チョコレート闘争


 余裕が無い。
 そんな自分に激しく嫌悪するが、イライラする心が止められない。
 ああ、まただ。
 あの野郎…また気安く触りやがって…。
 涼介の視界に、馴れ馴れしく拓海に触れる史裕の姿が見える。
 楽しそうに会話する彼らに、激しく苛立つ。
 そしてそこにさらに啓介が加わり、大口を開けて笑い、からかうように拓海の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。
 拗ねた顔で唇を尖らせ、あの様子では
『何するんですか、啓介さん!』
 とでも怒っているところだろうか。
 チクショウ。
 俺だって拓海に怒られたい!
 思わず指先に力が篭り、パソコンからエラー音が響く。
 涼介は舌打ちを零した。
 視線を楽しげに語る彼らから逸らし、必死にまた液晶の画面に戻す。
 けれど声は微かに届く。
 またエラー音。
 イライラする。
 だいたい、このエラー音が不快なのだ。
 ミスをしたという事実だけで不愉快なのに、さらに追い討ちをかけるような耳障りな機械音。
 もしもこれが拓海の声だったらやる気が出るはずだ。
『ダメじゃないですか、涼介さん』
 ミスをする度に、そんなエラーボイスが流れたら、やる気が出るところかわざとのようにミスをするな。
 しかしそれでは捗らない。ならば定期的に、
『頑張って、涼介さん!』
 と言う応援ボイスと、
『ねぇ、涼介さん。早く終わらせて俺を構ってよ』
 そんなボイスが流れたら、彗星よりも速い速度で作業を終了できることは間違いない。
 それを実現化すべく、涼介は優秀すぎる頭脳でシュミレーションを開始する。
 けれど、そのシュミレーションは中断された。
「うぉ!マジかよ、藤原ァ!!」
 そんな弟の耳障りな大声が届いたからだ。
 聞き逃されない藤原拓海の話題。
 涼介の耳は、僅かな音も聞き零さない高性能のマイクへと変貌した。
 そして視界に、ありえないくらいに愛らしい表情で啓介の前に何かを差し出す拓海がいる。
 高性能マイクと化した涼介の耳に、拓海の小さな話し声が聞こえる。
「あの…俺、男だし変かもですけど、ちょっと作ってきたんで良ければどうぞ」
 作ってきた?
 何を??
 拓海の手作りだと?!!
 いったいそれは何だ!
「へぇ、そうか。もうすぐバレンタインだものな」
「う…やっぱ変ですか?俺んち、親父と二人だけだったから、甘いものとか食べたくてもなかなか買ってくれないし、だから自然と近所のおばさんとかに習って作るようになったんですけど…」
「ふぅん。これ…マドレーヌか?」
「はい。チョコマドレーヌ。簡単だし美味しいんですよ」
「へぇ、じゃあ、早速」
 食べるな!
 そんな願いも空しく、啓介がバクリと無造作にマドレーヌを口にするのが見えた。
「うめぇ!お前、マジうめぇよ、これ」
「そんなにか?おい、啓介、俺にも一つ…」
「あ、史裕さんにもありますよ。どうぞ」
「いいのか?悪いな。じゃあ、いただきます」
「皆さんの分もありますよ。良かったらどうぞ」
 拓海の言葉に、飢えた獣のようにワラワラとDのメンバーが集っていく。
 涼介はパソコンの前でフルフルと震えていた。
 拓海手作りのチョコマドレーヌ。
 それが欲しくないはずは無い。
 切望するほどに欲しい。
 心の奥底から叫びたいほどだ。
 しかし、涼介の中の切ない恋心が、メンバーたちに混じりマドレーヌを貰いに行く事を由としなかった。
 欲しいのは大勢の中の一つではない。
 たった一つの拓海の特別だ。
 涼介が拓海に恋心を抱いたのは、彼と出会ってすぐの事だ。
 最初はその見かけで一目惚れ。
 恋愛に関し淡白だと思っていた自分が、まさか同性相手にこんな感情を抱くようになるとは夢にも思って見なかった。
 理屈ではなく姿を見た瞬間に胸を射抜かれ、さらにバトルで彼に負けたことで虜となった。
 今では、ストーカーにも成り得るくらいに彼に惚れている。
 惚れ抜いていると言っても過言ではない。
 しかし、そんな涼介にとって初めての感情は、クールを常としていた涼介を挙動不審にさせるほどに彼を振り回す。
 余裕が無く、常に苛立ち、そして些細なことで一喜一憂する。
 愚かしいことだと自覚しながらも止められない。
 今もそうだ。
 さりげなく「美味そうだな。俺にも一つくれよ」と声をかけ、貰いに行けば良いだけの事だとは分かっている。
 きっと拓海はくれるだろう。
