指先


 ぼうっとしてるのは好きだ。
 特に、忙しそうな涼介さんの横で、手持ち無沙汰にボヤっとしてるのが好き。
 最初はそんな俺に気を使っているようだった涼介さんも、俺が十分に楽しんでいるようなのを見て、
『悪いな』
 なんて謝りの言葉はくれるけど、放って置かれるようになった。
 今も、そう。
 パチパチとキーボードを叩く音がする。
 時々その音が止んで、ペラペラと本をめくる音がする。
 そしてしばらくするとまたパチパチと音が鳴り始める。
 音の出所である涼介さんを見れば、その表情は難しいもの。
 パソコンをしかめ面で睨み、傍らには重そうな本が何冊も積んである。
 三十分に一回ほど強張った姿勢を解すように、ぐるりと首を回し、ぐん、と背筋を伸ばす。
 そして傍らにボヤっとしている俺を横目で見つめ、ふ、と微笑む。
 そんな瞬間が俺は好き。
 今日もパチパチ。ペラペラ。ぐるりと回して、ぐんと伸ばし、そして、ふ、と笑う。
 最初は遠慮がちに遠くに座っていた俺の場所も、今はもう二人がけのソファで隣同士。
「俺、邪魔じゃないですか?」
 あまりに近い距離に、俺は嬉しいんだけど涼介さんは鬱陶しいかなと聞くと、「まさか!」と涼介さんはニコリと笑ってキスをした。
「逆に落ち着くぐらいだ。それより、隣にいても放りっぱなしの俺を藤原が嫌いにならないかが心配だ」
 それこそまさかだ。
 驚いて必死に否定すると、また涼介さんはニコリと笑って抱きついてきた。
「うん…。俺はどうしても一人の時間というものを省けないから、優先しないでも受け入れてくれる藤原のような存在は有り難い」
 その言葉に、ほんのちょっとだけ傷付く。
 それってつまり、俺じゃなくても大人しく文句も言わないでぼうっとしてる人間なら誰でもいいのかな?
 でも、そうじゃなく。
 思わず心の中が顔に出てしまった俺の鼻を涼介さんが摘む。
「ばか」
 そして鼻の頭にキス。
 俺の鼻の頭はきっと真っ赤だ。
「居心地の良い人間ってのは貴重なんだ。ましてやその相手が、俺の生活リズムにぴたりと合った相手で、おまけに片時も傍から話したくないくらいに好きな相手ってのはね」
 今度は頬まで真っ赤。
 激しく照れる俺に、涼介さんも照れ笑い。
「ま…そう言う事だよ」
 と、ポンポンと頭を軽く叩かれる。
 叩かれた頭を手のひらで押さえながら、俺も照れ笑い。
「俺…じゃあ涼介さんの隣にいますね」
 真っ赤な顔のままの俺がそう言えば、涼介さんが、
「そうしてくれ」
 と、ほんのり赤くなった顔で答えてくれた。
 それ以来、俺の席はいつも涼介さんの隣。
 ぼうっといつもいつも、涼介さんが難しい顔で悩んでいるところを見ている。
 涼介さんの指がひらめくように動いて、パチパチ激しい音を鳴らし、パソコンのディスプレイでは文字が躍っている。
 その素早く動く指先にひたすら感心。
 簡単な携帯のメールを打つのでさえ、三十分以上かかる俺は尊敬してしまう。
 細く長い指先。
 水仕事なんてした事がないせいか、俺とは違って手荒れもない綺麗な爪先。
 でもその側面にはペンダコ。
 指の腹は柔らかくなく硬くなっている。
 手のひらもそう。
 硬かったり、マメがあったり。
 頑張っている手をしている。
 涼介さんの手は好きだ。
 キーボードを叩くたび、手の甲の筋がグニグニ動くのも見ていて楽しい。
 触りたいな。
 そう思うけど、そんなことをしたら邪魔になる。
 でも触りたいんだけどなぁ…。
 そんな事を思いながらふと足元を見れば、涼介さんの素足の指先が見える。
 涼介さんが素足なのは珍しい。
 いつも靴下だったり、スリッパなんかを履いていたりするのに、今日は暑いせいかむき出しのままフローリングの上に指先が置かれている。
 そんな涼介さんの足先に、自分の足を並べてみる。
 大きさも違うけど、形も違う。
 俺の足は…たぶんそれこそ普通の形。
 でも涼介さんの足は、きれいな人はそこまできれいなのか、スッと細くて指もスンナリ伸びて纏まった優雅な形をしていた。
 その足が、ちょっと煮詰まるとパタパタとフローリングの上で跳ねる。
 初めて知った新たな癖だ。
 嬉しくて俺は足先をじっと見つめる。
 するとやっぱりウズウズ。
 触りたいな。
 触っていいかな?
 足だもんな。
 邪魔じゃないよな。
 ちょっと触るだけならいいよな。
 そっと足先を近づけて、涼介さんの足にぴったりくっつけてみる。
 あったかい。
 涼介さんは何事もなかったように黙々とパソコンを見ている。
 また、ウズウズ。
 ちょっと足先を動かして、涼介さんの足にスリスリ。
 気持ち良い。
 何だか嬉しくなって、ずっとスリスリしていたら、横で涼介さんが堪えきれないと言ったふうに噴出した。
「…まったく、藤原!」
 笑いながら怒鳴られた。
 ぐい、と首を引き寄せられ、涼介さんと頬をスリスリ。
「あんまり可愛い事をするなよ。精一杯我慢しているのに」
 どうやら邪魔をしてしまったみたいだ。
 目に。鼻に。頬に。唇に。
 涼介さんの啄ばむようなキスが霰のように降ってくる。
「すいません」
 と謝ろうと口を開いたら、涼介さんの口が塞いできた。
 口の中で触れ合って。
 トロトロになるまで寄せ合って。
 離れた時にはうっとりしていた。
「あと三十分で終わらせる」
 涼介さんの顔はイキイキしていた。
 大変そうなのに本当に終わるのかなぁ?なんて思ってたら、涼介さんの足が俺の足を踏みつけた。
「終わる。終わらせる。エネルギー貰ったからな」
 エネルギー。
 確かに涼介さんがガソリン満タンみたいになっている。
 うっとり気分が、何だかふわふわとしたものになってくる。
 涼介さんの隣でコトンと身を預けたまま、触れ合った足の指先をスリスリ。
「…じゃ、俺、ぼうっとしながら待ってますね」
 答えるように涼介さんの足先が俺の指先をスリスリ。
「ああ。待ってて」
 ぼうっとしているのは好きだ。
 特に、忙しそうな涼介さんの隣で、足の指先をスリスリしながらぼうっとしているのは好き。
 そして涼介さんの新しい癖に、悩んでいるときは俺の足の爪先にスリスリって言うのが加わった。

 今日もパチパチ。ペラペラ。ぐるりと回して、ぐんと伸ばし、そして、ふ、と笑って、時々スリスリ。






2007.8.17
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