身勝手


「さよなら」と言われたのだと。
 兄は家に帰るなり激昂した。


 藤原と兄との関係に気付いたのは、割合早かったのだと思う。
 兄の乱れた性生活については知っていた。
 来る者拒まず。去る者追わず。
 サイテイなことに一度寝た相手とは二度は寝ない。
 理由は、二度目になると相手が付け上がるからだそうだ。
 そんな兄は、自分を淡白だと主張している。
 キスもセックスも大嫌い。
 特に化粧くさい女が嫌いで、性欲処理のために「使って」るだけで、自分が相手に奉仕しようと言う意識が全くなく、しかしだからと言っておざなりに突っ込むだけでは煩い女の口の端にかかり、次の相手を「使う」場合に支障が出ると、最低限だけの愛撫で済ませれるようにあのお得意の頭脳と理論を駆使し、的確かつ負担の少ない方法で済ませているらしい。
 そんな兄のセックスは言葉通り淡白なのだろう。
 性欲処理と言う言葉通りに吐き出す欲望は一度のみ。
 おまけにキスもなく、し終わった後はさっさと帰る。
 そんなサイテイなことをしながらも、相手が引っ切り無しに寄ってくるのは、あの容姿だけではなく家柄、さらに、サイテイな兄の省エネ愛撫が、そこらのがっつくだけの男とは違い、「クールで丁寧」と言う謝った認識が広まっているかららしい。
 弟である啓介からすれば、兄のセックスなんて身勝手以外の何者でもない。
 クールで丁寧?
 そりゃ、愛情もナシに処理してるだけなんだから、実験してるみたいに冷静だし余裕もあるよ。
 そんな兄の相手たちに、「あーあー。かわいそうに」なんて他人事のように思うだけで、一切の同情も心配も感じる事は無かったのだが、今の兄の相手。
 藤原拓海だけは別だった。
 その理由は拓海が同性…男であると言うことが一つ。
 だが、一番の理由は…あまりにも拓海が純粋すぎたからだ。
 今まで兄に寄ってきた、打算塗れの女たちとは違う、純粋に兄を慕う拓海。
 兄の今までを知っているだけに、啓介はその感情が報われうことがないと、そう思っていたのだ。


「さよなら、だぞ。この俺に!」
 ドスンと、荒々しくベッドに座る兄に、啓介は眉をしかめた。
「……アニキ。俺、今電話中なんだけど」
 すぐに自分の部屋にでも行けばいいものを、わざわざ汚部屋と称する啓介の部屋に上がりこみ、脈絡もナシに語り出す兄に、啓介は見せ付けるように通話中の携帯をアピールするように指差した。
 だが兄はそんな啓介に、「フン」と鼻で笑い、
「切れ」
 と身勝手極まりないセリフを吐きつける。
 これは相当イカってんな、と、啓介は溜息を零しながら携帯を耳から引き剥がした。
「……そんで?何があったんだよ」
 そう答えながらも、啓介は何があったのかを察していた。
 プロジェクトDも兄の描いた通りの形で終末を迎え、兄はこれから医師国家試験に向けて本腰を入れなければならない。
 つまりは。
 『遊び』の時間は終わったのだと言う事だ。
 啓介の問いに兄は「チッ」と舌打ちをし、そして顔を酷く顰めた。
「……藤原…アイツ…俺にサヨナラって言いやがった」
 だから何だよ、と啓介はまた溜息を吐く。
「別にいいじゃねぇか。どうせ、近々アニキの方から言うつもりだったんだろ?」
「そうだ。だが、俺から言うのと、あいつから言われるのでは意味が違う」
 傲慢に兄はそう言い切った。
 あー。ホントサイテイ。心の中で歯噛みしながら、啓介は表向き冷静に兄に言葉を返す。
「何?アニキはそんなに振られたのがショックなんだ」
「振られたんじゃない!」
 いつもの冷静な兄らしくなく、怒鳴り返してくる姿に、啓介はまた溜息を吐く。
 サヨナラって言われたんだったら、振られたんだよ…。
 そう思いながらも声には出さない。
「あ〜…まぁ、別にいいけどさ。結果はアニキが望んでたのと一緒なんだろ?だったらいいじゃねぇか」
「…それはそうだが…」
 イライラと、髪を掻き揚げ足を揺らす。
 その落ち着きのない姿に、啓介は心底呆れる。
 本当に気付いてねぇんだな…。
「だったら何?何がそんなに気に食わねぇワケ?」
 そう言うと、兄は今までの鬱憤が噴出したように、ドンと荒々しくベッドを叩き、眉を吊り上げた。
「藤原の態度だ!あいつ…俺とのこと、何でもなかったように『じゃ、さよならします』なんて言いやがって…振り返りもしねぇ…」
 ホント、バカじゃねぇ?
