SS WhiteDay2007
恋がどこから生まれてくるものか。涼介はそれを知らない。
いつの間にか胸の中に住んでいた。
同じ同性である、あの年下の少年を「好きだ」と思うようになったのはいつだろう?
気付けば目が離せず、独占欲が生まれ、欲望を抱くようになった。
赤らんだ頬。見上げる大きな瞳。そしてはにかんだ笑顔。
それに胸がざわめくようになり、夢の中に現れ思春期の少年のように粗相をした。
いわゆる…夢精であるのだが、性的欲求を吐き出す相手に困った事のない涼介は、自慰も、夢精もよほど疲労困憊でもない限りした事が無い。
なのに、何でも無い普通の日。
目覚めた涼介の身にそれが起こった。
結果があるなら、原因がある。
そう考え、追求した結論は、眠る二時間前に藤原拓海と会話した。それであると思い当たった。
だが涼介はそれでも、その結論を決定付けることは出来なかった。
確証を求め、大人の付き合いを心得た異性と性的な行為に営んでみた。
結果は……女性に「インポ」と詰られた。
衝撃を受けても当然の事態であるのに、何故か涼介は冷静だった。
むしろ、「やはり」と言う感が強かった。
そして改めて検証するために自慰に耽ってみた。
頭の中の妄想の登場人物は、強いるでもなく藤原拓海。
初々しい高校の学ラン姿の彼を押し倒し、引き毟るように服を剥がす。
制服のズボンのベルトで両手を縛り、Yシャツ一枚になった彼の両足を掴み……インサート。
そんな妄想は、涼介に留まることのない欲望の奔流を起こさせた。
腰は重だるくて疲れているのに、何故か気持ちはスッキリ。
当然の事ながら、いわゆるEDではない事を証明する。
達する寸前に自身の口から出たのは「…藤原」と彼の名前。
擦りすぎて赤くなった欲望を握り締めたまま、涼介は確信したのだ。
「…俺は藤原拓海に恋をしている」
と。
それを弟である啓介に告げれば、彼は「ハァ?今頃気が付いたのかよ?」との答えが返ってきた。
心外であった。
バカから、頭が悪い扱いを受ける事ほど屈辱的な事は無い。
「誰かをカワイイなんて褒めた事のねぇアニキがさ、あいつを初めて見た瞬間からカワイイつってたじゃん。覚えてねぇのかよ」
覚えている。バカにバカと扱われる。この屈辱。苦々しさ。だが今はまだ反撃する時では無い。
あれは、初めて拓海と出会った日だった。
秋名の峠に、スピードスターズの面々にバトルを申し込み、涼介が「カスぞろいだ」と評した夜の、あの時だ。
涼介はあの時啓介に、「カスぞろい」の他にもう一つ感想を述べていたのだ。
『カスたちの後ろに、可愛いのがいたな』
そう言った時に、微笑んでいたらしい事を後に史裕より教えられた。
『ハァ?あいつらん中に女なんかいたか?』
『いや、女じゃない。男だろうが…可愛かった。まだ高校生くらいだろうな』
『……アニキ…』
あのやり取り。
一瞬だけ視界に入った拓海の姿。
気分が悪いのだろう。青白い顔をしながら、けれどこちらを不思議そうに見つめていた。
思わず、目が離せずじっとこちらも見つめていると、すぐにその瞳は興味を無くしたように逸らされ、涼介がどんなに願おうとも二度とこちらを向くことは無かった。
「…覚えている。あの日は天国と地獄を味わったからな」
見つけた瞬間に天国。
だが視線が逸らされた瞬間に地獄を。
「だろ?アニキはさぁ、結局アイツに一目惚れしてたんだろ?」
一目惚れ…。
それは映画やドラマなどの虚構にしか存在しないものであると思っていたものが、現実に自分の身の上に…。
「……そうか」
だが、そう言われてみると納得するところも多かった。
