誓い


 死が二人を別つまで。

 そう、永久に愛を誓ったのは二十歳の頃だ。
 プロジェクトDと言う、関東広域に展開したプロジェクトが終了し、彼の望んだ通りの終焉を向かえ終えた、その後に。
 新たな夢であるプロと言う道を歩み始めた拓海に、彼は指輪と共に愛の誓いを囁いた。
『一生、お前の傍でお前の夢を見ていたい』
 好かれているのかな、と実は自惚れていたこともある。
 けれど、何もかもが完璧で、容姿も優れ、医師と言う道も決まった彼が、自分のような普通の人間を想うはずはないと、自惚れる端から心の中で希望を潰した。
 そして、ゆっくりと時間をかけて拓海の中に芽生えた甘く切ない感情。
 それを一生抱え生きる決心をしたのはプロジェクトが終了した後に、彼が見せた満足そうな笑顔でだった。
 叶うはずもない思いだけれど、彼がいたからこそ走る楽しさを覚え、そして夢が生まれた。
 走る事はイコール彼に繋がることだ。
 だから走り続けることは、彼の願いに沿って生きること。
 恋を叶えようとは思わなかった。
 走ることで、だから拓海は満足だった。
 けれど、そんなプラトニックを貫こうとする拓海に、二十歳の誕生日の日に、彼は指輪を贈った。
 愛の言葉とともに。
 彼から囁かれた一生を共にしようという誓いの言葉に、拓海は涙を浮かべて頷いた。
 初めてした、だから彼とのキスの味は涙で塩辛い。
 しょっぱいものを食べるたびに、あの味を思い出すのは彼には秘密だ。
 味見をした出汁の塩気に過去が甦り、ふふふと楽しそうに微笑む拓海に、怪訝そうな顔で彼が眉を顰める。
「何?」
 あの誓いの日から、二十年の月日が流れている。
 青年然とした彼に、怜悧ではあるけれど貫禄が生まれ、院長と言う肩書きに見合うだけの容貌となっている。
 自然に流されていた髪は今は纏められ、以前から強かった眼力にさらに輝きが増し、目に年の重ねを感じさせる皺が浮いている。
 以前は、キレイな人だと、そう感じていた容貌は、今は甘さが削げて、キレイと言う、柔らかな表現が似合わないものになっているが、何年たとうとカッコいいことに変わりは無い。
 いつ見ても、目の前の人の前だと、あの頃の初恋の気持ちが蘇る。
「いえ……何でもないです」
 リビングで、パソコンに向かいながら雑務を処理していた彼が唇を緩め、キッチンで食事の支度をする拓海の背後に立った。
 慣れた仕草で、拓海の背後から腕を腰に絡める。
「何?言えよ」
 耳元に囁かれ、拓海はクスクスと声をあげ笑った。
「だって…言ったら涼介さん、怒ります」
「怒らねぇよ。だから言えって」
 催促するように腰に回された腕が揺さぶられる。
「本当に怒らない?」
「怒らないよ。俺が拓海に怒ったことがあるか?」
「ありますよ。何度も。涼介さんすぐに怒るんだから」
 ふと、過去を振り返りプゥと拓海は唇を尖らせる。
 なかなかこの癖は直らない。
 そしていつものように、涼介はその唇を指で突く。
「あれは拓海が悪い。俺の前で他の男や女とイチャイチャするから」
「イチャイチャって…もう。言いがかりだ」
「あれは怒ったんじゃなくて、ヤキモチだ。分かれよ」
 ちゅ、と宥めるように首筋にキスをされ、むくれていた拓海の気分が消える。
「分かってる、けどさー。…涼介さん俺のこと好きすぎだよ」
 かつて、破局の危機は何度もあった。
 些細な感情の行き違いだったり、お互いの仕事のために擦れ違う生活であったり。
 けれどその度に「好きだ」と言うシンプルで、そして強い感情で乗り越えてきた。
 今、そんな軽口が叩けるのも、そんな過去があったからだ。
 拓海の言葉に、涼介はフッと微笑んだ。
「病気かもな」
 不治の病だ。
 そう囁きながら、ぎゅぅと腕の力を強める。
 ふふ、と拓海もまた微笑んだ。
「じゃあ、俺も病気だ。20年経っても、涼介さんのことすげぇ好きで、未だに見惚れちゃうから」
