羊たちの沈黙

2.憧れの人


 一般的に、高橋啓介という人物は、その見かけから破天荒な人柄という印象を受けがちだが、彼と親しい人間によると、彼はその育ちの良さのためか意外と良識ある人柄であるらしい。
 人当たりも良く社交性に富み、曲がった事が大嫌い。
 以前二輪で暴走行為に耽っていたときも、いわれのない暴力はせず、仁義の人であったため、かつての後輩からも慕われていたりするらしい。
 しかしなにぶん根っこの性格が直情型であるため、思考よりも先に行動。少々『後から後悔』という状況も多いらしく、うっかり何かをやらかしては、兄、友人知人に頭を下げることも多少ならずあるらしい。
 だがそれでも憎めないところが、高橋啓介という人物なのだろう。
 そして今回の啓介も、案の定、やってしまったのだ。

「藤原。アニキを好きになったきっかけとかって何だ?」

 それはDの遠征先のプラクティスの最中。休憩時間にコースなどの話をしながら缶コーヒーを飲みながら、交わしていた会話の中での一文だった。
 彼にとっては何気ない気持ちだった。
 目の前にいるプロジェクトDのもう一人のエース、自分のライバルでもある3つ年下のこの少年、藤原拓海と彼の兄でありDのリーダでもある涼介とがいわゆる恋人同士のお付き合いとやらをしているのは、彼にとっては納得済みのことだった。
 心情的にはいささか複雑なところもあるが、何においても熱くならなかった兄が、藤原に関することにのみ彼らしくなく情熱を見せる。そんな兄の本気と、どこか憎めないぼんやりとした小動物的愛らしさを見せる藤原を見ていると、反対している自分がまるで悪者のような心地になるのだ。
 そしてYESかNOかのアメリカンな思考の彼は、二人の交際を認め応援することを心に決めた。
 だから先ほどの彼の言葉も、素朴な疑問の一つであったのだが…いかんせん。彼もまた忘れがちではあるが、この小動物的存在の少年は、時折マングースのように意外な凶暴性と、とんでもない爆弾的性質を持っていたりするのだ。
 この時もそうだった………。

「憧れの人に似てるなって思ったんです…」

 ポッと頬を染め俯く藤原の姿は、少女であったならば写真にとって投稿しているところだ。
「へえ。やっぱそれって男だよな」
「…はい」
「どんな奴?」
 誓って言う。啓介は軽い気持ちだったのだ。まさかあんな答えが返ってくるとは、そして衝撃の事実を知ることになろうとは…夢にもカケラにも思わなかったのだ。
 藤原は答えた。

「将軍様です」

「…………は??」
 ぼたぼたと、啓介の口の端から飲みかけのコーヒーが零れ落ちていく。しかし彼は気付かない。暢気に「啓介さん、こぼれてますよ」と自分の口を指しながら言う藤原の姿に、やっと我に返り口の端を拭いた。
「しょ、将軍サマって…もしや…」
 啓介の脳裏に浮かぶ「将軍様」といえば、あの人一人しかいない。最近になってやたらとハジけているあの……。
「え、と、俺、昔から時代劇とか好きで、よく見てたんですけど、あれが一番好きだったんですよね。暴れん坊将軍」
 やっぱ、そうですかー!!
「涼介さん、最初見たときって、白い車から降りてきたんですよね。そんとき、何となく、あ、将軍様みてぇって思って…」
 ああ、そういやあのオッサン、オープニングには白馬でパカラッパカラッとやって来るよなぁ…。
「その後も、観察してたらやたらと偉そうって言うか、将軍オーラ巻き散らかしてたし…」
 将軍オーラ??なんじゃそりゃ?!
「それに、史浩さんとか見てたら、まるで暴れん坊将軍の中の『じい』みたいだし、啓介さんも…」
 …史浩。哀れ。でも、当ってるかもな…っつーか、オイ!俺もかよ?!
「啓介さん、まるで『め組の頭』みたいだったんで、ますます将軍様に似てるなーって思って、どんどん気になっていったんです」
 …び、微妙だぜ、オイ。それって昔、北●三郎がやってた奴だろう?…そんでもって俺は、いったいどういうコメントをすればいいんだ?
「でも、好きになったきっかけは、あれですね…。涼介さん、すごい格好良かったんです…」
 啓介が呆然としている間に、藤原の話は進み、やっと本題。そして藤原は、頬どころか耳まで真っ赤にさせて、目元を潤ませて遠いところを見つめる眼差しを啓介に向けた。いわゆる乙女モード全開の表情。これで性別が女だったら間違いなく食ってたな、と心密かに啓介は思うが、それは腹の中だけにしまっておく。
「へえ、アニキ、何かしたんだ?特別なこと?」
 やっとやってきたメインの話に、やっと啓介も食いつける。興味深々で問いかけながら、手に持った缶コーヒーを口に含んだ瞬間、彼はそれを聞いてしまった。