「いいじゃん。アニキ、別れるのにシツコクされんのキライだろ?あっさり切れて良かったじゃん」
「そ、それはそうだが…」
 言い淀み、悩んだように俯く兄に、啓介はまた問いかける。
「じゃ、何がそんなにムカつくんだよ」
「……そうだ。藤原の態度だ。あいつ…俺と付き合ってる頃から素っ気なくて、終わったらすぐ帰ろうとするし、どこか遊びに行くかと誘っても、すぐに『いいです』って断りやがる…。本当はあいつ、俺のカラダだけが目当てで、俺のことなんて好きじゃなかったんじゃねぇのか…?」
 オイオイオイ。
 これだから頭のイイやつはタチが悪い。
 ベタベタされるのはキライだの、終わった後はさっさと帰れだの、ヤルだけなのにどこか出かけようなんて無駄なだけだろう、なんて、散々今までの相手に言ってたのは何だったんだよ?
「藤原がアニキのこと好きじゃねぇって…だってコクられたんだろ?」
「ああ。そうは言ってたが……」
「コクられて、藤原がDのドライバーだったから、仕方なくお情けでセックス込みで付き合ってやっただけだって、言ってたじゃねぇか」
「そうだ。仕方なくだ。それであいつの集中力が乱れられても困るからな」
「あらかじめ藤原にも、そう言ってあったんだろ?それでも良いっつーんだから、藤原はよっぽどアニキに惚れてんだろ」
 ハッとしたように兄が顔を上げる。
 その縋るような眼差しに、オイオイオイと、啓介は心の中で苦笑いする。
「……そう思うか?」
 ほんの少し、意地悪な気分で啓介は「さぁな。俺、藤原じゃねぇし」と言うと、目に見えて兄はがっくりと肩を落とした。
「……そうだよな。あいつ、あの一回きりで、俺のことを好きだなんて、もう言いやしねぇし、何度抱いても、俺の体に腕を回してこねぇんだぜ?いつもシーツにすがり付いて、苦行を耐えてるみたいな顔してさ…。よっぽど、俺が下手なのかと自分で自分の尻を弄ってみたんだ」
 ブハァ、と思わず驚愕のあまり噴出してしまう。
 まじデスカ…。
「じ、自分でって…何したんだよ、アニキ」
「自分で身をもって体験してみないと、藤原の苦痛が分からないだろう?だから、まず指で俺の尻を弄り、その後はアナルバイブを使用した」
「か、感想は…」
「最悪だ。痛いわ気持ち悪いわ、前立腺を刺激すればペニスは反応するが、だが異物感は如何ともしがたい。
 こんな苦痛を今まで藤原に与えてきたのかと思うと、俺は涙が出たよ」
 泣いてるし!
 ほろりと、項垂れた兄の目じりにうっすら光るものが見える。
「ん、んで!反省してどうしたんだよ?藤原とはもうヤってなかったのか?」
「いや…それは無い」
 何だそれ!
 今度はどこか夢見るような目で、遠くを見出した兄に、啓介の眼差しも冷ややかになる。
「あいつの匂いを嗅いで、肌に触れると…理性が飛ぶんだ。思わず、あいつの硬く閉ざされたピンク色の肛門を、真っ赤に染まるまで舐め解し、指で慣らして解して、限界まで反り返った俺のペニスを突っ込んでいるんだ。
 …啓介。あいつは何か特殊なフェロモンのようなものを分泌しているのだろうか?」
 ……ああ。してるでしょうね。
「…さ、さぁな。
 ところでアニキさ。藤原とはいつも何回くらいヤってるわけ?」
「三回以上は藤原の負担が激しいだろう?それ以下でだいたいセーブするようにしている」
 一回吐き出しゃそれで終わりの兄が…三回でセーブ…。
「…毎回セックスしてたのか?」
「いや…藤原の体調が悪いときや、やはりバトル前などは断られることがあった」
「それで、アニキは納得したわけ?」
「納得も何も。藤原の体が一番大事だろう。それに…しなくても心地よかった」
「…どう言う意味だよ」
「一度…藤原が風邪を引いて朦朧としてた時があったんだ。無理に帰宅するというあいつを引きとめ、一晩看病した」
「…はぁ」
「熱に魘され、俺に縋るあいつは可愛かった。抱き締めるとさ、意識があるときは絶対にしてくれないのに、無意識なんだろうな。俺の体に抱きついてくるんだ。
 ハァハァ、真っ赤な顔で俺の胸に顔をスリつけてきてさ。すげぇ可愛くて愛しくて、セックスしなくてもこんなに心地良い気持ちになるのかと…驚いたよ」
 ヤベェ。
 アニキがバカに見えてきた。
 何でこんなにアカラサマなのに、気付かねぇんだよ…。
「あ〜。ハイハイ。アニキ、質問〜」
「何だ、啓介」
「アニキはさ。藤原に振られたのがショックなんだよな」
「俺は振られてない!」
 だから振られてんだよ。
「あ〜、まぁ、それは置いといてさ。アニキは藤原からサヨナラって言われてショックを受けてるんだろ?」
「……そう…なるかな」
「あ〜…ここからは感想になるんだけどさ。アニキは何も反論せずに聞き流せよ」
