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白い恋人シャボン玉


 いつもはダルダル。
 なのに、パチっ!と目が覚めた。
 ガバっと勢い良くベッドが軋むほどの勢いで飛び起き、そして景色がまだ薄暗い夜明け前の、自分の部屋であることを確認し、深く、長い安堵の溜息を吐いた。
「……夢、か」
 もちろん部屋の中には自分一人。
 ベッドの上で、パジャマ代わりのTシャツにハーフパンツ姿の自分がいるだけだ。
 全身にはじっとりと汗。
 粘ついた髪を、湿った手で拭う。
 ふと、蘇るのはさっきまで見ていた夢の光景。
 ぶわっと一気に赤面し、じっとしていられなくてベッドの上で何度もゴロゴロと寝返りを打つ。
「…あ、ありえねぇ…」
 恥ずかしすぎて死にそうだ。
 拓海は夢を見た。
 夢は普通に色んなものを見る方だと思うが、記憶に残るものはそれほど無い。
 いつも、目覚めてすぐに「あれ?何だっけ」なんてすぐに消える。
 でも、たまにだけど覚えている夢がある。
 本当に些細なその夢は、普通の夢と違って、リアルな実感を伴っているのですぐに分かる。

 ――配達の帰り、ガードレールにぼうっとしすぎて掠って親父に殴られた、とか。

 ――抜き打ちの小テストがあった、とか。

 そんな些細な内容が多い。
 けれどそれはただの夢とは違い、全て……後で全て現実になった夢。
 つまり、正夢だ。
 今までの統計によると、正夢は見たその日の内に起きている。
 今見た夢も、そんな正夢の感触だった。
 けど。
「……マジ、ありえねぇし」 
 ありえない。
 と言うより、あったら困る。
 そんな夢だった。
 そして今までの正夢とは全然違うキテレツな夢でもあったのだ。
 ――シャボン玉に。
 ――白い恋人。
 ――そして…キス。
 思い出した途端、あの感触が蘇りまたベッドの上でのたうち回る。
 そして隠しようのない現実ってものを知る。
「……イテ…」
 熱くなった下腹部。
 硬化したそこは、朝の生理現象と呼ぶには些か元気すぎた。
「う~…」
 真っ赤になりながら、元気なそこを手のひらで包む。
「…バカじゃねぇ、俺」
 たかが夢で、こんなに元気になっているなんて。
 でも、しょうがないのだ。
 あの人が夢とは言え拓海にキスをした。
 名前を呼ばれただけでぼうっとしてしまうのに、キス、なんて、そんなの…。
 拓海はベッド脇に転がっていたティッシュの箱を掴み布団の中に潜り込ませる。
 そして慣れた手つきで処理をする。
 あの唇が。
 あの瞳が拓海を見つめ。
 名前を囁き、そして言ったのだ。
『好きだよ』
 唇に触れた少しカサついた彼の唇の感触がまざまざと蘇る。
「…う……」
 キスをした。
 あの人が、拓海に。
 食いしばった咽喉の奥からうめき声が漏れる。
「……ん…涼介さん!」
 名前を叫ぶと同時に感極まった。
 そして吐き出した後のボンヤりとした頭で、もう一度あの夢の内容を思い返す。
「まさか…なぁ…」
 あり得ない夢だった。
 以前に何度か見た正夢の感触と同じだったが、あんな夢は有り得るはずが無い。
 そう思い、拓海はベッドから起き上がった。
 それにしても、本当に変な夢だった。
 クス、と思い出し笑いを浮かべる。
「本当、まさかだよ」
 笑いながら呟いた言葉。
 そしてもちろん「まさか」は起きる。



