[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

嘘吐きの真実



 目覚めて出た第一声は、
「……頭イテェ…」
 だった。
 まるで頭の中で銅鑼が鳴り響いているようで、少し動いただけでも重く鈍い痛みが広がる。
 呻きながらベッドの上で寝返りを打ち、この頭痛の原因になった事を思い出す。
 花見、だ。
 プロジェクトDの親睦会も兼ねた花見の席。
 その場で、拓海は二十歳を越えた集団に、当たり前のように酒を勧められ、断りきれず飲んだのだ。
 酔っ払いは厄介だ。
 一杯くらい飲んで、ごまかす事もできたはずなのに、拓海は何故か注がれるままに杯を仰いだ。
 ハァ、と拓海は溜息を吐く。その息も何だか酒が残っていようで気持ちが悪い。
 自分の限界の量を超えているなと気付いたのは、ビールから日本酒に変わった辺りだろうか。
 そこからもう記憶が無い。
 ヤバいと思いつつも、飲んでしまった。
 別に酒は好きなわけではない。不味いとも思えないが、好んで大量に摂取したいものでもない。
 だけど、ただ悔しかったのだ。
 酒を勧められ、断れずどうしようかと思わず縋り見つめてしまったあの人に。片眉を僅かに跳ね上げ、ふ、と口元だけで笑みを刻んだあの人の表情に。
 まるで、子供のようだと、馬鹿にされたようで。
 だから、つい杯を重ねた。
 拓海は頭を抱え、呻いた。
 そんな風に、ムキになることこそが子供の証明であると自覚しているだけに、余計に自己嫌悪は深くなる。
 頭の痛みと、優れない気分と自己嫌悪。
 何だか昨日の気分と合わさり、つい全ての責任を彼に押し付け悪態を吐いた。
「……涼介さんのバ~カ」
 本人の前では決して言えない言葉。
 だけどこっそり言った事で、ムカムカしていた胸のつかえがほんの少しスッとする。…が。

