晴海ちゃんは現在6歳の小学校一年生の男の子です。
自分は普通の男の子のつもりですが、よく人から「天使のようだ」と言われます。
でも晴海ちゃんにそんな自覚はありません。
ですから、大好きなパパが、
「晴海はママに似て可愛いんだから、これをしっかり持っていなさい」
とGPS機能付きの携帯を持たされることも普通だと思っていますし、
「もし変な人に声をかけられたら、これを鳴らしなさい」
と防犯ベルを持たされることも普通だと思っています。そしてさらに、
「無理やりどこかへ連れて行こうとしたり、体に触ってくるような奴がいたら、問答無用でこれをくっつけてやりなさい」
と小型のスタンガンを持たされることも普通だと思っています。
でもそんな晴海ちゃんも、もう小学校一年生。
もう幼稚園の時のような世間知らずではないのです。
自分のおうちのパパとママが、よそのパパとママよりとても仲良しなことや、ママがいつもお仕事で出かけていていない事が、普通と違うのだと知っていました。
でも晴美ちゃんはそんなパパとママが大好きでしたし、ママがいつも家にいなくても毎日テレビ電話でお話をしているし、これからもずっとみんな仲良しなのだと思っていました。
ソレを見るまでは…。
ママがお仕事のお休みで家に帰って来た日は、晴美ちゃんはいつもおじいちゃんたちのおうちにお泊りします。その理由は、パパがママを一人じめしたいからです。
晴海ちゃんはそれを、ほんのちょっぴり寂しいなと思いますが、でもお父さんがお仕事でいない昼間はママは晴海ちゃんのものだったので、「ポケットの中のビスケットはみんな仲良く半分こ」と教えられている晴海ちゃんは気にしていませんでした。
ですが晴美ちゃんも、もう小学校に通うようになり、ママがいる昼間にずっと一緒と言うわけにはいきませんでした。
しかもその日は、パパはお仕事をお休みして、夜も昼もママをひとりじめしているのです。晴海ちゃんは、パパはちょっとずるいなと思いましたが、ママと一緒にいて嬉しそうなパパを見るのは楽しかったので、まぁいいかとママ譲りの天然で納得しました。
でも学校に行っても、晴美ちゃんはそわそわ。
早く大好きなママとパパのいるおうちに帰りたくて仕方ありません。
いつものぼんやりに、さらにぼんやりが増して、晴美ちゃんは先生から、
「高橋くん。具合が悪いんだったら、おうちの人に言って向かえに来てもらいましょうか?」
と言われてしまいました。
晴海ちゃんはそれを、「もうおうちに帰っていいんだ!」と受け取りました。
なので晴海ちゃんは先生に、
「ぼく、一人で帰れます。先生、さようなら」
「え?あ、あの、高橋くん??」
途端に笑顔になって、ランドセルを掴んで、いつものぼんやりが嘘のように、かつて「彗星」の名前を持ったパパ譲りの早さでおうちへ帰ってしまいました。
駆け足で帰ってきたおうち。
晴海ちゃんは、パパとママを驚かそうと、こっそりドアを開けて入りました。
きっとぱぱとママは、晴海ちゃんが早く帰ってきたことに驚いて、そして次には喜んでくれるでしょう。
晴海ちゃんはウキウキしました。
ですが、おうちの中にパパとママの姿はありません。
どこかにお出かけしちゃったのかな?
