メタボリックシンドローム


 メタボリックシンドローム。
 その言葉が巷で蔓延するより先に、星野はベッドの上で情人から聞いた。
「好ちゃんの事だよ」
 煙草も吸わない。ギャンブルもしない。
 酒は飲むが、嗜む程度。
 医者と言う職業柄もあるだろうが、およそ星野から見れば聖人としか思えないような生活を送る彼は、星野のでっぷりと増えた腹の脂肪を見ながらそう言ったのだ。
 ゆさり、と。星野は自身の腹を撫でながら、見せ付けるようにプカァと煙草を吹かした。
「別にいいだろ?城ちゃんに迷惑かけてるわけじゃねぇんだし…」
 言葉尻が弱くなってしまったのは、見つめる情人の視線の強さ故だ。
 キラリと、眼鏡の奥の瞳が責める輝きを見せる。
「迷惑、ね。つれないな…」
 彼がこう言う表情と口調の時は要注意だ。
 それはもう20年以上の関係から良く理解している。
 ぎゅ、とシーツの下に隠れた星野の男根を握る。
「分かってる?好ちゃん、糖尿病の予備軍だって診断されただろう?そのせいで、ここ…ほら。勃ちが悪いんだよ。
 前はここから溢れんばかりに出してたのに、今じゃこんなだよ。情け無いと思わないのかい?」
 そう言いながら、急所を嬲る手つきは、医者の器用さで、20年前と変わらず星野を嬲る。
 しかし、ここで素直に頷けるほど星野は可愛らしい男ではない。
 むしろ、酒と煙草を浴びるほど飲み、ギャンブルと女に弱く、その為に二度の離婚も経験した男だ。
 髭も蓄え、大柄なボディの愛車に見合うだけの貫禄も身につけた。
 男くさい男なのだと、そんな自負もある。
 けれど、いつまで経ってもこの男の前では、自分は「雌」でしかないのだろうか。
「お…れが勃たなくても、城ちゃんには関係ねぇだろ。俺に突っ込んでるだけなんだから」
 意地の悪い男だと思う。
 どうしてこんな男と、こんな関係を人生の半分近くの時を過ごしてしまったのだろう。
「それじゃぁ俺が酷い男みたいじゃないか。好ちゃんが勃たないと、俺も楽しくないよ」
 よく言う。
 星野は心の中で嘯いた。
「それに、好ちゃん今ナントカってキャバクラの子とイイ仲なんだって?若い子相手じゃ、こんな具合だと嫌がられるんじゃないの?心配してるんだよ」
 ドクン、と星野の心臓が跳ねた。
 何故、この男がそれを知っているのか。
「あ…れは、そんなんじゃねぇよ。たまたま…2回ほど指名しただけだ」
 嘘は許さないよ。
 そう言いたげに城島の瞳が光る。
「ふぅん。2回ね…。どんな内容の2回だか」
 この男の前では、星野の嘘などすぐに見破られてしまうのだろう。
 みっしりと肉の詰まった太ももを抱え、腰を抱えあげられる。
「まぁ、いいさ。今は俺のモンだよ…好ちゃん」
 勃ちが悪くなった星野とは比べ物にならないくらいに元気な城島の男根。
 何か薬でも飲んでいるのではなないかと、疑ってしまうほどにそこは老いを感じさせない。
 城島しか知らない、星野の肉の狭間に湿った感触を感じる。
「行くよ」
 うっすら微笑み、20年来の情人は慣れた仕草で星野の内に入り込んだ。
「う、ぐ、ぁぁ…」
 呻きながらも、慣れた身体はすぐにそれを快感へと転換する。
 ぎゅ、と目を閉じ、星野は振り返った。
 20年前。
 この男と、こんな関係になった時のことを。



 星野は若い頃はモテていた。
 そう豪語するのは伊達じゃない。
 顔の造りは男臭いが整っており、今の脂肪の付いた身体からは想像も付かないほどスラリとしており、身長も高く、建築業と肉体労働のため筋肉も付いていた。
 思えば、若かったのだと思う。
 女にもモテ、酒の飲み方も知らず、浴びるほど飲むのがカッコいいのだと勘違いしていた。