あの走りに魅せられたと称し、いつもは滅多に上げることの無い重い腰を何度も上げ、彼の後を追った。
バトルが行われると聞けば訪れ、彼の全てを知りたかった。
そしてそんな繰り返しの中、とうとう我慢出来ず自らが主催するチームへの参加を請うた。
待たされ、焦らされたあげくOKの返事を貰った時は、柄になく鼻歌が零れた。
そして…夢精したのだ。
「しかもアニキ…初恋だろ」
…恋。
それは今まで自分とは遠いものであった。
それが今、内に宿り身を焦がす。
「…ま、俺は別に反対とかしねぇし。不感症気味のアニキがやっと誰か好きになったんだったら、別にいいんじゃね?応援もしねぇけど、邪魔もしねぇからさ」
そう言い、視線を目の前の雑誌に戻した啓介の襟首を涼介は掴んだ。
「バカやろう!」
と。
「この俺の初恋だぞ?この、俺の…お前の兄の!!なのにお前は応援もしないだと?!ふざけるな!弟してお前は、この俺の恋の成就の為に、尽力を尽くすべきだろう!それが出来ないような弟など俺はいらん!お前の恥ずかしい過去を全て暴露して…群馬にいれないようにしてやる…」
涼介のそんな切なる叫びに、啓介は改心した。
そして涼介の恋の成就の為に出したアイデアが…
『バレンタインに告白』
だったのだ。
この計画は成功した。
密かに二人の間で「プロジェクトV」と呼ばれたこの作戦は。
そして今、ここに新たなプロジェクトが立ち上がる。
その名も…
プロジェクトW
プロジェクトW。
この計画の最終目標は一つ。
『アニキが藤原と一線を越える』
だ。
その計画が始動したのは、啓介が煮詰まった兄と遭遇してしまった事から始まった。
両思いになり、二人の初デート。
ウキウキしながら出て行った涼介は、けれど帰宅後、まるで初めてのセックスで失敗した童貞少年のように落ち込んでいた。
どんより、暗雲さえ浮かばせながら落ち込む涼介に、啓介は思わず問いかけた。
「…アニキ…失敗した?」
答えは…NOだった。
だが、問題はそんなYES、NO枕で計られるような、そんな単純なものではなかった。
「……啓介」
「……何スか?」
嫌な予感がする、とそう思ったのだと後に啓介は語った。
「俺は…14歳の頃に新任の女教師を相手に脱童貞をしてから、それなりに場数をこなしてきたと思っている…」
そうだ。涼介の初体験は学校中の憧れの新任の英語教師だった。
巨乳をストイックにスーツに包み、けれど零れ落ちる色香が思春期の童貞少年たちの妄想を煽った。
かく言う、啓介もその一人である。
その女教師が、何を隠そう品行方正を絵に描いたような兄と…行為に耽っているのを目撃したのが啓介の人生初の挫折。
しかも兄は、事後に、
『思ったよりもつまらなかったな…』
とのたまったのだった。
そしてさらに、
『巨乳だなんだの言うが、あんなの脂肪の塊じゃねぇか。後背位でヤってみろ?まるで牛とヤってるみたいで不愉快だったな』
啓介は、泣いた。
泣いて、「アニキのばかヤロウ!!」と青春映画のように叫び、それが啓介の素行不良な生活を送る切欠となった事を知るのは…啓介のみ。
だがそんな素行不良の生活も、これまた兄によって改善させられたわけなのだが。
そんな兄の下半身事情を、啓介は否が応でも知る機会が多かった。
兄が隠そうとしないのもあるが、その淡白な態度で、不満を持った女性陣に何故か啓介が詰め寄られてしまうからだ。
啓介の脳裏に、兄のこれまでの素行が繰り広げられる。
「……確かに、場数はこなしてるよな…」
それは間違いない。
鬼畜が入ったやり方ではあるが。