 恐縮したように頬を染め、「美味しくなかったらすみません」なんて謝りながら、かわいい顔で渡してくれるはずだ。
 けれど涼介はそんな程度では満足できないのだ。
 欲しいのは、
『涼介さんのために作ってきたんです。俺の気持ち…受け取って』
 と、まるで初夜を迎える花嫁のように、初々しく自分を差し出すように、お菓子を渡す拓海なのだ。
 バクバクと、何の感慨も無く拓海の手作りマドレーヌを口にする愚鈍な輩が恨めしい。
 そのマドレーヌに、どれだけの感情を涼介が込めて見ているのか、それを知れば口にすることなど恐れ多い事だと思うだろうに。
 腹ただしさを消すように、涼介は意地になったようにパソコンの液晶を凝視する。
 高速のように指を動かしキーボードを連打。
 カチャカチャと言う音のみに集中し、わぁわぁと言うざわめきすらも意識の中から消す。
「……介さん…」
 美味いだと?
 ああ、そうさ。
 俺だって食いたいさ。マドレーヌ。
「…涼…介さん…」
 拓海ごとな!
「涼介さん!」
 ポン、と肩を叩かれ、集中していた涼介は驚き、ビクリと身を震わせた。
 そして目を向けると、そこには驚いたような顔の拓海がいた。
「……あ」
 思わず、妄想が形になったのかと、暫し呆然としていると、驚き固まっていた拓海が、今度は恐縮したように目じりを下げ、ショボンとする。
「すみません、涼介さん忙しいのに…」
 夢ではない。現実らしいと涼介は認知し、動揺を押し殺し表情を和らげる。
「いや、構わない。それよりすまなかったな。ちょっと集中していたせいで気付かなかったよ」
 拓海に見せるのは、穏やかで余裕のある大人の顔で無ければいけない。
 みっともない自分や、余裕の無い顔など見せられるはずも無い。
「いえ、俺の方こそ邪魔してすみません。あの…今大丈夫ですか?」
 お前といる以上の何を最優先すればいいのか?
 拓海に気遣わせるパソコンの存在など、今すぐ放り投げたいくらいだと言うのに。
「大丈夫だ。それより…何か用事か?」
 ああ、まただ。
 こんな固い口調でしか拓海と話せない。
 何か用事か?などと聞けば、拓海の返事なんて決まっている。
「いえ、大したことじゃないんですけど…」
 そして控え目な彼は、「だからいいです。お邪魔してすみませんでした」と去って行く。そんなパターンだ。
 それで何度も失敗しているのに、性懲りも無くやらかす自分の愚かさに涼介は内心、己に五寸釘を打ち込む。
 けれど、
「邪魔かも知れないけど…いいですか?」
 新たなパターンだ!
 涼介の胸がドキリと戦慄いた。
 そしてドクドクと激しく鼓動が響き始める。
「ど…どうした?」
 動揺を押し殺し、ニコリと微笑むと、ポォっと拓海の頬が赤く染まる。
 チクショウ。
 やっぱ可愛いぜ!
「あの…これ…」
 恥らう拓海が、後ろ手に隠していたものを涼介の前に差し出す。
 それは包み紙に覆われた箱だった。
 涼介は一瞬期待した。
 ゴクリと唾を飲み込み、必死に冷静でいようと努力する。
 しかし。
「あの…他の皆さんにも作ってきたんですけど、涼介さんにも、嫌いじゃなかったらどうぞ」
 マドレーヌかぁ……。
 一気に落胆する。
 いや、嬉しいのだ。
 拓海の手作りのマドレーヌは非常に嬉しい。
 自分を気遣い、わざわざ手渡ししてくれた拓海の心遣いも有り難いなどと言うものではない。
 感激と言っても良いほどだ。
 けれど欲張りな恋心は『特別』を欲しがっていた。
 だから、そうではない事実に失望を隠せない。
「あ、ああ。有難う。頂くよ」
 引きつった笑顔で受け取ると、拓海はペコリと頭を下げ、逃げるように立ち去った。
 何もそんなに急いで去ることはないじゃないか…。
 どうせなら涼介の食べた感想を聞いて、
『どうですか、涼介さん。お口に合いますか?』
『ああ、美味いよ。有難う、藤原』
『…良かった』
 と、照れ笑いの表情くらい見せてくれてもいいじゃないか!
 ガックリと肩を落としながらも、けれどせっかくの拓海の手作り。
 飢えた弟辺りに奪われる前に、さっさと自分の胃袋の中に収めようと包み紙を開き、そして涼介はオヤ?と首を傾げた。
 マドレーヌの香りではない。
 訝しみながら箱を開け、涼介はピシリと固まった。
 中に入っていたのはマドレーヌではなかった。
 チョコだ。
 大きな、ハート型のチョコレート。
 明らかに手作りと分かる歪な形。
 その上にホワイトチョコでメッセージが書かれていた。

