正しい381のススメ
「はじめの一歩」で宮田×幕乃内
ニヤニヤしてんじゃねぇよ、バカ。
「えへへ。いつも母さんにしか貰ったこと無いから嬉しくって」
アイツの手の中には五個のチョコ。
何だっけ。
真柴の妹に、板垣の妹。それに板垣本人からと、後は木村さんのお袋さんに、青木さんの彼女のトミコさんからだっけ?
「何お返ししたらいいかなぁ?う〜ん…ねぇ、宮田くんはいつも何をお返ししてる?」
俺に聞くか、それを?
「知らねぇよ」
オイオイ。
「え?ダメじゃない。ちゃんと貰ったものはお返ししないと!」
俺ら付き合ってんだよな?
確かに、そりゃ俺とお前は男同士だし、バレンタインなんて行事は関係ないどころか、減量が厳しい俺にとっては禁句と言っても良いほどだ。
だからって何で付き合ってるはずの俺が、お前が貰ったチョコを見せびらかされて、おまけにお返しの相談まで受けなきゃならねぇんだよ。
「きっと宮田くんのことだから、いつもいっぱい貰ってるんだろうなぁ」
ポォっと頬を染めて、夢見がちな表情で言うアイツは可愛い。
童顔で目が大きくて。
まるで子犬のようなアイツは全身で俺を好きだと伝えてくれる。
ただ難点は、目の前に実物の俺がいるってのに、手の届かない存在のように俺を語る時があるってことだ。
前を見ろ、幕之内。
お前の目の前に俺は確かにいるだろうが。
「知らねぇよ。確かにジムの方には何個か届いてるみたいだけどな。どうせ俺には食えねぇし」
「え?宮田くん、チョコ食べないんだ?」
違ぇよ。食えないだけだ。
「…まぁな」
身長も体格も違う。
そんな俺らが同じ階級に合わせる為には、どうしてもガタイの大きな俺の減量はきついものになる。
命を削るように1gを削る。
こいつにだけはその苦しさを知られたくないが、たまにその鈍感さに腹が立つ。
「そっか。じゃあ、やっぱり上げなくて正解だったね」
「…あ?」
エヘヘとアイツが笑う。
「えっとね。実は宮田くんのファンに紛れてこっそり上げようと思ったんだ。だけど木村さんに見つかっちゃって」
ドクンと心臓が跳ねる。
チョコをくれようとしていた。その事実に歓びを感じるとともに、けれど聞き逃せない一言。
あのな。何でこっそり渡そうとするんだよ。
俺ら付き合ってんだろ?!
「そしたら宮田くんはチョコがあまり好きじゃないし、減量もあるんだからボクサーにチョコは厳禁だろう、って」
「まぁ、な…」
木村さんには自分の減量苦を知られている。
だからその忠告はありがたいが、それでも後にどれだけ苦しみが待っているとしても、幕之内からのチョコは欲しかった。
それが叶わず、あげくに他人から貰ったチョコを見せびらかされる。
俺は本当にコイツと付き合ってんのか?
っつーか、お前、本当に俺のことが好きなのかよ?
そんな疑惑は、次の一言でさらに深まることになった。
「だからね。勿体ないから千堂さんにあげちゃったんだ」
「ハァ?!」
思わず、俺は幕之内の胸倉を掴む。
「み、宮田くん??」
キョトキョトと大きな目が俺に注がれる。
「何で千堂だ…」
俺の顔は試合中のようにギラギラしていただろう。
幕之内は何が怒っているのか分からないとばかりに、オドオドと俺から視線を外す。
「だ、だって、その…千堂さんから電話が合って、チョコ貰えなくて毎年寂しいとか、色々言われてて…」
バカが。騙されやがって!
「あいつこそ毎年いっぱい貰ってるだろうが!それこそ老若男女関係なく」
「え、ええ、そうなの??」
考えれば分かるだろうが。お前が大阪でアイツと試合した時の、アイツのファンの熱気。
チョコどころか貢ぐぐらいにアイツのファンは千堂と言う男に惚れ込んでいる。
俺は溜息とともに幕之内の胸倉を掴む手を緩めた。
ふざけんなよ。本当に。
何で俺はこんな鈍感なヤツが好きなんだ?