啓介の肯定に、ハァと涼介は溜息を漏らし、左右に首を振った。
「俺は…一般的成人男子よりも場数をこなし、落とせなかった女はいないと自負もしていた。俺が望んで、ベッドに入れなかったことなど人生で一度足りとも無かったんだ。なのに…」
ぐぅ、と言葉を詰まらせ、涼介は拳を固め、顔を伏せた。
「………どうして藤原には通用しない…!」
魂の叫びであったと、啓介は証言する。
さりげなく手を繋ごうとしても、
『あ、涼介さん、あれ見て下さい!』
と、まるでわざとかと言いたいくらいのタイミングで逸らされる。
甘い雰囲気に持ち込みたくて砂を吐きそうな言葉を囁いても、
『………何か言いました?すみません、俺、何か寝てたみたいで…』
あげく、帰りの車中でキスをしかけようと顔を寄せれば、
「……くしゃみをされた…」
どよん、とヘコむ兄を見下ろし、啓介は生まれて初めて兄を哀れだと思った。
「藤原は男だから、女相手みてぇにはいかねぇんだろ。あいつもまだ高三のガキだしさ、アニキ、気長に見てやれよ」
その時、啓介は兄をそう慰め、次回にトライする事を薦めた。
……だが。
一般的に、お付き合いを始めて、一ヶ月目でベッドインが通常であるらしい。
けれどホワイトデーである3月14日の一週間前。
またも憔悴する兄に、啓介は聞いた。
「……また?」
「………」
「……なぁ、マジでアニキたちどこまで行ったんだよ。キスくらいはしたんだろ?」
「……キス、かぁ。してぇよなぁ…」
「キスもまだかよ?!アニキ、何してたんだよ!!!」
「…手を…繋いだぞ?」
嬉しそうに己の手を見る兄。
この瞬間に、プロジェクトWは立ち上がった。
あまりにも不憫な兄への救済計画。
それがプロジェクトWの全貌であった…。
「何ですか、啓介さん。話って?」
啓介の前にはきょとんと首をかしげる拓海。
ダッフルコートに暖かそうなマフラー。
その上に、冷え込んできた夕方の気温のせいでほんの少し赤みを増した頬と、どこか誘うように潤んだ大きな瞳。
以前から、可愛い願望をした少年だとは思っていたが、兄と付き合いだしてからそれに艶のようなものが生まれてきた。
「ああ。悪いな、呼び出して。話はすぐに済むんだ。お前さぁ、ホワイトデーのお返しって何か考えてるか?」
「…ほわいとでー、ですか?」
「ああ。お前、アニキからチョコ貰っただろうが」
そう言うと、拓海がポッと頬を染め、はにかみ俯く。小さな声で「…はい」と答える声がした。
「そのお返し!ちゃんと考えてるんだろうな?」
「…お返し…いえ、考えてませんでした」
この答えは予想内だ。
「だからダメなんだって。あのアニキだぞ?女には不自由しねぇアニキが、お前のためにお取り寄せで高いチョコを買って渡してんだぞ?お前…巷ではホワイトデーは10倍返しって話、知らねぇのか?」
「……10倍?!」
わざと煽るようにそう言うと、拓海は予想通り目を剥いた。
「俺…どうしよう…そんな金ねぇし…」
ショボンと項垂れ、ウロウロと困惑に視線を彷徨わせる。
ハァ、と大仰に啓介は溜息を吐いてみた。
その音に、拓海の視線が上がり、啓介を見つめる。
「…啓介さん?」
「そんな事だろうと思ったぜ。そんなお前に、この俺が良いアイデアを授けてやるよ」
「どんな、ですか?」
縋るように見上げる拓海の瞳。
その瞳が、多少涙で曇ることになろうと、啓介には涼介の幸せが最優先だった。
八つ当たりをされる自分の為に。
「あのな、藤原……」
こっそり啓介が拓海に告げた言葉。
その言葉に、大きな拓海の瞳が零れんばかりに見開かれた。
――この瞬間、プロジェクトWは幕を切って落とされた。