 二日酔いで車を峠で転がし、めちゃくちゃなラインで走る。
 助手席に日替わりで女を乗せ、危険な走りを見せる。
 それが粋なのだとさえ。
 しかしその思い上がりを壊したのが、あの男だった。
 自分と同じ時期に走りを始めた、城島俊哉。
「迷惑なんだよ」
 いかにもゴツい体格で、喧嘩も強そうな星野を相手に、真っ向から注意する人間は皆無だった。
 だから、この目の前に立つ生白い優男が自分に意見したことが星野には信じられなかった。
「本気で走ってる人間の邪魔なんだ。君の走りは…ただのファッションでしか無い」
 若かった星野は血の気も多かった。
 すぐにカッと頭に血が上り、城島の襟首に手をかけた。
「何だと?!」
 恫喝すれば、少々の正義感などすぐに萎むだろう。そう思っていた星野の考えは、すぐに壊される。
 襟首を掴まれながら、優男はフッと笑った。
「…想像通りの男だ。暴力的で、血の気の多い単細胞」
 その瞬間、星野の背筋に悪寒が走った。
 それは本能だったのだろう。
 この男はヤバいと、そう星野に伝えていたのだ。
 だが、その時にはもう遅かった。
 チクリ、と、腕に痛みを感じたときには、もう全てが手遅れだった。
「だが、俺は君の走りのセンスは嫌いじゃない。……もっと真剣に取り組めば、君はもっと上の領域にいけるだろう」
 襟首を掴む腕から力が抜ける。
 ビリビリと、細かな電流のような感覚が全身に広がった。
「な…に、を…」
 目の前が霞む。
 キラリと、霞む視界に城島が握る注射器を捉えたような気がした。
「だから俺が手助けしてあげる。君が真剣に走りに打ち込めるように」
 ぼんやりする頭に、その声はやけに優しげに響いた。
 そして次に星野の意識が戻った時、星野は城島により「女」にされていた。
 四肢を拘束され、尻の穴の中に男のペニスを銜え込んでいる。
「…ああ。気が付いたんだ。締りが良くなった」
 最初、星野は何が起きているのか分からなかった。
 身体の内側に感じる異物感。
 それが、ズッ、ズッと内部を蠢く感触。
「う、ぐぁ、あ…」
「痛いかい?気持ち悪い?だけど、すぐに良くなるよ」
 腰を使いながら、城島は萎えた星野のペニスを握る。
 そして商売女よりも的確に、快楽のツボを捉え刺激した。
「…フッ。君はお漏らしだな。こんなに汁が溢れている」
 男に貫かれている。
 男相手に勃起している。
 それだけでも屈辱なのに、目の前の男は、自分を淫乱な女のように揶揄している。
 星野は歯噛みし、そして暴れた。
「く、そぉ、う…」
 しかし、言葉は続かない。
 意地の悪い男が、腰を使い星野を攻め立てるため。
「ああ…いいよ…いい具合だ…もっと暴れてもいいよ…俺が気持ち良くなるだけだからね…」
 全てが計算なのだろう。
 そう言われてしまえば、星野の抵抗しようと思う気力は萎える。
 執拗に、淫靡に、何度も何度も城島は星野を攻め立てた。
 そして、最後には星野もまた女のような嬌声を上げるまでに。
「ん…ぁ、あ、ぅ…」
「気持ちいいのかい?腰が勝手にうねってる…。女相手にもこんな声を上げるのかい?」
「あぁ…あ…ぅ、ん…、あ、ぁ…」
 神経が焼き切れそうな快感。
 思考能力が失せ、身体に感じる感覚だけを追う。
 全身で、目の前の男が与える刺激を感受し、感度の良い楽器のように浅ましい声を上げる。
「悔しいかい?俺にこうされて?だったら…俺を負かせてみなよ」
 走りでさ。
 暗示のように、ぼうっとする頭に刷り込まれ、星野はその通りにした。
 真剣に走りに取り組み、常に自分の前を走る男にがむしゃらに追いつこうとした。
 20年が過ぎた今、その男は自分の隣にいる。