「あ、あの、宮田くん、怒った?」
怒るだろう、普通。
俺はわざと言葉を返さず、アイツに背中を見せる。
何で付き合ってるんだろうな、俺ら。
そうだ。
アイツが、あんまり俺の事を好きだって目で見るから、俺が思わず言っちまったんだ。
『お前、俺のことがそんなに好きなのかよ』
言われたアイツは、真っ赤になってオロオロして、そして大きな目を潤ませて。
ものすごい可愛かった。
暫くその可愛さを堪能した後に、『嘘だよ』と流すつもりだった。
けれど、
『…うん。僕…宮田くんのことが好きなんだ』
ハッキリと、宣言するようにアイツは言った。
まさか断言するとは思わなくて、驚き固まっていると、アイツは『ごめんなさい!』と謝りダッシュで逃げた。
その背中を追いかけ腕を取り、捕まえたのは俺だ。
衝動だった。
男同士だとか、ライバルだとか。
あの時は頭から全部抜け落ちていた。
『幕之内』
ただ、ハッキリと俺の事を好きだと言ってくれたアイツが愛おしかった。
『付き合おうぜ』
そう言うと、アイツは俺の腕の中でワンワン泣いた。
思い返し、俺は気付いた。
幕之内が自分を好きだと言う感情を疑いはしない。
ただ、アイツを好きだと思う人間が、俺の予想よりも数多く存在していると言う事実に、俺が勝手に苛立ってムカついているだけだ。
「宮田くん…ごめん。僕が悪かったなら謝るから…だから無視しないでよ」
早くも涙声のアイツの声がする。
きっとあの大きな目には涙が浮いているはずだ。
コイツが鈍感なのは今更だ。
そんなコイツが好きなのも事実だ。
俺はスゥっと息を吸い、そして吐いた。
クルリと振り返ると、俺の予想通りの捨て犬のような表情の幕之内がいる。
「…俺が好きか、幕之内」
「え…ええっ?!」
一気に、幕之内の顔が真っ赤に染まる。
まるで湯気が立つほどに赤くなり、そしてオロオロと戸惑った後、はっきりと頷いた。
「……うん」
「誰よりもか?」
「…うん」
「女の方がいいとか、思ったことはねぇのか?」
「えええ?!そんな事ないよ!僕の頭の中、いっつも宮田くんでいっぱいだもん!!」
やけに自信満々に答えられ、聞いた俺の方が赤面した。
そうだよな。それが幕之内なんだ。
俺は自然と笑みが零れた。
するとアイツの顔が、珍しいものを見たように驚き固まり、そして照れくさそうに笑う。
「えへへ」
「…何だよ」
「宮田くんの笑顔、初めて見ちゃった」
そうだったか?
「…そんな事ねぇだろ?」
「そうだよ。僕といると、宮田くんいっつも怒ってばかりなんだもん」
何だよ、睨んで。
「お前が怒らせるからだろうが」
言い返すと、今度はプゥと頬を膨らませ拗ねた。
か、可愛いじゃねぇか。
「そりゃそうだけどさ、僕ら付き合ってんのに…」
何だ。付き合ってる自覚はあるのか。
俺は後ろ手に隠していたものを、幕之内の頭にポンと乗せる。
「え?」
「やる」
幕の内が頭に手をやり、そして自分の目の前に翳す。
それが何であるのか。
認識した瞬間、パァっとアイツの顔が花開いたように笑顔になった。
「み、ミミミミヤタくん!こ、ココココレ!!!」
「変な声出すんじゃねぇよ。チョコだよ」
バイト先のコンビニでいつも目に付いていた。
どうせアイツは誰からも貰え無さそうだし…そう言い訳してアイツのために買って、いざ渡そうとしたらアイツは思ったよりも色んな人間から貰っている事実に嫉妬して。
「お前、減量ないんだろ。食べても平気だろうから」
うん、うん、と何度も言葉も無いままアイツが頷く。
その幸せそうな顔を見ると、やはり買って良かったなと思う。
そうだよな。
何だかんだ言って、俺もコイツに惚れてるんだから。
「あ…でも僕、宮田くんに何も上げれるもの無いや…」
やっと気付いたか。
「別にいいよ。どうせ食えねぇし」
さっきとは違う。スッキリした気分でそう言えた。
「そう言うわけにはいかないよ!どうしよう…何がいいかな…」
でも幕之内は反対に、ものすごく気にしているようで、ウンウンと悩み始めた。
俺のために悩むコイツが愛おしい。
幕之内一歩。
コイツは存在自体が俺にとってのチョコだ。
だから…。
「別にいいよ」
俺はコイツの甘い甘いチョコを口にした。
目の前に見開かれた大きな瞳。
触れるとその唇は予想通り柔らかくて、そして想像以上に甘かった。
「俺はこれで十分」
真っ赤な顔で酸欠の金魚のように口をパクパクさせている。
わざと、舐め取るように舌で濡れた自分の唇をなぞると、アイツの顔の赤みがさらに増した。
「ごちそうさん」
そう言うと、上目遣いで俺を見つめる幕之内と目が合った。
縋るような。戸惑うような。けれど嬉しさを隠せないような。
俺は舌打ちした。
甘い甘いチョコ。
クセになりそうだと、俺はアイツの身体を引き寄せ囁いた。
「もう一口」
幕之内の大きな目が、一瞬見開かれ、そしてゆっくりと覚悟を決めたように閉じられる。
腕の中のチョコは俺のためにある。
それに満足しながら、俺は存分にそれを味わった。