カフェ・レッドサンズ
拓海は、それは何気ない一言であったはずだと記憶している。
たまたま入ったカフェ。二人で出かけた嬉し恥ずかしデートの日。それを見た拓海は思わず見入ってしまい、
前に座る涼介にそれを見咎められてしまった。
『藤原はああいうのが好きなのか?』
『…好き、って言うか、スゴイなとは思いますけど…』
拓海は目の前の人物が意外と冷静な顔をしながら、嫉妬深いことを知っている。
思わずそう答えてしまい、まずいかなと思ったのだが、意に反して恋人は機嫌が良さそうだった。
『……なるほど。そうか』
なので安心した。後に、拓海はあの時ちゃんと明言しておけば良かったと後悔する。
そんなデートの日から数えること一週間後。
拓海は通いなれてしまった高橋邸へと車を走らせていた。
大学とDと、何かとで忙しい恋人は、無理にでも会う時間を作らないと平気で一ヶ月ほど会えない日々が続く。
どこかへ出かける時間は滅多に作れず、もっぱら自宅デートが多い。
慣れた手つきで拓海は門前の鍵を解除しインターフォンを押した。
合鍵は貰っているとは言え、やはり勝手に入るのは躊躇われる。
涼介からは常に「遠慮するな」と言われているが、拓海はこれは礼儀の問題だと心得ている。
そしていつものように、インターフォンの向こうから応答する声。しかし今日は恋人のものではなく、どうやら彼の弟のもののようだった。
「…はい」
「…え?啓介さん?あの…藤原ですけど…」
かつて、こんな状況の中で恋人以外が出たことはない。ほんの少し戸惑いを覚えながらも、拓海は小さな機械の向こうに自分の名を名乗った。
そしてそして。
いつもなら無愛想な声の彼が、今日はやけに神妙だ。
「ただいま開けます」
『…ただいま?…ます??何か啓介さん、悪いモンでも食ったのかな?』
初めて聞く啓介の敬語。
だが驚きはそれだけではなかった。
ガチャ、と扉が開かれ、現れた彼の姿に、拓海は目を見開いた。
「…け、啓介さん??どうしたんですか、その格好?!」
だが啓介は、その質問には答えず、拓海に向かい45度の角度できっちりと頭を下げた。
「いらっしゃいませ。藤原様」
その瞬間、拓海は本能的に察した。
『涼介さん、また何か企んでる?!』
拓海の恋人は、天才肌のせいか、エキセントリックなところがある。
その思いつきによる、彼からしたら遊び、だが他の人間にしてみたら傍迷惑でしかない行為に苛まれたことが拓海も何度か。
あまりにも無茶な要求は拒んでいたが、叶えられる限りの望みは叶えている。
…が、今回のこれは、どうも叶えられるラインのギリギリのような気がした。
恋人には会いたい。だが妙なことに巻き込まれるのはもっと嫌だ。
どうしようかと迷っていると、奥の方から涼介が現れた。
「…何をしているんだ?お客様をお待たせしては駄目じゃないか。
いらっしゃいませ、藤原様。カフェ・レッドサンズへようこそ」
白いシャツに黒いタイとベスト。そして腰に巻かれた黒のソムリエエプロン。それが腰のラインを際立たせ、
ただでさえスタイルの良い人を、さらに魅力的に映し出している。
拓海は、恋人のそんな姿に見惚れた。
「どうぞ。ご案内いたします」
たとえ企んでいるとはいえ、そこは好きな相手。惚れた弱みで誘われるままに、拓海は差し出された涼介の手を握り返した。
そしてリビングに案内され、ソファに座る。すかさず目の前に涼介がメニューを差し出した。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さいませ」
そう言いながらも、どこかへ行くでもなくそこに立ったままの彼に、拓海は落ち着かない。
「あ、あの…そこに立ったままだと、ちょっと…」
「ああ、失礼。これで宜しいですか?」
さすがあの涼介だ、と拓海は感心する。彼は、にっこり笑いながら、拓海の隣に座った。
普通とは違うその行動に、拓海はやっと安心する。
『…やっぱ涼介さんだよ、この感じ』
妙なところでホッとし、傍らの涼介にメニューを見せながら質問する。
「涼介さん。オススメは何ですか?」
「そうですね…藤原様はあまり苦いものなどはお嫌いのようですから、このカプチーノなどは宜しいのではないでしょうか?
