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アイのことば


 好きだ、とか。
 愛してる、なんて。
 映画やドラマの中ではよく聞くけれど、現実ではそんなに聞けないものだと思う。
 たとえ恋人同士という関係にあっても、それは同じで、相手の口からそんな言葉を一度として聞いたことが無い。
 ハァ、と藤原拓海はため息を吐いた。
 何も、夢見がちな少女のように、愛の言葉を囁いて欲しいわけじゃない。
 もうそんな年齢を過ぎたし、ましてや自分は立派な成人した男だ。
 そして恋人として付き合ってる相手も…同じ男。
 もう交際期間を三年も過ぎた恋人の名前は高橋涼介。
 拓海より五歳年上の、そして憧れの人だった。
 付き合う切欠は、正直、なし崩しだ。
 彼がリーダーとして始動したプロジェクトD。
 そのダウンヒルのドライバーとして選ばれたのは拓海だった。
 何度か、付きっ切りで指導を受けるうちに、どんどん隣に座る距離が近くなり、触れ合う回数も増え、そしてどちらからともなくキスをした。
 いや、と拓海はあの頃を思い出して首を振る。
 キスをしてきたのは、涼介からだった。
 しかし、キスを請うような表情をしたのは拓海が先だった。
 あの頃、憧れだけだと思った感情に、触れられるたびに胸がざわめき、これが恋なのだと自覚したのは、彼にキスをされる十秒前のこと。
 ふと、彼と目が合い、そして激しくすぐそこにある唇に触れることを欲した。
 あの時、誘ったのは自分だと、拓海は理解している。
 涼介があの頃、拓海に対して恋心を抱いていたのかは謎だ。
 けれど、性的嗜好はノーマルな彼が、伊達や酔狂で男を抱くはずもないし、ましてや三年もこんな関係が続くはずもない。
 今はそれなりに自分に対し愛情は持ってるのだろうと察しているし、親にまで自分との関係をカミングアウトした彼の誠意を疑うつもりも無い。
 けれど。
 心のどこかで、不安に思う瞬間があるのだ。
 もしかして、自分が誘うようなことをしたから、彼は自分とこんな関係になってしまったのだろうか?
 もしもあの時、自分が誘わなければ、涼介は今頃違う相手の隣にいるのだろうか?
 そんな、益体も無いことを。
『どうした?』
 電話の向こうから、低音の耳に染みる声が響く。
 ホゥ、とまた溜め息を吐きながら、拓海は目を閉じ、電話の先の彼の姿を思い浮かべる。
「……ん。今日、七夕だなって思って」
 拓海の言葉に、『ああ…』と、彼も今気づいたのだろう。体勢が動く気配が伝わる。たぶん今、何らかの媒体で日付を確認しているのだろう。
『そうだったな。そう言えば、院内でも短冊を書かされたよ』
「涼介さんとこの病院って、笹飾りとかしてるんですか?」
『まぁね。小児病棟もあるから』
 涼介が勤めるのは大きな総合病院だ。
 一度、働いている姿を見かけたことがあるが、拓海の予想通りに、そこで働く彼の姿は立派な医者然としていて、そして恋人の欲目ナシにカッコ良かった。
 周囲に侍っていた看護士のみならず、患者にまで、その姿は羨望の眼差しで見つめられていた。
 その姿に嫉妬して、子供みたいに拗ねて、「機嫌直せよ」と涼介に宥められたのは遠い記憶ではない。
「…ふぅん。何て書いたんですか?」
 涼介の願い事って何だろう?
 何もかもを手に入れたように見える彼が願うことなんてあるのだろうか?
『まずは、拓海が今度のレースで優勝しますように』
 ぐ、と拓海は息を飲む。
 今、拓海は駆け出しながらプロのドライバーとして活躍している。
 涼介とこうして電話しているのも、現在調整のために彼から遠く離れた地にいるためだ。
 かつて走り屋のカリスマだった彼は、今も昔も、拓海の夢を応援してくれている。
 カァ、とほほを赤らめながら、拓海は電話の向こうに頭を下げた。
「あ、ありがとうございます…」
『うん。頑張れよ』
 彼が見てる。
 そう思うと、いつも以上に頑張れる気がする。今も、そして昔も。
『それと、まだ願い事を書いたんだ』
「え?まだ何かあるんですか?」
『ああ。…言っていい?』
 笑いを堪えたような声。
 彼がこんな言い方をする時は、たいてい拓海が驚くようなことを言い出す前兆だ。
 警戒しながら、拓海は「何ですか?」と答えた。
 驚かないぞ、そう心構えしときながら、いつも驚かされてしまうのは常なのだが、今回もそうだった。