「……バカとは酷いな」

 突然響いた声に、言葉通り飛び上がる。
 ガバッとベッドの上に飛び起き、体を起こし見れば、扉にもたれながらミネラルウォーターとグラスを乗せたトレイを抱えた涼介本人がいた。
 一気に、全身から血の気が引き、思わず頭痛も忘れる。
「…りょ、涼介さん??な、何でここに?!!」
「何でも何も…」
 涼介が苦笑を浮かべながら、手にしたトレイをベッド脇のローデスクに置いた。
「ここは俺の部屋だよ」
 言われ、拓海は辺りを見回した。
 見覚えの無い部屋。
 天井まで届きそうな本棚にはぎっしりと、読めない言葉で書かれた難しそうな、しかも分厚い本が並び、壁には箪笥ではなくクローゼット。大きな窓の傍には拓海の勉強机とは次元すら違いそうな重厚な造りの机の上に、モニターを三台も並べたパソコンが置かれている。
 そして何より、拓海が現在いるベッド。
 シングルなどではない大きさ。縦も、横も広い上に、寝具までサラサラのフカフカで、肌触りも感触も、何もかも拓海の知るいつもの綿布団とは違う。
 思ったのは、まず最初に涼介の部屋に関する感嘆。
 次に、どうして自分がここにいるのかと言うこと。
 そして遅ればせながら、自分が涼介の部屋で眠っていたのだという事実に気付き、全身を真っ赤に染めた後に、一転青くなった。
「あああああ、あの、お、俺…!」
 アタフタと顔色を目まぐるしく変化させ、慌て始めた拓海に、堪えきれずに涼介が吹き出した。
「…クッ」
 峠では絶対に見せないような、柔らかな笑顔。
 何も無い状況なら、間違いなく拓海はその表情に見惚れていただろうが、今はそれどころではなかった。
 拓海はバカにされたようで、ムッと唇を尖らせ抗議の視線を向けた。
 それに涼介はすぐに笑いを押し殺し、「悪い」と謝罪した。
「…バカにしたわけじゃないんだ。藤原があんまり可愛いから」
「………」
 一瞬、何を言われたのかと口をポカンと開けてしまった。
 おまけに、首をかしげてキョトンとする。
 涼介はそんな拓海に、照れたように微笑んだ。
「…またそんな可愛い顔をする」
 はにかみ笑いながら、拓海の頬に手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でる。
「頭は痛くないか?」
 優しく問いかけられ、拓海は素直に頷いた。
 手の感触が気持ち良い。
 ずっと撫でられたくて、うっとりと目を閉じる。
 素直に手に頭を預けた拓海に、涼介の笑みが深くなる。
「二日酔いの薬を持ってきたから、ちゃんと飲んでおきなさい」
 手の感触が気持ちよくて。涼介の笑顔が優しすぎて、何だか夢見心地のまま拓海は素直に頷いた。
「……一人で飲める?」
 飲めるに決まっている。だからこれも頷いた。
「そう?だけど俺がしたいから、飲ませてやるよ」
 ハテ?とまた首をかしげ、疑問に思うよりも先に涼介が先手を打った。
「はい、目を閉じて」
 思わず目を閉じる。
「口を開けて」
 まるで患者を診察する医師のような命令に、素直に従う。
 そして待つこと二秒後。
 暖かい吐息を頬に感じたと思った瞬間、
「……ん…?むぅ??」
 ぬるりとしたものが口の中に侵入し、そして次いで苦い錠剤の味を感じ、さらに冷たい水が注ぎ込まれるのを分かった。
 パカリ、と目を開ければ長い睫毛が見えた。
 これ以上ないくらいに至近距離で目が合い、彼が目だけで微笑んだことが分かった。
「…ん…んぅ……ふ、ぁ…」
 口の中で舌が暴れている。
 それが目の前の彼のものなのだと、気付くまで暫くの時間がかかった。
 口内を舐めつくし、歯茎の裏まで這い回った舌は、最後に拓海の唇をなぞる様に伝いながら離れた。
 ハァハァと荒い息しか出ない。
 目の前の涼介の唇が濡れている。それが、自分の唾液のせいなのだと、気付くのにまた時間がかかった。
 拓海に見せつけるように、涼介は舌で自分の唇を美味そうに舐め取り、ニヤリと微笑む。
「…飲み込めた?」
 答えられない。
 自分に何が起こったのかと、理解できなくて頭の中はグチャグチャだ。
 大きく見開いていた瞳が、どんどん困惑に眇められ、涙まで滲んでくる。
 そんな拓海の様子に、涼介の笑みも消える。
「……どうして…」
 掠れた、小さな呟きはちゃんと涼介の耳に届いた。
 涼介の表情が一転、不安気なものに変化した。
「…嫌だったか?」
 その言葉に、拓海は首を横に降った。嫌なわけではない。むしろ……。
「…涼介さん…何でこんな事するの?」
 涼介は跪き、そして壊れ物に触れるように拓海の手を取り、指にキスをした。
「…好きだから」
 迷いの無い、真っ直ぐな声音だった。
 けれど、
「嘘だ」
 拓海は信じられない。
 彼が、自分とは違うことなんて嫌と言うほど知っている。
 峠でも思い知らされたし、この部屋の中一つ取って見ても何もかもが違う。
「…嘘じゃないよ」
 拓海は頭の中で必死に探す。
 涼介の言葉が嘘だと言う証拠を。
 信じたい。
 けれど、信じたくないのだ。
 後で、これが全て嘘だったと裏切られるのが辛いから。
「…嘘だ」
「嘘じゃない」
 頑なに首を振り続ける拓海に、涼介がハァと溜息を零した。それに、ますます拓海は怯える。
「嘘じゃない。どうして信じないんだ?」
「だって…」
「だって?」
 ふと、頭の中でひらめいた。
「…今日、エイプリールフールだし…」
「え?」
 涼介の目が、カレンダーに向かう。
 拓海もつられ、同じ場所に視線を向ける。
 4月1日。
 その日付を凝視した後、涼介は「参ったな」と苦笑しながら頭を掻いた。
「…そうか。今日は4月1日だったな」
 拓海は、小さく頷いた。
「そうか…エイプリールフールね…」
 困惑していた涼介の表情が、ふと、何かを思いついたかのように一瞬固まり、そしてにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だったら…よく聞けよ、藤原。全部嘘だから」
 やはり嘘なんだ、と拓海は萎れた花のようになる。

