羊たちの沈黙

3.刺激が欲しけりゃ馬鹿になれ


 それを三人が目撃してしまったのは、ささいな偶然から始まる。

 まず、一人目は啓介。彼はわざわざ出向いた大学で、休講になったと知らせを受け、朝方まで峠を攻めていたこともあって、休息を取るべく真っ直ぐ自宅へと戻った。
 その帰宅途中、『涼介と連絡が取れない』という史浩からの連絡を受け、彼と合流。そしてさらに、『ハチロクの整備終わったんですけど、涼介さんと連絡が取れなくて…』と言う松本と合流。
 FDと松本が運転するハチロクの二台で、とりあえず高橋家に運ぶことを決め、彼等はとんでもないものを見るべく、あの屋敷に足を運んでしまったのだ。
 そして向かった高橋邸には涼介の白のFCがガレージに鎮座していた。普段涼介は出かけるときは愛車でもって移動する。それがあると言うことは、確実に彼が自宅にいるということだ。
「…なんだ、アニキ、いるんじゃん。寝てんのかな?」
 最初は和やかにそう言っていた啓介だが、自宅の玄関に目をやった瞬間、彼等は動きを止めた。

 後に啓介氏が証言するには、
「確かに、見た目はフツーにうちの家だったけどよ。なんか…いつもとは違う、妙な空気が広がってるような、そんな気があ絶対にあの時したんだ」
 と野生の勘の発達した彼は言ったという。
 そして本能的に異変を察知し、なんとか募るストレス回避を図る史浩氏もこう証言した。
「…ドアノブを握った瞬間、何でか胃が痛んだんだよな…。あれは…そういえば涼介に無理難題を言われる前に、よく感じてたものと似ていたよ…」
 そして車に関しては頑固一徹職人肌のDの誇るハチロクのメカニック、松本氏もこう証言した。
「よく分かんないですけど、なんかヤらかしてくれそうなニオイはしましたよ」
 さらに彼は言う。
「そうですね…。強いて言えば、藤原がブラインドアタックを始めてした時と、似てるような気はしました。…ええ。面白そうなニオイです」
 そして嫌な予感を感じながらも、ドアを潜り抜けた彼らを待っていたのは、某ファンタジーでよくあるように、そこは奇妙がまかり通る不思議な世界だった。

「はーい、どなたですかー?」
 彼らを出迎えてくれたのは……藤原拓海。彼らの良く知るDのダウンヒルエース様だった。
 だがそこにいたのは、確かに藤原であって藤原ではなかった。
「あ、啓介さんと史浩さんに松本さんまで。どうしたんですか?」
 声や口調はいつもの藤原だ。ぽやんとした表情もいつもの彼だ。仕草もそう。だが決定的にいつもの藤原と違うのは……。
 藤原はスカートを履いていた。
 しかもただのスカートではない。黒のワンピースにフリフリの真っ白いエプロン。頭にはリボンまで付いている…つまりつまり…それは……。
『『『メイドだっ!!』』』
 三人の心の叫びが一つになった。
 藤原は、妄想男子の憧れのアイテムでもあるメイド姿とやらをしていた。
 しかもやけに似合っている。目の前のこれを、藤原を知らない人物が目撃したならば間違いなく彼を『可愛い女の子』と見るだろう。
 あんぐりと口を開けて、呆然とする三人をさらに地獄へ落とすべく、藤原がある言葉を発した。
「旦那様―、お客は啓介さんと史浩さんと松本さんでしたよー?」
『『『ダンナサマ!!』』』
 またもや硬直する三人。そして藤原の可愛い呼びかけに応じて、やってきた『旦那様』とやらは、予想通りのあの方で。
「なんだ、珍しいな。三人で来るなんて」
 どこか陰のある雰囲気を漂わせた、三人の旧知の人物はあの藤原と同じく、異世界の人物の様相をしていた。これでまだタキシードとか、洋装であったならば、藤原のメイド姿と相成って、それなりの世界の集結を見ることが出来るのだが、目の前の彼、人呼んで赤城の白い彗星ことDのリーダー高橋涼介氏は、どこからどう見ても…やさぐれた御浪人の姿をなされていました。
 涼介を凝視する三人の視線に、メイドこと藤原が気付き、笑顔でこう言った。
「似合うでしょう?眠狂死郎なんですよ?」
 そこで納得したのは、以前に『時代劇が好き』という発言を聞いていた啓介一人。まだマツ●ンの格好じゃなかっただけいいか、などと彼は衝撃から立ち直った。
 そして続いて松本。彼もまた時代劇が好きで、普段から藤原とは時代劇話で盛り上がることもよくあった。なるほど。涼介さんに眠狂死郎か。なかなかイイ線いくな、藤原。涼介さんも、ちゃんと眠狂死郎らしく、世を恨んだ雰囲気を出してるし、コスプレとしての完成度は高い…。それに何より、鬼畜なところは一緒だな…。などと違う箇所で納得をした。
 だが一人、常識派の男だけは違った。彼は衝撃から覚めやらず、思わず衝動のまま叫んでしまた。
「…りょ、涼介ぇ!その格好は何なんだ!!そ、それに藤原も、そんな格好して…」
 そのままむせび泣きそうな史浩の様子に、憮然とカリスマ様こと涼介は答えた。
「だから藤原が言っただろう。眠狂死郎だ。知らないのか、史浩?」
「…え?史浩さん、眠狂死郎、知らないんですか?」
 いや、そうじゃなくて…。史浩も含めた三人の突っ込みは言葉にならず、ただ微かに突っ込もうとした手のひらだけが名残のように動いた。
「…藤原。史浩が言いたいのはそういうことじゃなくて、アニキと藤原が何でそういう格好をしているかってことなんだと思うけど…」
 啓介のフォローに、コスプレイヤーと成り果てているバカップル二人はお互いを見つめた。
 そして互いに相手を指差しながら、