晴海ちゃんは、ちょっと寂しくなりながらもパパたちがいそうなところを探しました。
リビングにはいません。キッチンにもいません。お風呂場にもいません。トイレにもいません。
晴海ちゃんは、パパとママの寝室に行きました。
いつもは、そこはちゃんとノックしてから開けなさいと教えられている場所です。
でもその時の晴海ちゃんは、パパたちがいないのかも、と思っていたので、ノックをしないで開けてしまいました。
ガチャリ、と微かな音を立てて開いた扉を、ほんの少しだけ押してみます。
寝室の中は真っ暗です。
そして…。
「あ、あぁ…涼介さん…」
ママの声です。
「こら、まだ早いよ、拓海…」
パパの声もします。
良かった。二人ともいるんだ。嬉しくなった晴海ちゃんは、お部屋の中に入ろうとしますが…。
次の瞬間。
パキリと固まってしまいました。
晴海ちゃんは…ソレを見てしまったのです。
啓ちゃんこと啓介おじさんは、パパの弟です。
そしてふーみんこと史裕さんは、パパの親友です。
晴海ちゃんは、泣きながらおうちを飛び出して、そのままおうちの近くにある啓ちゃんのおうちに飛び込みました。
「けいちゃ〜ん、うわぁぁん…」
泣きながら飛び込んできた晴海ちゃんを、啓ちゃんも、おうちに一緒にいたふーみんも、びっくりした顔で宥めてくれました。
「どうした、晴海?!まさか…今、話題になっている変質者が…」
「晴海ちゃん?どうした?大丈夫か?何があったか言えるかな?」
二人が今まで見たことがないくらいに、ボロボロと大泣きをしている晴海ちゃん。いったい何事だろうと彼らは慌てました。
ヒックヒックとしゃくりながら、晴美ちゃんは涙を目にびっしりと浮かべたまま言いました。
「あのね…あのね…」
「うん。どうした?」
「あのね…パパとママがね…」
「パパとママ?アニキと拓海がどうしたんだ?」
「あのね…パパとママね、りこんなの…」
「そうか。りこんか。…って、離婚?!」
「り、離婚?!マジか、晴海?!」
あの二人にありえない言葉に、啓ちゃんもふーみんもこれ以上はないぐらいに驚きます。
天下一と言っていいぐらいのバカップル。この地球が滅亡しても、あの二人が離婚するなど、思っても見なかったふーみんたちです。
「晴海。それ本当なのか??」
晴海ちゃんは、またボロボロと泣きながら、こくんと頷きます。
「そうなの。だってね。ママ、泣いてたの」
「た、拓海が……」
「パパはね、ママが泣いてるのに、喜んでたの」
「りょ、涼介がそんなことを…」
「ママね、涼介さん、もうイヤ、やめて、ダメって泣いてるのに、パパ止めないの」
「そうか…涼介がそんなひど……うん?」
「…お前、それって…」
「パパね、ママがもういじめないでって泣いてるのに、いじめるの。それでね、拓海が壊れても俺はやめないぜ、って言うの。めちゃくちゃにしてやるって言ったの」
あ〜、ゴホン、ゴホン。
咳払いし始める大人二人。
「パパとママ、もう仲良しじゃなくなっちゃったの…。ママ、めちゃくちゃにされちゃうの…」
悲しそうにシクシクと泣き始めた晴海ちゃん。そんな晴海ちゃんに、啓ちゃんふーみんは冷や汗を垂らしながら顔を見合わせて頷きます。
「あのな、晴海…」
「なぁに?」
「それ、いったいどこで見たんだ?」
「どこ?おうち」
「おうちのどこだ?」
「……えーっとねぇ…パパたちの寝室」
『…やっぱり…』
大人たちは深く溜息を吐きました。あいつら、こんな昼間からサカりやがって…。いや、史裕、違うぜ。きっとアニキたちは昨夜からずっとだ!
そんな心の会話を以心伝心で伝えあった二人です。
そして泣く晴美ちゃんを宥めたのは、昔、パパたちがいたチームで広報係をやっていたふーみんでした。
「晴海ちゃん、大丈夫だよ?パパとママは仲良しなんだ」
「でも、ママ泣いてたよ?」
「…う〜ん…晴海ちゃんにはまだ難しいかな?大人の仲の良い恋人たちの間では、「イヤよイヤよも好きのうち」って言葉があるんだよ?」
「いやなのに?」
「う〜ん…イヤとか、キライ、とか、ダメって言うのは、何て言うのかな…本当にイヤなんじゃなくて、好きだから甘える意味で使う場合もあるんだよ?晴海ちゃんも、ママとかにダメって言われても「イヤ」っておねだりする時があるだろう?」
「…ある」
「それと一緒で、甘える相手にはイヤとか言えるんじゃないかな?だからパパとママは仲良しなんだよ?」
「でもママ、泣いてたよ?」
「…よ、世の中にはね、悲しい時だけじゃない。嬉し涙って言うのもあるんだよ?嬉しい時や、好きすぎる時は、思わず涙が出ちゃうんだ。だからきっと、ママも気持ちよす…う〜、アア、ウン、ゴホン!…あ〜…嬉しすぎて涙が出ちゃったんじゃないかな?」
よっしゃ!史裕、ナイスジョブ!!
