ROSE 拓海編
恋はどこから来るのだろう?
いつから生まれ、いつから自分の中で育っていったのだろう?
今ではもう。
あふれ出しそうなくらいに恋が身体中を覆っている。
俺の中で恋がカタチになったのはいつだったろうか。
初めてあの人に会ったとき?
それとも初めて言葉を交わしたとき?
そのどちらでもないのは俺は知っている。
あの人を意識し出したのは、初めて言葉を交わしたときだったけれど、その時の俺の中でのあの人は、「すごい人」でしかなく、憧れにはなっても恋にはならなかった。
恋になったのはあの瞬間。
人前ではいつも完璧で、冷静に何でもこなして指示を出すあの人が、ふと誰もいない瞬間に額を押さえ、いつもの気丈さの失せた疲れ果てた姿で項垂れていたのを見た時に。
俺はそれを見た時に、とても安心したのだ。
『…ああ。この人も人間だったんだな』
疲れない人や苦しくない人なんているわけない。
それなのにあの人は、周囲にはそんな気配一つ窺わせず、他人どころか気心の知れている親友、唯一の肉親にでさえそんな姿を見せなかった。
不器用な人だ。そう思った。そしていつか壊れてしまうんじゃないかと恐くなった。
昔、俺の母親もそうだったから。
けれど、あの人はうちの母親ではないし、俺とあの人を繋ぐのは、同じチームに所属しているというだけで親しくもない間柄だ。どんなに俺が心配していても、あの人には俺の気持ちなんて届かない。
別に俺はあの人とどうにかなりたいと思ったわけじゃない。
ただ、俺はあの人が心配で仕方がなかった。
だから、あの人が寝ていると知っていて、あのバンの中に入ったのだ。
後部座席を倒し、誰かが持ち込んだのだろうタオルケットを被り、あの人は眠っていた。集中力の凄いあの人は、いったん眠るとなかなか起きないことは今までのチームの活動の中で知っていた。
そろそろと近寄って、あの人の顔を覗き見たとき、俺はそのまま泣きそうになった。
切なかったとかそんな理由ではなく。
あの人寝顔はとても苦しそうだった。
眉間にしわを寄せて、起きている時と変わらない顔をして眠っていた。
この人は…寝ている間も辛いんだ。いったいいつこの人は安心できるんだろう?そう思ったら、とても悲しくなった。出来るなら俺が少しでもこの人に安心できる場所を与えてあげたい、そう思った。
あの人の眉間に寄ったしわを、撫でて伸ばそうとしていたのは俺の無意識の行動だ。まったく気付かなかった。じっと見つめながら、俺はあの人のしわを伸ばしていた。
あの人の眼が開いて、俺は初めて自分の行動に気が付いた。
驚いたようなあの人の顔。そして体を起こし、真っ直ぐに俺を見つめるその視線に、非難の色はなかったけれど、俺を萎縮させるには十分だった。
「しわ、寄ってたんで伸ばしときました!」
焦ると碌なことがない。自分の眉間を指差しながら、俺はそう叫んでしまった。言った後で、自分がとても馬鹿なことを言ったのだと気が付いた。
今すぐここから逃げ出したい、そう思う俺に、あの人は見たことも無い柔らかな表情で、声を上げて笑った。
「…そうか。じゃあ、また寄らないように、見張っていてくれるか?」
楽しそうに笑うあの人に、俺は逆らうことなんて出来るはずもなくて。
「はい」
と答えるしかなかった。
あの人はすぐにまた眠りに付いた。
けれどもうあの人の寝顔には苦しそうな色はなくて。
穏やかに、少し嬉しそうに頬を緩めた寝顔のあの人を見ながら、俺は泣いた。
この人を守りたい。
この人にずっと幸せいてもらいたい。
強く。深くそう願った。
俺はまだ、無力で世間知らずな子供で、守るだなんて思っていても、何の力もないけれど、それでもあらん限りの力でこの人を守ってやりたかった。
こうして、安心して眠れるように。
俺は。
涼介さん。
あなたの安心できる場所になりたかったんです。