「…まさか、なぁ」
 拓海は早朝に呟いた言葉を、夜にもまた呟いた。
 その手の中には「白い恋人」。
 そう、某観光地の有名なお菓子だ。
 甘く濃厚なホワイトチョコにラングドシャ。
 それらが絡み合う絶妙のフレーバーに、以前食べた記憶のある拓海も好きなお菓子の一つであるのだが、今はそれを素直に喜べない。
「どうした、藤原?甘いものは苦手か?」
 それをくれた当人。
 史裕が心配そうに拓海を覗き込む。
 それに慌てて拓海は首を横に振った。
「い、いえ、違うんです。好きです…けど」
「けど?」
 どこか旅行に出かけるような事は、この前に峠のビデオを持ってきてくれた時に聞いてはいたが、まさかそのお土産がこれで、そして今のタイミングだとは思っていなかった。
「嫌なら別に無理して食べなくてもいいんだぞ?涼介みたいに、甘いものが得意じゃないって事もあるからな」
 そうか。涼介さんは甘いものが苦手なのか…。
 なんて、そんな事に感心している場合じゃなく。
「そうなじゃくって…ただ…」
「どうした?」
 不審そうな史裕に、これ以上口ごもるのは失礼に当たるかと、拓海は白状する。
「夢…見たんですよ」
「夢?」
「はい。誰からってのは分からないんですけど、俺がこのお菓子を食べてる夢です」
 そうだ。
 拓海はこのお菓子を食べていた。
 サクっとした感触も覚えている。
 そしてホワイトチョコの甘さも。
「だから…ちょっと不思議だなって」
 ふぅん、と史裕は楽しそうに笑った。
「それ、正夢ってやつか…」
「かも…です」
「他に何か見たのか?」
 見た。確かに。
「…や、でも変な夢だったんですよ」
「変なってどんなのだ?」
 一瞬、あのキスが蘇り、けれどすぐにそれを振り払い違う光景を口にする。
「変なんですよ。啓介さんがシャボン玉を吹いているんです」
 そうなのだ。
 あの啓介が子供のようにシャボン玉を吹いていた。
 夜の峠。
 薄暗い外灯と車のヘッドライトが照らす中、虹色の大小さまざまなシャボン玉は幻想的な光景と言えたが、その吹いている人間が現実的過ぎた。
 大きなシャボン玉を作ろうとして、すぐにパチンと割れ、怒っていた。
「へぇ、啓介が。それは妙な夢だな」
「はい。それで、大きいのが出来ないからって、シャボン玉に怒ってました。
『何だ、このシャボン玉!不良品じゃねぇか!!』って」

「何だ、このシャボン玉!不良品じゃねぇか!!」

「……え?」
「…は?」
 史裕と、二人同時に振り向いた。
 そして視線の先には無数のシャボン玉。
 プカリと浮いて、すぐにパチンと消える。
 その吹いている主は…啓介だ。
「啓介さん、勢い良く吹きすぎなんですよ。もっと優しく吹かないと」
 笑いながら松本がそんな啓介にアドバイスをしている。
 拓海は固まり、史裕もまた目をまん丸に見開きそれを凝視している。
 そして立ち直ったのは、史裕が早かった。
「…藤原」
「…はい」
「…それで、この後は?」
 この後…。
 それも変わっていた。
「FDのメカニックの…あの、宮内さんが出てきて…」

