はなれ 〜エスカレーション余話〜
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涼介に腕をとられるまま、拓海は和室を通り抜け、そのまま庭へと下ろされた。
「……」
拓海が躊躇っていると、涼介は、
「せっかくだから、風呂だけでも味わっていけよ」
そう言って、露天風呂の方へ顎をしゃくる。
何気ない口調であるが、微妙な緊張感を含んでおり、それに逆らうことは許されないように拓海は感じた。
仕方無しにうなずくと、そのまま風呂の方へと歩みを進める。
涼介はそのまま踵を返すと、部屋の中へと戻り、何やら捜すような様子だった。それを横目に見ながら、拓海は自分の着ていた浴衣をそっと脱ぎ、休憩用になった和風の長椅子の上に置いた。
「こんなところ、使わない」
拓海は先程、そう涼介に告げたが、これまでの涼介とのつきあいで、拓海のそうした拒絶の言葉が聞き入れられたことは、一度もなかった。
拓海は内心、諦めの溜息を洩らし、体を隠すようにして湯船に足をつけると、所在無く周りを見回す。
拓海の乱れる想いとは裏腹に…
露天風呂を備えたこの庭はきちんと整えられていて、美しかった。小さいながらも風情のある東屋も備え、張り出した庇で雨が降っても入浴できるようになっている。木々を照らす照明の他、湯船を巡らすように丸い形の提灯が置かれていて、温かい色の光を灯している。
秋の宵、山の空気は冷える。
ここまでの道程で思った以上に体が冷たくなっていたようだ。湯につけた足元が温かく、ほんのりとした気分になってくる。
熱すぎない、程よい湯加減。
その温かさに誘われるように、拓海は体を沈ませる。
水面を見ると、白や黄色の菊の花が浮かべてあり、柔らかい風情で見る者の心を和ませている。
強張った拓海の心と体をほぐすような温もりと優しさを、
この露天の風呂は与えてくれていた。
自然に目を閉じ岩に身を凭せかけると、体の力が抜けていく。
ふと、微かな衣擦れの音がし、やがて、ぱさり…と何かの
落とされる音。
目を開けてみれば、涼介が湯に足を入れるところだった。
拓海と視線が合うと、涼介はふっと表情を和ませる。
「けっこう良いだろう?」
「使わない」と涼介に拒絶の言葉を投げかけた拓海だったが、くつろいだ姿を晒してしまった以上は、素直に頷くしかない。
湯船に浸かると、涼介は先程、浴衣を脱ぎ捨てた岩場の方に手をやり、何やら引き寄せる。
「あ…」
拓海は目を瞠る。
そして、思わず吹き出す。
「なに?」
「それ…」
指差す湯面には、お盆に乗せられた小さなガラスの容器と盃。
「ああ…」
涼介は頷くと、
「温泉に浸かりながら酒を飲む…一度やってみたかったんだ」
そう言いながら、半透明の白いガラスの盃へと酒を注ぐ。
ガラスの製のそれは冷酒用と見みえて、窪んだところに氷が入れられ、酒と混ざらないような工夫がされている。
「涼介さん、意外…」
親父みたい…と思わず心に浮かんだ言葉そのままを告げれば、拓海の笑みにつられたように涼介もふっと柔らかい微笑を浮かべる。そのまま、杯を傾け、ひと口味わうと、
「ああ、美味い」
と、味わいのひとことを洩らす。
そのくつろいだ様子が、ふだんの涼介とどこか違っていて、なんだか普通の人っぽくて意外で、拓海は可笑しく思う。
それにしても、惚れ惚れとするような涼介の体だった。
既に見慣れたと言えるほどに目にしてきた裸体であるが、
適度に筋肉のついた美しい体のラインには、今更ながら見惚れてしまう。それが露天の湯に濡れ、一際しなやかさを増している。少し湿った感じで額にかかる前髪には、ぞくっとするほどの色気があり、拓海の身の内の官能を無意識に呼び起こす。
「少しだけ口をつけてみる?」
普段、絶対に頷かないその言葉に、思わず頷いてしまったのは、そのせいだ。
涼介の手が盃を持ち上げ、そっと拓海の唇に触れさせる。
ガラス容器の冷たさ。
そっと傾けられ、注ぎこまれる透明の液体。
ほんのひと雫。
それは冷酒のはずなのに、拓海の奥に熱いような疼きを生じさせた。
盃から唇を離し、ゆっくりと目を閉じ、仰くようにして、
ほぅ…と吐息を洩らす。
その様に…今度は涼介が煽られる。
「拓海…」
そう呼びかけると、腕をとり、自らの方へと引き寄せ、
先ほどの残りの酒を口に含むと、拓海の唇に口づけた。
先ほど拒んだ接吻を、拓海は今度は拒まなかった。
差し入れられた舌と待ち受けていた舌が絡み合う。
柔らかく、そして熱く濡れる感触。
体に火が灯される……
涼介の口づけを受けながら、拓海は自分が蕩けていくのを感じていた。
湯の温かさ。
上等な甘い冷酒。
馴染んだ男の官能的な肉体。
それらが、拓海の頑なさをいつしかほぐしていた。