一週間遅れのバレンタイン



 涼介さんってもらうならチョコは手作りですか?

 いきなりそう聞かれ、涼介は答えるよりも先に疑問が口から零れた。
「どうしてそう思うんだ?」
 涼介にそう問いかけたのは、自分よりも5歳も年若い女の子。
 今年卒業とは言え、まだ高校生の少女と呼んで差し支えない年齢の子供だ。
 問いかけた方は、まさか涼介からそう返ってくるとは思っていなかったのだろう。
「え?」
 きょとんと、大きな目をパチパチと瞬かせ、そして気まずそうに俯いた。
「……変なこと聞いてすみません」
 涼介に対し、どこか遠慮がちな少女を萎縮させてしまったらしい。
 同年齢の従妹はいるが、目の前の少女は、従妹とは違い我侭も甘えることもしない。
 また、自身の周りに有象無象に集まってきた図々しいばかりの、過剰な自信に溢れた女たちとも違う。
 涼介にとっては新鮮で、だからこそ常に彼女を目の前にすると戸惑う。
「怒ってるわけじゃないよ。ただ…どうしていきなりそんなことを聞くのか、気になっただけだ」
 どうしてだ?
 自分の声は優しく彼女に聞こえただろうか?
 そんな事を気にしながら、問いかける。
 すると彼女はおそるおそると言った仕草で顔を上げ、ぽつぽつと答えた。
「あの…友達が……」
「友達が?」
「チョコ、手作りじゃないとダメだって…」
 おどおどとした眼差し。
 彼女は何におびえているのだろう?
 涼介は首をかしげた。
 話題も不思議だが、バレンタインデーから既に一週間ほどの時が過ぎている。
 なぜこの時期に彼女はそんなことを聞くのだろう。
 今年のバレンタインデーは日曜だった。
 学校、会社などでは、だから前々日の金曜にチョコを手渡されることが多かったらしい。
 涼介もまた、金曜に渡されるのが目に見えていたので、あえてその日は大学へ行かなかった。
 だから涼介が手にしたチョコは、母親の物と、従妹の物の、合計二個だ。
 母親のは義理に溢れた高級チョコレート。
 そして従妹のは手作りだったが、これは従妹の趣味の一環であって、涼介としては手作りと言うものに感慨めいたものはない。
「別に手作りにこだわるわけじゃないが……」
 そもそも、チョコレート自体にこだわっていない。
 だが、おびえながらも見つめる彼女の視線に、そんなことを知りたいわけじゃないのだと言うことが窺える。
 そして、少しだけ面白くない事実も推測される。
「……逆に聞くが、そう友達に言われたという事は、藤原は誰か送りたい対象があって、そうアドバイスされたと言うことか?」
 言葉にすると、胸の中にモヤモヤとしたものが広がった。
 端的に今の感情を言葉に表すと、

