カフェ・レッドサンズ〜メイドさん奮闘記〜
コンコンと部屋をノックする音が聞こえる。
自室で優雅に本を広げ、寛いでいた涼介は、その音に顔を上げ、扉に向き直ると答えた。
「入りなさい」
お盆を持ち、慣れないメイド服に身を包んだ、拓海が入室する。
「失礼致します、ご…ごっご主人さまっ…!お茶をお持ち致しました」
頬を真っ赤に染め、やや緊張した手つきで、拓海が涼介の前にカップを置く。
「ありがとう…」
「いえ…、では失礼致します」
クルリときびすを返し、部屋から出て行こうとする、つれないメイドを呼び止める。
「待ちなさい、こちらにおいで藤原…」
「あの、まだ仕事が…」
遠慮がちに近づいてきた細身の腰を抱き、引き寄せる。
「りっ、涼介さんっダメですッ!」
「藤原、涼介さんじゃない『ご主人様』だろ?」
「でも…オレ、あの恥ずかしくて」
至近距離に近づいた、愛しい恋人の顔が真っ赤に染まり、愛らしい唇をツンと尖らせ、言い募る。
「涼介さん、こんな事いつまで続けるんですか?」
「藤原が、ちゃんと突っかえずに『ご主人様』って、言えるまでだな」
クスリと笑って、拗ねた恋人の頬にキスをひとつ。
「ズルイ……」
その言葉は、こんな事を企んだ自分に向けられたものなのか。
それとも、キスひとつで懐柔されてしまった、自分自身に呆れて、つい漏れてしまった一言なのか。
「遅いぞ、藤原!」
「あっ、すみません先輩」
その台詞に、啓介の頬はニンマリと弛む。
『藤原に先輩なんて呼ばれて、スゲェ気持ちイイ!たまにはアニキもイイ事するよな!』
こんなにイイ気分は久しぶりで、普段被っている迷惑を、この際チャラにしてやっても良いかと思う。
「何?ご主人様にナンかされたのか?」
ニヤニヤ笑って、聞いてやると、頬を真っ赤にしたままの、何の説得力も無い顔で反論してきた。
「何もされてませんよ!先輩、オレ頑張りますから」
『何だ?このやる気は』
カフェごっこは、相変わらず継続中だった。
「ただいま、オヤジ帰ったぜ」
「オウ、お疲れさん」
「遅くなってすまねぇな、今晩飯の支度すっから」
文太は、ガサガサと新聞を捲りながら、手際良く料理が出来る音を聞いていた。
「オヤジ飯台の上、片してくれ」
「ん?ああ…」
拭きあげた飯台の上に、料理が並べられる。
拓海が茶碗にご飯をよそい文太がそれに手を伸ばす。
そして、何気なく一言。
「はい、どうぞご主人様」
『???何言ってやがるんだ?コイツ』
しかし、拓海の様子は至って普通だ。
『言い間違いとかじゃねぇよな…?今の、オレの聞き違いか?』
何事も無かったかの様に、食事は進み、拓海は片付けを済ませ、食後にお茶を煎れて戻って来た。
湯呑みを手渡し、また一言。
「どうぞご主人様…」
思わず、糸の様な細い目を見開いて、拓海を見る。
「何だよ?オヤジさっきから…オレ、ナンかヘンな事言ったか?」
「いや…、多分オレの聞き違いだ」
とっさにそう返したもののアタマの中は、フル回転で今聞いた言葉の処理を始める。
『祐一んトコはGSだし、拓海が就職したのは、運送屋だったよな…?』
久しぶりの回転に、アタマがオーバーヒートして、何もかもが停止する。
何だか、息子を嫁に出すみたいな、やりきれなさと敗北感を感じ、スッと立ち上がると拓海に向き直る。
「早ェけど、もう寝る」 そうして、文太は居間を後にし、ヨロヨロと自室に引っ込んで行った。
こうして、一人のオヤジを巻き込み、思わぬ所に弊害を残しつつ、カフェ・レッドサンズは営業されたのであった。
2006.4.5