思わず、背後で見ていた啓ちゃんも親指立ててガッツポーズをします。けれど…。
「でも、ママ、あんあん泣いてたよ?あはぁん、あぁん、って。あれ悲鳴じゃないの??」
ガタ、ゴチン、バラバラ…。
啓ちゃんが堪らず倒れます。ふーみんもまた、一瞬眩暈を感じましたが、やっとの思いで踏ん張りました。
…そんな可憐な声で、喘ぎ声を正確に再現しないで下さい…。ほんのり、変質者の気持ちを理解してしまった二人です。
しかしふーみんは大人なので、咳払いをしてそんな気持ちをごまかして、にこりと笑顔になりました。
「あのね、晴美ちゃん。大きな声を上げるのは、それは好きだからだよ。相手のことが好きなほど、声も大きくなっちゃうんだ。だから、大丈夫だよ?」
「…そうなの?」
「ああ。大丈夫。離婚なんてしないよ?」
「…うん、わかった。ぼく、もう一回おうち戻ってみるね」
「ああ。その頃にはきっと涼介たちも終わっ…アア、ウン、ゴホン。パパたちも、もういつものあいつらに戻っているかもしれないね」
「うん。ありがとね、ふーみん。啓ちゃん」
「おい、啓介、送っていってやれよ?」
「ああ。じゃ、行くぞ、晴海」
「うん!またね、ふーみん。ばいばい」
バイバイ、とふーみんは晴海ちゃんに手を振りながら、久々に鳩尾が痛くなる感覚を思い出していました。
昔、晴海ちゃんのパパの下で広報係として活躍していた頃に日常であったこの痛み。それを思い出し、ふーみんは今の自分がどんなに幸せであったかを再確認し、やれやれと安堵の吐息をつきました。
ですが…。
十分後。
「ただいま…」
「ただいまー」
啓ちゃんの部屋に戻ってきたのは彼だけでなく、何故か晴海ちゃんも一緒です。
「あれ、晴美ちゃん?どうしたんだ、また戻ってきて?」
ニコニコ顔の晴海ちゃんと違い、顔色の悪い啓ちゃんです。ふーみんは首を傾げました。
「あのねー、ふーみんの言った通りだった!」
「そうか。(じゃ、あいつら、終わってたんだな…)」
ほっとしかけたその瞬間です。
「あのね、ママね、イヤ、止めちゃヤダ。もっとして、って言ってたの!」
「!!!!」
思わず、ふーみんは啓ちゃんの顔を見つめます。啓ちゃんは目だけでふーみんに訴えました。
『…アニキたち…寝室を出て、リビングでやってたんだ…。
ドア開けた瞬間、すげぇ声…。俺、晴海がいなかったらマジ勃ってた…』
ギリギリ、ふーみんの鳩尾が昔みたいに痛みます。
「あのね、パパね、ママに、拓海は本当に好きだよな。もっと欲しい?って言ってたの。
そしたらママね、好き、好きなの、もっとして。欲しいの。めちゃくちゃにして、って言ってたの!」
ニコニコ、純真な笑顔で語るその内容は、大人には微笑むことは出来ず、啓ちゃんたちは脂汗を流して俯きました。
「ふーみんの言ったとおりだった!ふーみんすごいねー」
晴海ちゃんは家族の危機を乗り越えて、笑顔満面。
そして晴海ちゃんは、わからないことがあったらまずふーみん!とインプットされてしまいました。
そしてその後。
晴海ちゃんは色んな不思議なものを見つけます。
「あのね、ふーみん?パパの寝室にね。バナナのおもちゃ置いてあったの。スイッチ入れたらぶぅんって動くの。大人もおもちゃで遊ぶの?」
「…………」
「あのね、ふーみん?パパのお部屋でね。ママの写真をいっぱい見つけたの。でもね、それ、みんな裸なの。それでね、ママいつも眠ってる写真なの。パパ、ママの寝顔とるの好きなのかなぁ?」
「………」
「あのね、ふーみん?この前ね。ぼく、夜中眠れなくてね、お水飲もうと思ってリビングに行ったの。そしたらね、パパがママと一緒に写ってるビデオを見てたの。ママが裸で好き好きもっとして、って言ってるやつ。そしたらね、パパがそれ見て、拓海、拓海ってママの名前呼びながらハァハァしてたの。もしかして、パパあれ泣いてたのかなぁ?悪いところ見ちゃったのかなぁ?」
「……そうだね」
この一週間後。ふーみんは入院してしまいました。
そしてお見舞いに来た晴海ちゃんのパパに、ふーみんはこう言いました。
「寝室には鍵をかけろ!大人の玩具はしっかり隠せ!オナニーは自分の部屋でしろ!!」
それからパパたちの寝室には鍵がかけられ、晴美ちゃんはもうソレを見ることはありませんでした。
けれど、時々か細いママの悲鳴のような声がドア越しに聞こえるたびに、晴美ちゃんは、
「あ、ママたちまた仲良ししてる」
と嬉しくなりました。
晴海ちゃんのパパとママは、離れて暮らすことが多いですが、このようにいつも仲良しなので、晴美ちゃんは幸せだなと思いました。