『恋人と一緒に暮らしたい』

 涼介の言葉に、拓海は電話の向こうで固まる。
「……え?」
『そろそろ良いだろ?ただでさえお互い忙しくなって、今みたいに擦れ違いが増えてきたんだ。一緒にいれるときは、傍にいたいよ』
「で、も…その…」
 突然のことに、拓海の頭が働かない。
『何か問題でもあるか?俺の親もお前のことは気に入ってるし、お前の親父さんも俺とは仲が良いよな?双方の親から認めてもらってるんだ。一緒に暮らすのに障害は無いだろう?』
 確かに、涼介は文太と仲が良い。
 涼介が親にカミングアウトをした時点で、拓海もまた文太に、自分の恋人が涼介であることを告白した。
 勘当されることも覚悟していた拓海だったが、
『お前にしては上等なの捕まえたじゃねぇか』
 と言う文太のセリフで、あっさりと認められてしまった。
 以前から、涼介と文太の間には車を通じて交流があったらしい。それで親交を深め人柄を熟知していたから認めたのだとは、後から聞いた。
『あの兄ちゃんだったらしょうがねぇ。これが見ず知らずの男だったら…さすがに良い顔しねぇよ』
 そんな文太だから、きっと一緒に暮らすといっても「いいんじゃねぇか」で済ませるだろう。
 確かに問題は無い。
 問題は無い…のだが。
『嫌か?』
「いや…とかじゃなくって…」
 嫌じゃない。嫌じゃないのだ。
『じゃあ、何?』
 うう、と拓海は唸った。
 電話の向こうの彼は知るまいが、拓海は今の自分の顔がどうなっているか、鏡を見なくても分かる。
 真っ赤だ。
 もう顔から湯気が出そうなほど。
『拓海?』
 そんな甘い声で名前を呼ばないで欲しい。
 全身とろけて、なくなっちゃいそうだ。
「は…」
『は?』
「は…ずかしい…です」
 珍しく、彼が噴出す声が電話の向こうから伝わる。
 楽しそうな笑い声。
 その笑い声の中に、ほんのり照れくささが混じってるような気がするのは、拓海の願望だろうか?
『相変わらず…拓海は可愛いよな』
 可愛くなんてない。そんなことを言うのは涼介くらいだ。
 特に、最近は逞しくなったとか、色々言われるのに。
『なぁ、いいだろ?一緒に暮らそう』
 そんな甘い声で、困るようなことを言わないで欲しい。
 涼介も・・・涼介も困ればいいんだ。
 恥ずかしさが極限に来た拓海は、思考がほんのり道を逸れてしまう。
「お、オレも…お願いこと、言っていいですか…」
『何?』
「あ、の…涼介さん…」
 ゴクリと、唾を飲み込む。
「好き、って言って」
『え?』
「オレに、好きって言って。じゃないと…一緒に暮らしません!」
 どうだ、とばかりに言い切った後に、すぐに後悔した。
 何を言ってるんだよ、オレ…。
「い、今の…」
 ナシ!そう言いなおそうとしたすぐに、電話の向こうから涼介の声が被さる。
『……照れくせぇよ』
 たまに出る、彼の乱暴な言葉遣いは、彼の本心が出ている証拠だ。
 らしくない気弱な声に、拓海は思わず口を噤む。
『だが…そうだったな。一度も…言ったことが無かったな』
 ドクンドクンと、心臓が激しく戦慄く。
 けれど、耳はクリアに彼の声だけを聞き取っていた。
『俺は…初めて会った時からお前に…惹かれていたよ。何も知らないお前に手を出して、なし崩しで手に入れたこと…悪いと思ってる。けど、後悔はしていないんだ』
 たぶん…たぶん、今が電話で良かった。
 目の前で、こんなことを言われたら、たぶん拓海は嬉しすぎておかしくなる。
『俺は…藤原拓海。お前が…好きだから』
 電話で良かった。
 今の自分の顔は緩みすぎてて、見れたものじゃない。
 せっかく好きだと言ってくれた涼介が、前言撤回しかねないほど、崩れている自信がある。
「――――――――…っ!」
 思わず、ジタバタとベッドに寝転び暴れてしまう。
『…おい。俺は言ったぞ?それで、拓海。返事は?』
 やっと言ってくれた言葉に、拓海の感情の沸点が超えている。
 ほんの少し、照れくさそうな彼の声音にも嬉しさが増す。
「オレ…、オレ、今度のレースで優勝します!」
『あ?…ああ』
「そんで…涼介さんと一緒に暮らす!」
『…え?本当か?』
「それと、涼介さん!」
『…何?』
 天にも昇る心地なんだ。
 だから、
「…好き!」
 彼にも同じ気持ちになって欲しい。
「すげぇ好き!涼介さんが好き!」
 電話の向こうで彼が絶句する。
 でも、その理由が、呆れているからとか、そんな理由じゃないのは分かってる。
『お、前……』
 ほら。響く声に、照れと喜びが混じってる。
『覚悟しとけよ。帰ったら、暫く立ち上がれないほど抱き潰してやる…!』
 それは望むところだ。
「…嬉しい」
 思わず、呟くと、また電話の向こうで彼が息を飲む。
 そして、静かに響く楽しそうな彼の笑い声。
『ホント、お前には参るよ…。なぁ、早く帰って来いよ』
 俺が待ってるから。
 そう囁かれ、拓海は頷いた。
「……はい」
 好きだ、とか。
 愛してるとか。
 欲しくないなんて思っていたけれど、やっぱり本音は欲しいみたいだ。
 だけど、たまにで良い。
 しょっちゅうだと、たぶん嬉しすぎておかしくなってしまうから。
「短冊に書いておいてください」
『え?』
「俺の名前で。恋人とずっと一緒にいれますように、って」
 そうお願いすると、電話の向こうの恋人は悪戯っぽい笑みを零した。
『それなら、もう書いた。俺の名前だけどな』
 涼介のその言葉に、耐え切れず拓海は声を上げて笑った。
 嬉しくて、幸せで。
 窓の外をふと眺め、夜空に輝く天の川を見上げる。
 大好きな人と、ずっと一緒にいられますように。
 年に一度の逢瀬を交わす今幸せな気持ちでいるだろう恋人たちに、そう願った。




2009.7.7
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