…」
 それを聞いていた同じく従業員の武内樹がぼやく。
「無理っすよ、池谷先輩。今時ハイオク入れてくれるような客なんてキチョーですよ。しかもハイオク満タンなんて、俺、高橋涼介ぐらいしか聞いたことないっすよ〜」
 昨年、このGSに颯爽と現れた白のFC。
 そこから降り立ったカリスマと称された男は、これまたサラリと何でも無い事のように言い放ったのだ。
『とりあえずハイオク満タン、いれてもらおうかな』
 あれは格好良かった、と白い彗星高橋涼介の信奉者でもある池谷と樹は同時に頷いた。
 だがそんな高橋涼介も、昨年いたアルバイトの藤原拓海がいた頃にはしょっちゅう来てくれたものだが、彼女がここを辞め、就職した途端に姿は見せなくなった。
 それを残念だとは思うが、文句を言う立場に彼らは無い。
 ただ、溜息を吐くことで悲しみを表すのみだ。
「高橋涼介って言えば、この前拓海にどうしてるか聞いたら、アイツ、すっげぇ真っ赤になってしどろもどろになったんスよ」
「へぇ、でも赤くなるのは前からだったろ?」
「ですよね〜。そんで、前から思ってたんですけど、拓海のヤツ、もしかしなくても高橋涼介のこと好きなのかなって思うんですけど…」
「相手はあの高橋涼介だからなぁ。そりゃ好きになってもおかしくないけど…あいつ、男だと思われてるんだろう?」
「そうなんですよー。報われないっすね、あいつ」
「だな。俺らから女だって知らせてもいいけど、それであいつがDから外されるようなことになってもなぁ」
「そっすねー」
 そんな会話を、汗を拭いながらする彼らの前に、何と噂をすれば影。
 ガォンと良い音を立て、店に入ってきた車が一台。
「いらっしゃいま…せ…」
 慌てて頭を下げる二人の目に映ったのは白のFC。まさか…と目を疑い凝視すれば、間違いなくボディに輝く赤い「RedSuns」のロゴ。
 そして停車した車から颯爽と降り立つ一人の人物。
 季節は違えど、それは去年の再現だ。
「とりあえずハイオク満タン、いれてもらおうか」
「ハ、ハイ!!」
 去年は拓海が給油した。
 けれどその拓海は今はいない。
 降り立った涼介は、慌てて給油作業に入る池谷を見つめ、口を開いた。
「…ちょっと聞きたいんだが」
「ハ、ハイ、何でしょう?!」
 池谷は憧れの存在である高橋涼介に話しかけられ、緊張を隠せないでいる。それは今からFCの窓を拭こうとしていた樹も同様で、手と足が同時に出ている。
「君もだ。確か…イツキ、君と言ったかな?」
「う、うぇぇ?お、オレ?!」
 突然名前を呼ばれ、樹が傍目で見ても判るぐらいに飛び上がる。その心中は驚きと、「名前を知っててもらえた!」と言う喜びに溢れていた。
 けれど、そんな彼らは知らない。
 これが、彼らの苦悩と恐怖の始まりであると…。


 カリスマ高橋涼介の話とは、ある意味二人にとっては予測の付く話題であった。彼らの共通の話題は一つ。ある人物のことのみであったから。
「話と言うのは、拓海のことなんだが…」
「え?拓海のヤツ、何かあったんですか?」
 予測はしていたが、つい声は出る。思わず過剰に反応してしまった池谷に、カリスマの片眉がピクリと跳ね上がった。
「拓海?…名前で呼んでいるのか?」
 その瞬間、冷房もない屋外のはずなのに、池谷は確かに冷気を感じた。
「…あ、あの…」
「ああ、いや、すまない。それは後で追求することにするよ」
 後?
 同時に池谷と樹の二人は首をかしげた。そして何故か、事故にあう前に感じるような「ヤバい」と言う感覚が沸き起こる。
「話は戻そう。単刀直入に言えば、峠にいる連中の中で、拓海が女だと知っているのは、君たち二人と、それに健二と言う男の三人だけなんだな?」
 涼介の言葉に、二人は驚いた。なぜその事を知っているのか?
「…拓海が話したんですか?」
 おそるおそる問い返す池谷に、さっきの不機嫌そうな雰囲気は払拭し、逆に満面の笑みで涼介は応えた。
「ああ。本人の口から伝えられたよ」
「…まさか、それでDから外されるなんてことは…」
 涼介は笑顔のまま首を横に振る。
「何故だ?女だからって、外す理由にはならないだろう?」
「そうですか。良かった…。あいつ、あの見かけだったから昔から勘違いされることが多くて。峠に行くようになってからは、男と思われた方が色々危険も無いだろうから、俺たちも黙ったままでいたんですが…」
 池谷の言葉に涼介も頷いた。
「賢明な処置だな。女だと知れると相手も侮るし、身の危険も多い。それに関しては感謝するよ」
「いえ、そんな事は…」
 その時、漸く池谷は何かが変だということに気付き始めた。
 何か?