 面白くない

 の一言だ。
 そして涼介がそう聞いた瞬間、目の前の少女の身体が大げさなほどにビクリと跳ねた。
 ますます、涼介の胸の中にモヤモヤが広がる。
 うろうろと視線をさまよわせ、けれど少女は、覚悟を決めたように、小さくコクリと頷いた。
「そ…です」
 面白くない。
 非常に不愉快だ。
 だが、それは自身の感情の問題であって、目の前の少女にぶつけるものじゃない。
 ぐっと堪え、涼介は彼女の真意を探る。
「それで?その送りたい相手には渡したのか?」
 すると、少女はその時のことを思い出したのだろう。
 うっすら目に涙を浮かべ、ふるふるとその小さな頭を横に揺らめかせた。
「郵便で送ったんですけど…受け取ってもらえなかったみたいで……」
 大きな瞳に浮いたその涙の粒が、今にも零れ落ちそうだ。
 涼介は心の中で舌打ちした。
 奥手そうなこの少女のことだ。
 きっと直接手渡せず、郵送で送ったが相手に受け取りを拒否され送り返されてきてしまったのだろう。
 なるほど。
 その期間が、ちょうど今のタイミングの一週間か。
「それで、友達に受け取ってもらえなかったのは手作りじゃなかったせいだからと言われたのか?」
 コクリと、彼女は頷いた。
「……それか、もっと高いチョコにすればよかったのに、って…」
 誰に送りたかったのか知らないが、今目の前にチョコを送った相手がいたなら、涼介は迷わずFCで轢いていただろう。
 いや、むしろ外科実習で多少不便になろうとも、突き指覚悟で素手で殴ってもいい。
 むしろ、殴りたい。
 いや、殴らせてくれ。
 胸のモヤモヤはすっかりムカムカに形を変えている。
 自身の苛立ちはさておき、涼介は目の前で落ち込む少女を慰めてやりたかった。
 細い、涼介を負かすほどのドラテクを繰り出すとは思えないほどの細い肩に手を置く。
 俯いたままの少女が顔を上げた。
 悲しそうな瞳。
 眦に浮かんだ透明な粒。
 うっすら、紅潮した頬と、化粧っ気のないのに色付いた淡い唇。
 賭けても良いが、涼介には分かる。
 まだあどけなさが残るこの少女があと二、いや三年経ち成人した頃、きっと誰もが目を離せないほど魅力的な女性になるだろうことを。
 外見のみならず、それは内面からも輝くような、そんな綺麗な女性になるだろう。
 それを見るのが、今の涼介の夢だった。
 自分に勝った、いや、彼女の走り初めて見たあの瞬間から、涼介はこの子が成長するのを見たいと、そう願ったのだ。
 だから今は、この子を傷つける全てのものから守りたい。
 瑣末なことに、この子が傷付くことすら許せなかった。
「プレゼントの価値は、手作りだとか、値段なんかじゃない」
 じっと、彼女をの目を見て答えた。
「相手のためを思う、その自分の気持ちが一番重要なんだ。だから藤原がその相手のために送りたいと思った、その気持ちが一番嬉しいことなんだと思うよ」
 我ながら舌打ちしたい。
 相手を打ち負かす弁舌には長けても、純真な少女を慰める語彙は持ち合わせていない。
 我ながら陳腐な言葉だ。
 けれど、目の前の少女は目をパチパチと瞬かせて、そしてゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、涼介さんは…もし…それがどんなつまらないものでも、もらってくれますか?」
 いじらしい子だ。
 可愛いな。
 家に閉じ込めて、自分だけのものにしたい。
 こんな可愛くて純粋な子を傷つけたクソヤロウはどこのどいつだ?!
 イラっとする気持ちを抑え、涼介はにっこりと微笑んだ。
「もしも藤原が俺に送ってくれるなら俺は何でも嬉しいよ。もしも、だけどな」
 最後が自嘲気味になってしまったのは、涼介の若さと言うか、僻みだ。
 しかし、少女はコクンと頷いて、突然振り向きパタパタと彼女の白黒ツートンカラーの車へ走っていく。
 そして何やら中から取り出し、そしてまた涼介の目の前に立った。
「……涼介さん、あの」
 差し出された彼女の両の手のひらに掴まれたもの。
 それはいびつなラッピングのされた箱だった。
 涼介の回転の速い頭脳は、一つの可能性を示唆する。
 だが、疑り深い性質が、その楽観的な考えを否定する。
 しかし、心は勝手に期待する。
 まさか。
 まさか。
「…一週間遅れですけど…バレンタインのチョコです。あの………て、手作りなんで、すごいみっともないですけど…」
 小さく呟くように「ダメですか?」と、涙目で見上げられ、涼介は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。 
「……もしかして…作り直したのか?」
 まさか?
 そう疑う気持ちが、探るような問いを発せさせる。
 そして答えは、涼介の「まさか」を肯定するものだった。
「…返ってきたの、溶かして作ったんですけど…あんまりみっともないから…またダメだろうなって思ったんですけど…でも…」
 どうしても、諦められなかったから…。
 そう続いた小さな声。
 涼介は頭を抱え、蹲りたくなった。

 バカは、俺か?!

 さっきまであんなに殴りたいと思っていた相手。
 それは鏡に映った自分だった。
 確かに、思えば郵送で送られてくるプレゼントの類は、ハウスキーパーに命じて全て送り返すよう申し付けてある。
 そもそも、郵送で送ってくる時点で、顔見知りのはずはないだろうと言う考えのためだ。
 去年まで有効だったそれは、今年に限って奥手な少女を傷つけた。
 涼介は考えた。
 彼女に何と言うべきだろう?
 ごめん?
 そんなつもりじゃなかった?
 まさか、お前がくれるとは思っていなかったから?
 いや、そうじゃない。
 今、目の前の少女に言うべきことは…。
 涼介は微笑み、そして彼女の手の中の箱を受け取った。
 そして、万感の気持ちを込めて告げた。

「ありがとう」

 すると少女は、はにかみながら、とても嬉しそうに微笑んだ。
 その笑顔を見た瞬間、涼介の心の中の「見守りたい」と言う夢が消えた。
 そして代りに現れたのは……。

「手に入れたい」と言う欲望。

 感情のままに、涼介は目の前のチョコより甘そうな身体を抱きしめた。
 小さく、「ひゃぁ!」と叫ぶ声が聞こえたが、構わず涼介抱きしめる腕の力を強める。
 溶けるぐらいに熱く。
 そして甘く。
「藤原」
 彼女の名を囁いた。
「藤原、拓海…」
 バレンタインから一週間遅れた何でもない日。
 涼介は甘く可愛い恋人を手に入れた。



2010.2.24


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