「…はい。マツケンサンバ」

 ブ―――ッ。
 啓介の口から、茶色い噴水が発生した。
「うわっ!啓介さん、何するんですかっ!」
 抗議する藤原に構いもせず、今聞いた言葉を、脳内で変換し理解したところで啓介は藤原に掴みよった。
「…お、オイ、マツケンサンバって、あのマツケンサンバだよな…。…もしかして、そ、それをアニキが……」
「はい。踊ってくれたんですよ」
 まさかの問いかけに、あっけなく頷く藤原。啓介の脳内で、ゴージャスに輝く将軍と見知った兄の姿が交錯する。
「俺が暴れん坊将軍好きだって言ったら、涼介さん、Dの誘いのときにマツケンサンバを踊ってくれて…。それもコスプレまでしてくれたんですよ?」
 凄いでしょう?といわんばかりの藤原の顔。啓介にとっては違った意味で確かにすごい。
「踊りも、将軍様よりも上手かったですよ。ええと、ナントカって言う、あの振り付け師の人の踊り方に近かったです。すっごい格好良かった…」
 う、うっとりするところじゃねえだろっ!
 いまや啓介の顔面は蒼白だ。信じられないことの連続で、脳内ではもう想像することすら破棄している。
「でも啓介さん。そのとき涼介さん、わかんないこと言ったんですよね…。なんか、暴れん坊将軍のモデルになった徳川吉宗の話なんですけど…」
 うわぁ、嫌な予感するな…聞きたくねえけど、ほんのり恐いもの見たさの気持ちもあるよな。ええい、聞いてしまえっ!こういったところは、直情型である啓介の最も顕著なところだ。絶対に後で後悔するに決まっているのに…理性が行動に追いつかない。
 そしてやってしまった。
「ええと、涼介さんが言うには、吉宗さんって、政治面だけを見ているとストイックで無欲な人っぽく思われるらしいんですけど、実はプライベートでは子供が100人近くいるとか、結構精力的な人だったらしんです。それで涼介さんが言うには…」
 ……アニキ。ゴメン。血筋かなぁ…ハハハ、俺、想像ついちゃったよ…。
「…そういったところは史実の吉宗と自分は似てるかもな、って。だから俺に『覚悟するように』って言ってたんですけど、それってどう言う意味なんすか?」

 啓介には言えなかった。
 下ネタ一つで子猫がマングースに変わる藤原のこと。絶対に言えない。過去、彼が下ネタを連発する先輩にキレ、ボコボコにした話を啓介は聞いていた。
 何より。愛らしい子猫のように無垢な瞳の藤原に、以外と良識ある男、啓介は言えなかったのだ。涼介が意図することはつまり………。

『藤原。それはアニキも、夜は暴れん棒将軍だってことだよ』

 どんなに藤原が詰め寄っても、押し黙ったままの啓介は、まるで怯える子羊のようだったと後に藤原は涼介に語ったらしい。



懐かしいネタ…。