 背後で息を呑む気配がした。
「……それがさっき俺を見て笑ってた理由?」
「そう、かも…です」
 カァ、と思わず頬を赤らめてしまった拓海に、涼介はにっこり微笑み、赤い頬に唇を寄せた。
「…じゃあ、俺の方が重症だな。20年経っても、可愛い拓海を見るたびに、こんな風になるんだ」
 ぐい、と寄せられた腰に感じる異物。
 ギョッと拓海は目を見開いた。
「ちょ…!涼介さん、元気ですね…」
「俺も吃驚だ。……そういや、最近ご無沙汰だったよな」
 年齢も重ね、経験を積むたびに、抱え込む重圧は増えていく。
 若い頃のように、がむしゃらにお互いを求めるほどの必死さはいつしか失せていた。
「まぁ…涼介さん。難しい症例の患者さんに付きっ切りだったし」
「お前も、チームを移籍したばかりだったしな」
 前のように、求める機会は減ったとは言え、欲しく無いわけではない。
 久しぶりに純粋に昂ぶった欲望は、炭火のように激しくは無いが、緩やかに延々と燃え続ける。
「……食事より、先にお前を食べていいか?」
 返事を待たずに、涼介の指が拓海の衣服を剥がしていく。
 拓海も、その指に抗うことなく、身を任せる。
「…仕事、いいんですか?」
「お前の方が重要」
「重要じゃなきゃ……許さねー」
 降りてきた唇に、互いのものを重ねる。
 口を開き、舌を潜り込ませ交わした唾液を飲み込む。
 キスの合間に、涼介がフフフと笑いを零す。
「なぁ。俺が勃たなくなったらどうする?」
 ぐいぐいと腰に感じる昂ぶり。
 若かった頃に比べると、確かに勢いは無くなったが、その分いつまでも長いそれは、今も昔も拓海には意地悪なもの。
 その意地悪なものが無くなったら?
 拓海は考え、「別に」と答えた。
「って言うか、その頃には俺、きっとおじいちゃんですよ。そんな俺に涼介さんもう欲情しないんじゃないですか?」
「するよ。どれだけ年を取ろうが、お前だろ?するに決まってる。
 俺こそ、これ以上老け込んで加齢臭がするようになったら、お前に嫌われるんじゃないかと心配だ」
「加齢臭って…」
 笑うが、実は切実な問題だ。
 さりげに、拓海も最近は意識して代謝の良い食生活などを正している。
 やっぱり涼介も気にしているのだろうか?
「まぁ、いいけどな。お前に嫌われようと、無理やりやるから。ほら、足開けよ」
 ぐい、と股を割り開かれ、拓海は「もう!」と抗議した。
「久々にキッチンでやろうぜ。たまには…こう言うのもいいだろ?」
「昔、散々やったくせに」
「昔、な。だから、懐かしいだろ?」
「……涼介さんって、一生勃起しそう」
「さすがの俺もそれは無理だろ?ところで…俺が勃たなくなったら、お前本当にどうする?」
 肌を伝う指の感触。
 その指は、昔よりも荒れガサついている。
「…だから、どうもしないって。別にセックスしなくても、涼介さんとくっ付いてると気持ちいいから」
「………こんな風に?」
 素肌同士を合わせ、抱き締める。
「…うん。ドキドキする」
「可愛いな、お前…。勃たなくなっても、全身舐め回してやるから安心しろ」
「下品」
「今さら。知ってるだろ?」
 知ってるけど…と言うか、思い知らされた。
「お前と…ずっとこうしていたいよ」
 拓海の体を抱き締め、その感触を味わいながら、うっとりと涼介が呟いた。
 それに、拓海も「うん」と目を閉じ頷いた。
「…死が二人を別つまで」
 20年前に誓った言葉。
「共に傍にいることを…」
 拓海の呟きに涼介が言葉を続けた。
 離れないように、互いの手のひらを握り締め、そしてその薬指に嵌められた指輪の感触を確かめる。
「誓います」
 同時に二人で誓う。
 過去も。今も。
 自然と見つめあい、そして惹かれ合うように唇を重ねた。




2009.6.5
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