「酷いですよ、啓介さん!それ、俺のシャボン玉なのに~!!」

 …そう。これだ。
「…あれか?」
 拓海は無言のまま頷いた。
 視線の先では、あり得ないと思っていた光景が広がっている。
「いいじゃん。だって俺のFDに入ってたんだぜ?だったら俺のモンだろ?」
「それは俺がFDを整備してたときにうっかり~」
「忘れてったモンが悪ぃんだよ」
 と、またプカリと大きなシャボン玉。
「……ああ。そういやアイツ、レトロな玩具のマニアだったな…」
 史裕の呟きい、シャボン玉の出所の所以を知り、頭の片隅で納得しながらも、ドクドクと激しく欠陥が収縮している。
 まさか。
 あり得ない。
 そんな光景が広がっている。
 だと、したら。
 最後の最後に見たあの光景も本当になるのだろうか?
 白い恋人に。
 シャボン玉。
 そして――キス。
 あの夢…。
 あの夢は確か…。
「藤原」
 ビクンと、体が跳ねた。
 待ち望んでいたようで、恐れていた人物の声が拓海の名を呼んだ。
 緊張しながらも振り向けば、彼の手の中に「白い恋人」。
 手招きされ、両手と両足を同時に出しながら向かう。
 そんな拓海に、涼介が普段は見せない顔で微笑む。
「何だ、どうした?」
「い、いえ…何でもないです」
「変な奴だな」
「…はい。そうかも、です」
 ハハハ、と涼介が声を上げて笑う。
「そこで肯定するなよ。面白い奴だな」
 カァ、とただでさえ彼の前だと赤面するのに、さらに真っ赤になってしまう。
「…それより…やるよ、コレ」
「え?」
 そう言って渡されたのは「白い恋人」。
「史裕から貰ったんだが、俺は甘いものが苦手なんだ。だから藤原にやるよ」
 緊張に強張っていながらも、ふと疑問に思う。
「甘いもの…苦手なのにくれたんですか?」
 さっき史裕は「涼介が甘いものが得意じゃない」と言っていた。
 好みを知っているはずなのに、なぜあげたのだろう?
 キョトンと首をかしげれば、涼介の笑みが深くなる。
「嫌がらせ、みたいなものかな。それにどうせアイツは俺がそれを誰かにやるだろう事を予測してるから。面倒くさいものを押し付けて楽しんでるんだよ」
 面倒くさい。
 これが…。
 じっと手の中のお菓子を見つめる。
「じゃあ…俺が貰ったら涼介さんは助かるんですね?」
「そうだな。とても助かるよ」
 涼介のためになるなら嬉しい。
 拓海はコクリと頷き、手の中の白い恋人の袋を開きパクリと食べた。
 サクッという感触の後に広がるホワイトチョコの甘み。
 美味しくて自然と顔に笑みが浮かぶ。
「食べました」
「そうだな」
「これで困らないですよね?」
 涼介のためになったなら大満足だ。それに美味しかった。
 嬉くてニッコリ微笑めば、涼介もまたニッコリ微笑んだ。
「美味しかったか?」
「はい」
「俺は甘いものが得意じゃないんだが、甘いものを堪能したい気持ちはあるんだよ」
「はぁ」
「甘そうなのに美味そうな藤原が悪い」
「…へ?」




 舌!
 舌、入れたよ、この人!!
 こんなキスは知らない。夢と違う。
 真っ赤になって、唇を押さえて後ずされば、満足そうに舌なめずりなんてするイヤらしい人が見えた。
「うん。…美味いな」
「な、ななな…!」
「藤原は甘いものは好きか?」
 何言ってんだよ、この人。何、言って……。


 またキスした~!!
「な、何するんですか!」
「早く答えないとペナルティでキスされるんだ」
「そんなルール、誰が決めたんスか!」
「俺」
 わ~…わ~…ってやってる間にまたキス。
「ふぅん。どうやら藤原はキスされたいらしいな。だったら…」
 ガッと腰を捕まれ、危険な体制になりそうなところで慌てて拓海は叫んだ。
「好きです!好きです~」
 夢と違う。
 涼介はこんなに……甘ったるくなかった。
「そうか。好き?」
「好きです~」
「そんなに好き?」
「好きですって~」
 もう勘弁して欲しい。
 ただのキスでさえ頭が沸騰しそうなくらいに興奮したのだ。
 こんなキスなんてされたら、もう興奮どころではなく死にそうだ。
 いっぱいいっぱいで、もう自分が何を叫んでるのか分からない。
「…ああ、本当に可愛いな」
 何で答えてるのにギュっと抱きしめられるのか?
 鼓動を肌越しに感じて、かなりヤバい。
「甘いものは苦手だが、藤原の甘さは好きだな。とても美味そうだ」
 と、またキス。
 けれど今度は触れるだけのキスだった。
 そしてその感触に拓海は覚えがある。
「夢の…」
 夢の中のキスだ。
 涼介が甘ったるい顔で拓海に微笑みかける。
「拓海」
 名を呼んだ。
 そして、もう一度ついばむだけのキスを降らせ、彼は言った。

「好きだよ」

 白い恋人で。
 シャボン玉で。
 そしてキス。
 拓海は頬を抓った。
 痛い。
 夢じゃない。
 そして夢は現実になった。
 甘いお菓子のような白い恋人が。
 シャボン玉のように降ってきて。
 そして拓海にキスをした。
 口の中に残る甘いホワイトチョコの味が、そのまま涼介の味に変わるのにそんなに時間はかからなかった。

 遠くで、史裕がそんな白い恋人たちを眺めながら、白い恋人を口に含み、
「正夢、か……」
 と呟いた。
「狂人に刃物…涼介に菓子…」
 もう二度と史裕は彼にお菓子を押し付けまいと、心密かに誓った。




2007.8
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