 そして不本意に始まった体の関係を今も続けているのは、認めたくないが、女相手ではありえない快楽の淵を感じられるからだろう。
 その淵から逃げるように、女遊びもしたし、結婚も二度した。
 だが今もこの関係は続いている。
 その惨めさに星野は奥歯を噛み締める。
 ――俺がブクブクに太っちまえば、コイツの食指も動かねぇかと思ったんだけどな…。
 星野の体系がどんなに変わろうとも、城島は変わらず星野を嬲り、そして「雌」にする。
 だいたい、自分は離婚しているが、城島も立派な妻帯者だ。
 子供も理想的に男と女と一人ずつ。
 何度か、家族ぐるみで遊びもしたが、正に城島の家庭は円満そのものだ。
 ズッ、ズッ、と穿つ動きに逆らうように、星野は声を絞り出した。
「城ちゃんとこの…嫁は元気かい?」
 その質問に、城島の動きが止まった。
 この男にも、神妙に嫁に遠慮する神経があったのかと、星野は驚きと共に鬱屈するものを感じる。
「…まぁね。元気にやってるよ」
 すぐに男の腰が動き出す。
 だがその動きは緩やかで、まるで星野の心を探っているようだ。
「どうしたいんだい、いきなり?今までうちのなんて気にしたこと無かったのに?」
 フン、と星野は手を伸ばし、穿たれながらもベッドサイドに置かれた煙草に手を伸ばす。
「…俺にこんだけ突っ込んで、嫁に残す精力があるのかって心配しただけだよ。 
 嫁をおざなりにすんなよ?愛想付かされちまうぜ?」
 俺みたいに。
 煙草に火を付けようとしたところで、城島に奪われる。
「それは無いよ」
「何でそう言いきれるんだ?」
「無いね。俺はうちのとセックスなんてしたことないから」
「は……」
 一瞬、言われた意味が分からなかった。
「知らなかった?俺は、ずっと好ちゃんとしかセックスしてないよ」
 何を言ってるんだ、この男は。
 星野はまじまじと自分に覆いかぶさる男を見つめた。
「だ、って…子供は…」
「人工授精だよ。当然じゃないか。うちのは…女の子が大好きな性質でね」
 いわば契約婚だよ。
「な、に、言って…」
 ドクドクと胸がざわめく。
 この心に広がる甘ったるいものは、かつて若い頃に抱いた感情だ。
 そうだ。
 この男に貫かれ、数度関係を重ねた頃に抱いた感情。
 それを認めたくなくて、女に走った。
 だが今は。
「分からないかい?俺はずっと、セックスしながら伝えてきたつもりだけどね」
 もうこの年だ。
 女には相手にはされるが、本気にはされない。
 固い女は苦手だ。
 本気になられると困るから。
 すぐに飽いていた女との関係。
 だが、この男とは20年以上も続いていた理由。
 それは…。
「君を愛してるんだよ」
 言われた瞬間、萎えていた星野の男根から勢い良くスペルマが発射された。
 それを見て、城島が笑いながら、同じように射精する。
「……好きだよ、好ちゃん。ずっとね。じゃなきゃ、こんな身体抱けないよ」
 腹の肉を、城島が愛しげに撫でる。
「……うるせぇよ」
 照れ隠しにそっぽを向きながら、星野は煙草に手を伸ばした。
 しかし。
 吸おうとしたところで、手を止める。
 少しは健康に気を使ってみようか。
 この、目の前の愚かな男のために。
「城ちゃん」
「何だい?」
 呼びかけ、顔を上げた男の顔に吸い付いた。
 煙草の代わりに、こいつの口でもこれから吸ってるか。
 そう嘯きながら、星野はそう言えば、この男とキスをするのは初めてだと言うことに気が付いた。
 






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  • -2009.11.19-