『ごめんなさい すきです』

 泣き出しそうだった。
 胸がいっぱいで。
 嬉しくても人は泣けるのだと、涼介は初めて知った。
 ふと視線を感じ目を向けると、不安そうにチラチラとこちらを窺う拓海と目が合った。
 涼介はそんな拓海にニンマリと微笑み、チョコを取り出しバリと齧り付く。
 そしてチョイチョイと手招きすると、真っ赤な顔の拓海が恐る恐る涼介の前にやってくる。
 緊張に強張った拓海。
 そんな彼に涼介は微笑んだ。
「ありがとう」
「いえ……あの…」
「この、ごめんなさいって言う意味が分からないな」
「だって……」
「なら、俺も言おうか。ごめんなさい、ってな」
 意図して言うと、案の定勘違いした拓海が目を潤ませる。
 知らなかった。
 好きだから優しくしたい気持ちもあるが、苛めたい気持ちもある事に。
 泣きそうな顔の拓海が愛おしい。

「ごめんなさい。俺も藤原が好きなんだ」

 パッと拓海の顔が上がる。
 パチパチと何度も、信じられないとばかりに瞬きを繰り返す。
「え……」
「バレンタインのチョコだろ、これ?」
 呆然と涼介の前に立ち尽くす拓海の腰を引き寄せ、胸の中に仕舞いこむ。
 そして耳元に唇を寄せ、囁いた。
「ありがとう」
 首筋から拓海の香りが漂った。
 そのことに、胸が痛くなるほどに感動する。
「ホワイトデーには十倍返しだな。期待しててくれ」
 腕の中の拓海は、まるで涼介のために誂えたように抱き心地が良かった。
 ニッコリ微笑みながら、腕の中の感触を楽しんでいると、二人の様子を遠目に窺っていた啓介、史裕を始めとするメンバーたち皆が驚き固まっていた。
 その手のひらからマドレーヌがポロリと零れ、地面の上に落下した。
 せっかくの拓海手作りのマドレーヌを粗末にするとは…不届きな奴等だ。
 そう怒りを覚えた涼介に、もう彼らへの嫉妬めいた苛立ちは消えていた。
 大勢のためのものではなく、涼介たった一人だけの特別のもの。
 それをもう、彼は手にしていたのだから。


2008.2.9
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