 俺って何て優しい弟だ。
 そしてライバル思い。
「俺が知ってるアニキはー、一度寝たやつとは二度はゴメンだっつーのに、藤原とは何で何回もヤってたんだろうな〜」
「……」
「ベタベタされんのはキライだの、キスするのはイヤだの、言ってたのに、何で藤原のときはベタベタして欲しがってんだろうな〜」
「……」
「おまけに、アニキって淡白だと思ってたけど、毎度平均三回って、かなり絶倫な方だと思うけど、藤原相手にはそれだけサカっちまうのは何でだろうな〜」
「……」
「セックスだけが目的なのかと思えば、しなくても幸せ…てさ、すげーことだと思うんだけどさ〜」
「……」
「あと、これが一番大事。
 俺はアニキが誰かを可愛いだの、愛しいだの言ってるのは初めて聞いた。なのにアニキは藤原のことがどうでも良いと思い込んでる。それって何でだろうな〜」
 ここまで言っても、気付かないバカなら手の施しようが無い。
 けれど、さすが頭脳明晰な兄。
「………俺は…藤原が好きなのか…?」
 遅すぎるとは言え、漸く気が付いた。
「俺には、そうとしか聞こえなかったけど」
 だが恋心を自覚した兄は、すぐに地の底まで落ち込んだ。
「……俺は馬鹿だな」
「まーな」
「……藤原にはずっと酷いことをしてきた。嫌われても当然だな」
「いや、嫌われたかどうかまではわかんねーだろ?」
「…嫌われてるよ。さよならって言われたんだぞ?あいつ、ずっと素っ気なかったし、馬鹿な俺に嫌気が差したんだ」
 あの兄がこんな捨てられた子犬のようになるとは…。
 恋は偉大だ。
 いや、凄いのは拓海なのか?
「あ、それに関しては謝っとくよ。アニキ、俺が悪かった」
「…何だ?」
「藤原にさ、アニキの好み教えたの、俺」
「…え?」
「だから藤原はさ、頑張って、アニキにベタベタしないよう、甘えないようにしてたし、サヨナラって言ったのも、俺が藤原に『最後の引導くらい、アニキからじゃなく自分から言っちまったほうがまだ気が楽じゃねぇの?』って言ったからだと思うよ。
 だからアニキ、ごめん」
 啓介がそう言った途端、涼介が立ち上がり啓介の襟首を掴んだ。
「お前!!」
 ギラギラと、怒りに燃える目。かつて兄のこんな目など、表情など見たことがなかった啓介だ。
 怯えながらも、ある種感動すらしていた。
「だから〜。悪いと思って、ちゃんとフォローしてんだろ?アニキ、手ェ出して」
「何言って…」
 啓介は兄の前に手に持っていた携帯を差し出した。
「電話の向こう。藤原」
「……え?」
「ちょうどアニキが部屋に入ってきたときにさ、あいつからも電話があったんだよ。涼介さんにサヨナラしました〜って、泣きながらな。慰めてたら、アニキが入ってきたからさ、電話切らねぇで繋げたまんまなんだよ。
 な?藤原。今までの遣り取り、聞こえてただろ?」
 翳した携帯の向こうから、『ひっく…ぐす…う…』と、すすり泣く声が聞こえる。
 その声を聞いた瞬間、憑き物が落ちたように涼介は啓介の襟首から手を離した。
「ふじ…わら…?」
 呆然と呟いた声に、電話の向こうから返事が聞こえる。
『う…りょう、すけさん…俺…』
 バッ、と、啓介の手から携帯が奪われた。
「藤原、俺は…!」
『涼介、さんのこと…ぐす…す、好きって言っていいですか?』
「俺は……」
『涼介さんが…俺のこと遊びでも…俺はすげ…好きだったです…』
「俺……」
『だから、すげ…付き合ってもらえたの、嬉しかったけど……死にそうなくらいに辛かった…』
「俺……」
『もう何度も…何度も…最後にしなきゃって思って…やっとサヨナラしたのに…俺……』
「俺、は……」
『こ、こんなの…聞いちゃったら諦められない…涼介さん、の…ばか』
「…ばかはもう嫌いか?」
『…う………すき…』
 見るからに、兄の肩から力が抜けた。
「俺も、好きだ」
 その瞬間、兄が浮かべた幸せそうな表情を、一生啓介は忘れないだろうと思った。
 ブツリと通話を切った兄が、啓介に向かい携帯を放り投げる。
「啓介」
「何?」
「ありがとう」
 ひらひらと手を振って、啓介は無言で走り去っていく兄を見送った。
 ほどなく聞こえてくるFC音。
 兄は拓海の元へ行くのだろう。
 今どこにいる?と聞くやりとりなど無くても、それは当然のことのように思えた。
 啓介は手の中の、やたら熱っぽい携帯をポォンと放り投げキャッチしながら、「まったく…」と呟いた。
 身勝手な兄が恋をして愚かになった。
 けれど、啓介は身勝手だった頃の兄より、今の愚かな兄の方が好きだ。
 この日から。
 啓介の中でサイテイだった兄が、『最高』の兄に変わった。





2008.11.22
1