また、藤原様のために特別にご用意しました豆腐チーズケーキとあわせてお召し上がりになられましては?」
「…そうですね。じゃ、それでお願いします」
「かしこまりました。…店員B」
『…啓介さん…店員Bなのか…』
「はい。オーナー」
『…涼介さんはオーナーか…』
「カプチーノと豆腐チーズケーキのご注文だ。早急にご用意するように」
「判りました、オーナー」
「ただいまお持ちいたしますので、暫くお待ち下さいませ。それまで、私で宜しければお話相手になりますよ?」
いつもの彼とは違う、柔らかに笑う恋人の表情に、拓海は安堵した。
『どうやら今日の遊びは、そんなにとんでもないものじゃなさそうだ…』
…と。
また、こんな感じの時もたまにはいいなと拓海は思った。
後の後悔も知らず。
「お待たせいたしました」
十分ほどで啓介が銀のトレイに乗せた白いカップと皿に載せられた真っ白なチーズケーキを、拓海の目の前に並べた。
「…いただきます」
早速、拓海はカップを手に取り口につけようとする。だが、
「ちょっとお待ち下さい」
涼介に止められ、カップをまたテーブルの上に戻した。
「これには最後の仕上げがあるんです。少々宜しいですか?」
「え?あ、はい」
そして涼介が手に取ったのは小さなミルクが入ったポット。
それをカップの上にたらし、ゆっくりと注ぎ込み、泡だったカップの中にとあるマークを形作った。
『…うわぁ。ハートだよ…』
ちょっとサブイボが立ったが、我慢する。
「どうぞ。藤原様に愛を込めて」
しかしこう言われると、またも惚れた欲目でまぁいいかと思った。
「いただきます」
カップを口につけ、適温のそれを飲み込んだ。
「…おいしい」
「それは良かった。どうぞ、こちらのほうもご賞味下さい」
「はい」
小さなフォークを手に取り、切り分け、口に入れる。とろりとした感触とさっぱりした味わい。
その滑らかさに拓海は頬をほころばせた。
「すごいおいしい…」
「…藤原様にご満足いただけますよう、心を尽くさせていただきました」
「涼介さんも食べます?」
「お客様のものを頂くなどは…」
「はい、あ〜ん」
「あ〜…」
ぱく。もぐもぐ。
「…藤原様の味がしますね」
「もう、涼介さん、何言ってるんですか!?」
イチャイチャしだした二人の姿を、キッチンから遠目に煙草をふかしながら眺めていた啓介は、
デキャンターにミネラルウォーターを注ぎながら、時計を確認した。
『…もうそろそろかな?』
初め、兄からこの計画を聞いた時は渋った彼だが、計画の最終目的を聞いた瞬間に、ひるがえり協力者となった。
そのために、カフェでバイトする友人に頼み、衣装を手に入れ、一週間のカフェ修行にも耐えたのだ。
全ては、このときのためだ。
にやりとほくそ笑み、灰皿に煙草を押しつぶし、水の入ったデキャンターを抱え、啓介は二人に歩み寄る。
涼介の目が光る。
そして拓海は気付かない…。
「お水はいかがですか?」
「あ、はい。いただきます」
もう、このカフェごっこにも慣れてきた拓海だ。
そこそこ満足したお腹を摩りながら、自然と笑みが浮かぶ。
いつもの涼介との時間も楽しいが、こんな遊びもたまになら良いかも知れない。
何より、この格好の涼介はカッコいいので、見ているだけでうっとりとしてしまう。
だから気付かなかった。
彼らの企みに。
啓介が抱える水の入ったデキャンターが近付いた瞬間、涼介がコップを取る振りで立ち上がり、啓介の腕にぶつかった。
その結果…。
バシャ!
「…………」
ぴたぴたと滴り落ちる滴。
拓海の頭の上から大量の水が降り注ぎ、頭どころか体までびしょぬれになってしまった。
「申し訳ありません、藤原様!」
「これは大変な失礼を…早く、バスルームの方へ」
「あ…はい…」
ぬれねずみになった拓海は、疑問に思うヒマもなくバスルームに向かい、促されるままにシャワーを浴びた。
「着替えはこちらでご用意しますので。大変失礼しました」
そう言いながら、脱衣所に置いた服。
それを眺めながら、兄弟はにやりと笑って計画の成功を祝し、硬く握手を交わした。
「……やられた…」
それを見た瞬間に気がついた。
あの玄関でした胸騒ぎはこれだったのだと。
そして思い返す。
一週間前のあの言葉。
あの時の上機嫌は、このせいだったのだと言うことも。
脱衣所にあった着替え。
それは拓海が記憶する限り、紛れもなくメイド服。
フリルの付いた、白と黒の定番のそれだ。
他に着替えらしいものはなく、このままバスタオルに包まったままいるわけにもいかない。
恋人の性格は判っている。嫌と言うほど。
しぶしぶ、拓海はそれを着込み、脱衣所を出てリビングに戻ると、恋人とその弟の顔が緩むのを拓海は確かに見た。
が、すぐに彼らは顔を引き締めて新たな「カフェ・レッドサンズ」の場面展開に始まる。
「…困りますね、藤原様?」
「はぁ?」
(また何が始まったんだ??)
「先ほど確認させて頂きましたが、お代をお持ちじゃないようですね」
「…ああ…」
(そういや、今日は何も持たず来てくれって言ってたの、このためか…)
「無銭飲食は困りますね。ですが、他ならぬ藤原様ですので…」
(…あっ、俺、もうこの後の展開読めてきたかも…)
「…しばらく、うちで働いてもらいましょうか?}
(…やっぱり……)
「私のことは『ご主人様』とお呼びしなさい」
「俺は『先輩』でいいぜ」
カフェ・レッドサンズ。
そこは兄弟の煩悩が溢れる場所。
たとえ拓海が、
『…んなの、普通、街中でメイド見かけたらびっくりして見るに決まってんだろ?』
決して見惚れていたのでも、気に入っていたのではない。
そんな主張をしたくても、もう届かない場所。
…カフェ・レッドサンズ。
そこは美貌のオーナーと、男前のギャルソン、そして愛らしいメイドが迎えてくれる魅惑のカフェ。
その場所は…存在を知る誰もが秘して幻となる伝説のカフェである。
2006.4.1