腕の中のそのぬくもり


 涼介は元来眠りが深い方ではない。
 疲労回復のため意思の力を以って意識を閉ざしてはいるが、「健やかに眠る」と言う感覚が元々欠如している。
 車中など、眠りに適さない環境で意識を閉ざす涼介を、史裕辺りは「よく熟睡できる」と感心してはいるが、それは全て意思による行為であって、厳密には「眠り」ではない。
 涼介にとっての眠り…。
 それは物心付き始めた頃より味わっていない感覚だった。


 温もりに気付いて目が覚める。
 身動ぎしようとして腕が動かないことに気付き、傍らに視線をやれば、視界に薄茶の色が広がった。
『…ああ、そうか』
 じわり、と昨晩の記憶が蘇る。
 遠征先の宿泊地。大部屋で雑魚寝が出来る啓介たちと違い、眠りの浅い涼介は傍らに他人の存在がいると眠れなくなる傾向にある。
 ベッド。枕。シーツの感触。
 その些細な違いにさえ、涼介の眠りを阻む。
 我侭を通していると言う自覚はあるが、一人だけ個室を取ることを常としていた。
 けれどそれでも涼介は眠れず、ある晩ホテルのロビーで滅多に吸わない煙草を吹かしていた時があった。
 午前3時。
 時刻も覚えている。あの時の記憶は鮮明だ。
『…眠れないんですか?』
 誰もが寝静まっていると思っていた早朝。そう声をかけてくる人物がいた。
 藤原拓海。そう今腕の中にいる人物だ。
『…藤原こそ…早いな』
 目を擦りながら、頭は寝乱れ寝癖の付いたままのその姿はあどけない子供のようで、涼介は寝不足でささくれ立っていた神経が和らいだのを感じた。
『俺は…いつも配達でこの時間に起こされるから…クセで…』
 いつもボウっとしているが、あの時の拓海はポヤンとしていると言った表現が正しかった。
 ただでさえ幼さを残すその面影が頑是無いものになっている。
『涼介さん…もしかしてずっと起きてるんですか?』
『…ああ。眠れなくてね』
 朝方の空気と、穏やかな拓海の雰囲気が涼介を素直にさせた。表情にも、辛そうな気配が浮いていたと自覚している。
『睡眠障害と言うほどでもないが…熟睡できないんだ。ずっと浅い眠りを漂っている感じだ。けれど疲労が極限まで来ると意識を失うように眠れる。だから…いつもそれを待っている感じだな」
 同情されたかったわけでもなく、ただ目の前のこの和やかな少年に甘えたかっただけなのかも知れないと、今なら思う。
 悩みを吐露し、そして「大変ですね」と労わられればそれだけで良かった。
 なのに目の前の彼は、いつも涼介の予測を覆す。
『…じゃあ…俺、一緒に寝ましょうか?』
『……え?』
 一瞬耳を疑った。
『俺…よく人から眠りの菌を撒き散らしてるとか言われて…。う〜んと、よくわかんねーんスけど、子供とか、猫とかが眠ってると眠くなるらしいんですよ。それと同じで俺と一緒だとみんな熟睡できるみたいなんです』
 拓海は真面目だった。真剣な顔でそう言い募る。
『だから、俺と一緒に寝たら涼介さんも熟睡できるんじゃないかな、って思って…』
 ダメ?と上目遣いの寝ぼけた眼差しでそう言う拓海は、子猫のようで愛らしかった。
 人の気配があると眠れないとか。
 部屋のベッドはシングルで二人で眠るのには適さないとか。
 色んな断る理由があったのに、その眼差しに涼介はヤられたのだと思う。
『…ククッ…ハハ、…じゃあ、お願いしょうか、藤原に』
 心の底から楽しくて笑い、そして差し出された手を涼介は受け取った。
『はい。俺、寝るのだけは得意ですから』
 自信たっぷりに頷き、使命感に燃える姿にまた噴出した。
 あの夜。
 狭いベッドの上で、温かなその身体を抱きしめ、涼介は初めて「眠り」を手に入れた。

 あれから数ヶ月。
 眠りは今も涼介の腕の中にある。
 以前と違うのは、前は着衣越しだったその温もりが、最近では素肌に直に感じられるようになったと言う事だ。
 頬に、くぅくぅと健やかな寝息。
 うっすら開いた唇の狭間から覗く白い歯と朱色の舌に涼介は苦笑する。
 彼の、安眠を妨害してしまいそうな自身を感じて。
 猫のような柔らかな髪を指で漉き、涼介は衝動を押し込める。
 熱を孕んだ触れ合いも魅力的だが、今はこの穏やかな温もりを大事にしたい。
 じっとその顔を見つめ続けていると、トロンと瞼が重くなってきた。
 拓海が言っていた「眠りの菌」。それは確かに涼介にも有効のようだ。
 じんわりと重みを増す眠りに身を任せ、涼介は静かに目を閉じた。
 大丈夫。
 涼介の「眠り」は腕の中にある。
 ぎゅっと力を込め抱きしめると、腕の中の「眠り」は「うぅん…」と唸り、涼介の胸にさらに身を寄せてきた。
 離さないようにしっかりと抱きしめて、
「…おやすみ、拓海」
 涼介は穏やかな眠りに包まれた。




2007.10.21
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