 それは微妙な言い回しと言うか、感覚的なものだ。
 どうも涼介の口ぶりからは、拓海のことをまるで自分の身内であるかのようなスタンスで語る。
 瞬間、閃いた思いを、しかし池谷は「まさかな…」と自分で打ち消した。…が。
「それでなんだが、これからも拓海が女だと言うことは君たちには黙っていてもらいたい」
「はい、それは勿論…」
「もし少しでも口外したなら、君たちの身の安全は保障しかねる。それなりの報復がこの俺からあると思っていてくれ」
「はい、もち…ろ、ん?」
 ニコリと微笑みながら言う涼介に、釣られ池谷は頷いたが、よく考えれば不穏な言葉だ。
 それは共に聞いていた樹も同様で、きょとんとしながら涼介を見つめている。
 そんな二人に、よく判らせるように涼介は微笑んだ。だが口元は笑みを作っているのに、明らかに目は笑っていない、どこか人を凍らせる冷たい笑みだ。
「言い忘れていたが、藤原拓海は俺の恋人になった。だから拓海の身の安全は俺が最大限の力でもって守るし、傷つけようとする奴は持てる全てで排除する。よく覚えていておいてくれ」
「は……?」
「え……?」
 今、何を聞いたのだろうか?二人は首をかしげた。
「それと俺は狭量なんだ。自分の恋人を、俺よりも馴れ馴れしく扱われるのは気に食わない。意味が判るか?」
 …いや、全然。
 同時に二人は首を横に振った。
 それにカリスマ様はチッと舌打ちをした。不穏な空気を纏いながら。
「鈍い奴等だな。俺のものを勝手に名前で呼んだり、ベタベタするなって事だ。以後、拓海のことは『藤原』と呼べ。二人きりで会うのも禁止だ。分かったな」
 池谷は素直に頷いた。どこか意志薄弱なところもある彼は、強い者には本能的に従うように生まれ付いている。
 けれど若さ故とは言いがたい、無謀に生まれ付いている樹は頷かなかった。
「ちょっと待って下さいよ、拓海と俺は小さい頃からの親友ですよ。いくらあんたが拓海と恋人同士になったからって、そんな事まで何であんたに言われなきゃならないスか!」
 言い返す樹に、池谷の哀願の眼差しは見えなかった。
 そして言われた涼介から、どんどん立ち上る黒いオーラ。
 フッ、とカリスマが笑う。
「…知ってるか?病死と見せかけて殺す方法なんて、幾らでもあるんだよ。それとも…夜中に車で崖から突き落とされたいか?」
 静かな声音だった。
 けれど、そのぶん闇は深い。
 鈍い樹にも気が付いた。
 自分が、恐竜よりも恐ろしい人物の逆鱗に触れたのだと。
「…死にたいか、小僧」
 フッと甘く微笑むその笑顔。
 確かに今は真夏で、そしてクーラーも無い屋外のはずだ。天気予報に寄れば。今日の最高気温が軽く30度を超えているし、実際に先ほどまで暑さで汗が止まらなかった。
 けれど今は一気にその汗が引き、背中に冷たいものが走っている。
 腕にはびっしりと鳥肌。
 まるで心臓に剥き身の刃をつきたてられているようだ。
 二人は同時に思った。
『やる!あの人なら絶対にやる!!…っつーか、殺される!!!』
 慌ててコクコクと頷く樹。
 それに黒いオーラが若干緩み、満足そうに涼介が頷いた。
「分かってもらえて嬉しいよ」
 …分かりたくなかった。二人は同時にそう思った。
「それで聞きたいんだが、君たちの目から見て、拓海に好意を寄せていただろう人物を教えてくれないかな?」
 優しげな声音で聞かれても、もう彼らは素直にそれを受け取れない。
 優しさのその背後に隠れ見える恐怖を垣間見てしまったのだから。
「は、ハイ!俺、知ってます!渉さんは拓海が女だって知ってるし、よくしょっちゅうアイツに電話もかけてきます!!」
 こんな時、身の切り替えが早いのが樹だ。さっきの反抗は忘れ、すっかり従順な涼介の下僕に成り果てている。
「…渉?ああ、あの埼玉のハチロクレビンか。住所は分かるか?」
「ハイ、コレっす!電話番号は……です!!」
「なるほど…」
 フッ。またもカリスマがほくそ笑む。
「それで他には?」
「あ、あ〜、と、栃木の小柏カイってのが、拓海が女だって知ってます。昔親父さん同士が因縁の仲だったらしくて、拓海が女だって事も最初から知ってたみたいですね」
 池谷もまた下僕と化す。それが一番の最善策だと、本能が教えてくれているのだから。
「そうか…あのいろは坂の…フッ」
 その笑みの陰に、何が行われるのか二人は知らない。いや、知りたくない。
