右脳と左脳の関連性


 イヤだなぁ。
 すっげイヤなんだけど。
 けど、言えない。

「あの、啓介さん」

「ああ、何だよ?」
 思い切って、ミーティングの合間に啓介に声をかける。
 ミネラルウォーターを飲んでいた啓介が、ペットボトルから口を離して拓海を振り返った。
「涼介さんのことなんですけど…」
「何?アニキまた何かやった?」
 拓海と、あの白い彗星こと高橋涼介が、いわゆるお付き合いをしているのは、Dのメンバー間では周知の事実。
 拓海が啓介に聞くことといったら100%涼介絡みでしかないわけだ。
「えと、はい。涼介さんなんですけど……涼介さんって目が悪いんですよね?」
「ん?ああ。パソコン画面の見すぎで、視力が前より落ちたっつってたなぁ…」
「運転に…差し支えるくらいのレベルですか?」
 ん〜と、と悩みながら、兄に聞いた視力を思い出す。
「たしか…0.5とか、そんぐらいかな」
「じゃあ、運転中も本当は眼鏡が必要なくらいなんですね…」
 拓海の暗くなった表情に、啓介は怪訝な目を向ける。
「何?何か問題でもあった?」
「いえ…ただ、涼介さん、何で運転中は眼鏡とかしないのかなぁ、って…」
「あ〜、そういやそうだな。アニキ、勉強してる時くらいしか掛けてねぇよな、眼鏡。でも、それもアニキなりに理由があるみたいだぜ?」
「理由…ですか?」
「ああ。アニキが言うには、脳には右脳と左脳ってのがあって、物を考えたりするのは左脳で、直感で判断するのが右脳。
 だから勉強とか、左脳活動にはちゃんと視覚情報から捉え、情報として判別する必要があるけど、運転とかの場合は、頭で考えてたら遅いんだとさ。お前もそうだろ?考えるよりも、反射で動いてるっつーか…」
 拓海は自分を振り返り頷いた。
「そーっすね。確かに、頭で考えて動いてないっすね。啓介さんもでしょ?」
「ああ。ボ〜っとしてる時のほうが、一番良いタイム出るよな」
「あ、俺もです。今日の晩御飯何にしようかな〜って思ってるくらいの方が速かったりしますね」
 非常に非凡な感性で共感を育みながら、会話は続く。
「アニキが言うには、眼鏡かけてると視覚領域が強くなって、つい捉えた情報を頭で考えちまうらしいから、あえて見えてない状況を作り上げて、右脳で運転するようにしてるんだとさ」
 啓介の説明に、判ったような判らないような…そんな微妙な表情で拓海は頷いた。
「けど、いきなり何だよ。アニキの眼鏡がどうとかって…」
 啓介の質問に、拓海は「ハァ…」と切ない溜息を吐いた。
「…涼介さん…変なところで眼鏡かけるんスよ」
「変なところ?」
「眼鏡姿…キライじゃないですけど、さすがにいきなりあの場面でかけられると…」
「…ヤな予感するんだけど…一応、聞いていい?」
 拓海がコクンと頷く。
「…Hん時です」
 やっぱり、と啓介も溜息を吐く。
「普段かけてないのに、さぁHするぞって時に、いきなりスチャ!ってかけるんですよ。何か…それ、すげーイヤで…」
「まー……何かのプレイみたいだよな」
 啓介の同意に、拓海は自信を持ったのだろう。
「そうですよね!」
 と、強い口調で勢い込む。
「眼鏡かけてさ、俺の隅々までジロジロ見るんスよ!もう、恥ずかしいから止めてほしいのに、涼介さん、『藤原はかわいいな』なんつって、もっと見るし…。啓介さん、涼介さんってちょっと変態なところあるんですか?」
 ここで、あるだろうな、と同意したら、後で兄が恐い。
 何だかんだ言いながら、二人とも両思いなんだから、ここは拓海に我慢してもらうしかないだろう。
 そう啓介は結論付けた。
「…なぁ、藤原。よく考えてみろ」
「…何をですか?」
「好きなヤツのことは、全部みたいもんだろ?お前も、アニキの全部みたいって思わねぇ?」
「…はぁ。見たいです。っつーか、全部見てます。俺、視力2.0あるんで、涼介さんのアゴの下にあるちっせぇホクロから、毛が生えてるのも見てます。
 んで、涼介さんの腋毛ん中に、一つの毛穴から二本いっぺんに生えてる毛があるんスよ。他のはちょっとウェーブかかってるのに、その毛だけ直毛だから良く目立つんですよね〜。
 けど、この前みたらその毛が無くって。涼介さん抜いちゃったんですかねぇ…」
 俺、あれがどこまで伸びるか楽しみにしてたのに。
「………まぁ…そうだろう?全部みたいって思うだろう?」
「はぁ…そうですね。あの毛ごと好きだなぁとは思いますけど」
 ゴホンと体勢を整え、啓介は言葉を続ける。
「アニキだってお前の毛の一本一本見たいんだよ。だから眼鏡かけてよく見ようとしてるんだろ?」
「あ…そっか」
「それに、アニキにとって眼鏡を掛けるってのは、左脳的活動の象徴だ。アニキは、眼鏡を掛けることで、あのすげぇ良いアタマを使って、お前を喜ばせようとしてんだよ。だからいいじゃねぇか。な!」
 う〜ん…と、拓海は迷ったような返事を返す。
 けれど、その顔はまんざらでもなさそうだ。
「けど…やっぱ見られるのは恥ずかしいです」
「慣れろ!」
「慣れないッスよ。だって尻の穴ん中まで見るんスよ?」
 ヒュゥ…と、密かに二人の会話を聞いていた周囲の人々の間にも乾いた風が吹く。
 峠がシンと静まりかえり、再び音を発したのは啓介の咳払いだった。
「…止めろって言っても…聞かねぇんだよな」
「はい」
「慣れんのも…無理なんだよな」
「…慣れると思います?」
 いや、無理だろうな。
 啓介だけではない。その場にいた人間全てがそう感じた。
「よし」
「何ですか?」
「最終手段だ」
「どんな?」
 ポン、と拓海の肩に手を置き、啓介は真剣な表情で言った。

「…眼鏡、割れ」

 拓海の顔に笑みが戻り、そしてしっかりと頷いた。
 その夜、麓のラブホテルでパリンとガラスの割れる音を聞いたとか、聞かないとか…。

 イヤだったら実力行使。
 それが拓海の右脳に刻み込まれ、反射で眼鏡を割るようになった拓海の前で、涼介が眼鏡を掛ける事を止めるようになったのはそれからすぐの事だった。



2008.7.27
1