「「させたかったから…」」

 とのたまった。
「…ああ、じゃあ、やっぱり眠狂死郎のチョイスは藤原がしたんだな。いい趣味をしていると思ったよ」
 このバカっプルのノリに負けず、そう言ったのは意外な伏兵、松本だ。
「涼介さんも、藤原のこのメイド服、さりげにハチロクカラーですね。そういうところも踏まえてこの服を選んだんですか?」
「当たり前だ。俺は拓海に似合わないものを着せるはずがないだろう?」
「りょ、涼介さん…」
 ぽっと頬を染める藤原。これで男じゃなかったら…こっそり啓介が思うが、それは黙って押し殺す。
「涼介さんじゃない。今日は旦那様だと教えただろう、拓海?」
「あ、はい。そうでした。申し訳ありません、旦那様」
「うむ」
 付いていけないノーマル思考の史浩と否定したい啓介。穏やかに微笑む松本。
「…ねえ、旦那様。今度は水戸黄門ごっこしませんか?ええと、旦那様が水戸黄門で、啓介さんと史浩さんが助さんと格さんなんです」
 …お願いですから仲間に入れないでください。二人の密かな自己主張は、三人のマニアの耳には届かない。
「水戸黄門か…。あまり面白みがないように思うが…」
「いえ、涼介さん。甘いですよ。この場合藤原がやるのは『お銀』です。お銀といえば、あれですよ…」
 そう。お銀といえば、お決まりの「入浴シーン」。涼介は即決した。
「いいね。やろうか」
「じゃ、俺は風車の弥七がいいですね」
「あ、それ似合いますよ、松本さん」
「そうだな。じゃあ、あとはうっかり八兵衛だが…ああ、ケンタがいたな」
「楽しみですね、旦那様」
「うむ」
「D以外でも楽しみが増えましたね」
「喜んでもらえて幸いだ」
 喜ぶ三人のマニアに、啓介と史浩の相貌は青ざめたまま戻らない。このままでは助さんと格さんをやらされてしまう!危機感を抱いた二人は、一念発起、反論しようと口を開きかけたが、マニアのリーダー格、涼介がくるりと二人の方を振り向いて、にっこりと微笑まれた。
 それはまるで、悪魔の微笑(+眠狂死郎テイスト)。
「あらかじめ言っておくが、お前らに反論の余地はない」
 …オニ!アクマ!!非道!そう叫びたいが、涼介の笑みがものすごく恐ろしい…。
「これはペナルティだ」
 ペナルティ?俺らが何をした??
「見ただろう?藤原のメイド姿?」
 …………。
「こんな可愛い藤原の姿を見せてやったんだ。それぐらいの事は容易いものだと思うが?」
 それでも頷けない二人に、涼介は最終兵器とばかりに藤原に何かを耳打ちし、いつも彼を赤面させる魅惑の微笑を浮かべた。
「…出来るね、拓海?」
「はい。旦那様」
 頬を染めた藤原は何やら意気揚々、立ち尽くす啓介と史浩の前まで歩み寄ってきて、そしていきなり跪いた。
 驚く二人の手をそっと片方づつの手で握り締め、そして藤原は頬を染め潤んだ眼差しで二人を見上げた。

「お願い、啓介様。史浩様。拓海のお願い聞いて?」

 きゅう、と握る手に力を込める。
 藤原が握る二人の手が汗ばんだような気がした瞬間、二人はうずくまり、なかなか起き上がることが出来なかったという。
 そして用意周到、策士のカリスマ様は、二人にしっかりと言質を取らせ、水戸黄門ごっこの了承を取ったそうだ。

 その後、「邪魔だ」とさっさと眠狂死郎張りの円月殺法で屋敷を追い出され、侘しくコーヒーを飲む三人の姿がファミレスにあったという。
 そして隠れマニアだった男がぽつりとつぶやいた一言に、
「…それにしても藤原のメイド姿、ヤバいくらいに可愛かったですね」
 自分はノーマルだと信じていた二人は、冷や汗を流して黙り込んだ。

 あの時…。
 メイド姿の藤原の姿に、密かに萌えて、●っていたことを、二人は心の奥の箪笥に仕舞い込み、二度と出てこないように封印をした。

 新たな世界の目覚めを感じ始めた二人は、『お銀でも萌えたらどうしよう?』と、ほのかな不安を覚えていることは、とりあえず目の前の彼らには秘密だ。