 今彼らが思うのは、自分の身の安全のみだ。
「ご苦労だった。これからも情報があれば知らせてくれ」
「「ハイ、分かりました!!」」
「それと…俺の言いつけは守れ。拓海、じゃない。藤原と呼べ。『アイツ』も却下だ」
「「ハ、ハイ…」」
「二度目はないぞ。…覚えておけ」
「「ハイ!!」」
 二人の返事に、涼介が頷いた。だがその鋭い眼光から険しさは消えない。それが二人に、念を押しているようで、彼らはただ壊れた人形のように頷き続けるだけだ。
 給油を終えたFCは、またもガォンと良い音を立てて店を立ち去った。
 後に、消え去らない冷気と、「…また来る」と言う恐ろしい言葉を残して。
 涼介が立ち去った後に、樹は呟いた。
「……俺、拓海に今度会ったら頑張れって励ましておこう…」
「おい、拓海じゃないだろう?!」
「あ、そうだった、フ、藤原、だ」
「気をつけろよ…いつ何時、聞き咎められるか分からないんだからな」
「そうですね…俺、高橋涼介があんな…だとは思わなかったっすよ…」
「そうだな…拓海も大変だよな…」
「池谷先輩!藤原、っすよ!!」
「そ、そうだった!」
 言いながら、辺りをキョロキョロ。
 暫く二人から、この不審行動は消えないだろう。
 二人は「ハイオク満タン」を聞きたかった。
 けれど、もう絶対にそんな事は思わないと心に誓った。
 そしてそれ以後、他の「ハイオク満タン」と言う客が現れるたび、条件反射で怯える二人が某GS内では見られるらしい。





 背後から抱き寄せた恋人を膝の上に抱える。
 照れ屋な恋人は、こんな事をすればたちまち真っ赤になって萎縮するのに、今日はやけに素直に身を預ける。
 よく見れば、その表情もどこか冴えなく物思いに耽っているようだ。
「どうした、拓海?」
 そう耳に囁けば、やっと我に返ったのだろう。涼介の膝の上にいる自分に気付き、一瞬で首筋まで真っ赤に染め、そしてジタバタと暴れだす。
 苦笑しながら、涼介は腕の力を強める。細い腰。それに腕を回し、離れないよう拘束する。
 暫く暴れた拓海は、離れない涼介の腕に諦め、体の力を抜いた。けれどその頬は真っ赤なままだ。
 俯いたせいで涼介の目の前に晒される、ほんのり朱色に染まった項がたまらない。
 それに唇を寄せながら、涼介は問いかけた。
「…さっき、何を考えてたんだ?」
 項に感じた唇の感触に、拓海の身体が跳ねる。微かな震えが全身に走るが、涼介にはそれが怯えのせいではない事をよく知っている。
 構わずに項に唇を這わせながら、腰に廻した腕を上へと登らせる。お気に入りの手触りの二つの膨らみを手のひらで弄り、もう片方の手はこれまた気に入りの柔らかな太ももの内側を撫でる。
「…ちょ、涼介さん!」
「言って。じゃないと止めないよ」
 ブルリとまた拓海の身体が震える。朱色に染まった目尻を背後から愛でながら、弄る手を止めずに涼介は再度問いただす。
 観念したように拓海は口を開いた。
「…最近、イツキとか池谷先輩がよそよそしくて、何か変だな、って思って…」
「ふぅん?気になる?」
「気になるって言うか…おかしいから…」
「…俺の腕の中で他の男のことを気にするのか?」
「他の男って…あの二人ですよ?」
「男には代わりないだろう?…女だろうと男だろうと、拓海が誰かを気にするのは悔しいな」
「……でも…いつだって涼介さんが一番ですよ」
 耳たぶまで赤く染めながら、恥ずかしげに拓海が言う。それに涼介は満足そうに微笑んだ。
「…知ってる」
 そして拓海の身体をくるりと返し、ベッドの上に押し倒した。
「りょ、涼介さん!言ったら止めてくれるって…」
「拓海が悪い。俺の腕の中で他の男のことを考えてたあげく、そんな可愛いことを言ってくれるんだからな」
「言いがかりです!」
「…嫌か?」
 今までの経験上、拓海は押すばかりよりも、少し気弱に哀願したほうが弱い。
 今回もその通りで、真っ赤になった拓海は、ぎゅっと目を瞑りながら涼介の首に腕を廻した。
「…いや…じゃない…です」
 可愛い恋人。
 それを手放さないためなら何でも出来る。
「知ってる」
 涼介はうっとりと微笑みながら、手の中の宝物を愛でた。




2006.8.27

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