「お前が俺の告白の途中で、酔い潰れて眠っちまったってのは嘘だ」

「……え?」

「部屋に連れ込んだのいいが、さすがに酔ってる相手に何かするのを躊躇って、ただ抱きしめて眠ろうとした俺に、子供扱いするなとお前が自分から脱ぎ出したってのは嘘だ」

「……は?」
 そしてやっと気が付いた。
 自分が、涼介の前に素っ裸を晒していることに。
 慌てて、シーツを引っ張り自分の体を隠す。

「さすがに素っ裸で迫られると、俺も理性が持たず、つい…色々しちまったってのは…嘘だ」

「…色々…」
 …って、何?
 おそるおそる、拓海はシーツの下の自分の体を見つめる。
「……な、何これ…」
 肌の上に、無数に散らばる、まるで桜の花びらのような…跡。
 しかも胸の突起がサクランボのように真っ赤に熟れて、さらにその周りに集中して花びらが散っているのがやけに卑猥だ。
「ちなみに、太ももの内側の方が酷いかも知れないってのは…嘘だ」
 もう、シーツなんて被ってられない。
 バッと剥ぎ取り、足を開いて確認する。
 言葉通りに、太ももの付け根の、かなり際どい部分が真っ赤に染まっている。
 足の付け根と、臍から下に、桜の花びらが積もっている…。
 思わず、パクパクと口を開け閉めしながら涼介を見つめる。
「な、ななな、何てこと…!」
「だから嘘だって」
 しれっと、そんな事を言う彼が憎らしい。けど…。
「ところで…その格好は誘っているのか?」
 ニヤニヤと、エロい顔で微笑まれ、ハッと拓海は気付いた。
 涼介の眼前に、素っ裸で両足を広げ座っていることに。
「ち、違う!!」
 傍らのシーツを掴み、体を覆うよりも早く、涼介の手がシーツを奪い放り投げた。
「そうか。誘ってるのか」
「違うって!」
 涙目で否定してるのに、涼介は笑顔のまま取り合ってくれない。
「だって…」

「…今日はエイプリールフールだろう?」

 真実が嘘で、嘘が真実。
 思わず、拓海は涼介を凝視した。
 そしてその瞳の中の不安に気付く。
 表情が相変わらず意地悪そうな笑みを浮かべているのに、その瞳には拓海に縋る色を浮かべている。
『拒絶しないでくれ』
 と、その瞳が語っていた。
 言葉よりも強く、能弁に。
 胸の中に暖かいものが広がる。
 彼の腕の中は心地好い。ずっと、離れていたくないくらいに。
 恥ずかしさとか、意地とかを取り払えば、涼介と同じように拓海の中にも懇願する気持ちがある。
 拓海は目を閉じ、腕を広げ涼介の背中に回しそっと抱きしめる。
「…誘ってなんかないですよ」
 胸に顔を埋め、頬を摺り寄せる。
「誘ってなんかないですからね!」
 強く言い放てば、驚きに固まっていた涼介の体が弛緩する。
「……そうか」
 クスクスと笑う、振動が体越しに拓海にも伝わる。
「あのな。藤原…」
 言いかけ、けれど涼介は口をまた閉じた。
「ダメだ。嘘でも言えないな」
 不思議に思い、腕の中で彼を見上げれば、照れ笑いを浮かべた彼と目が合った。
 とても幸せそうな、嬉しそうな表情で彼が真実を語る。

「好きだよ」

 真実を語る唇が、幸せを形にして拓海の唇に重なる。
 俺も、と言いかけ、嘘で返そうかと考え、けれどすぐに思い直し拓海もまた真実を紡ぐ。
 たとえ嘘でも、「嫌い」だなんて言えない。涼介と同じく。

「…大好きです」

 涼介が微笑み、深い口付けを拓海に注ぐ。
 そして彼は笑みを刻みながら言った。
「…今の、エイプリールフールってのは無しだよな」
「さあ?」
 知っているくせにそんな事を聞いてくる彼が憎らしくて。
「そうかも知れませんよ」
 ほんの少し、意地悪な嘘を吐いた。
 その意地悪のお返しは、たっぷりと後にやって来た。
「拓海」
 ニヤリと、微笑む彼によって。
「…嫌ってほど泣かすが覚悟してろってのは…」

「嘘だ」

 嫌だ、の。
 止めて、は。
『エイプリールフールだろ?』
 の言葉に遮られ、全て飲み込まれ消えた。




2007.4.1
1